一章 6

「おいおい、ここって……」

「意外と綺麗だろう。それでいて家賃は無料(タダ)なんだ」

 二人が息を切らせるほどに走って辿り着いたのは、まぁ彼女の言う通り『家』であった。

「違う、違う。そういう意味じゃない。立地だよ」

 メリッサはすでに玄関を通り抜けてリビングに入っていこうとするがディリオンはそれを追いかけることは出来ずに、チラチラと玄関の扉から外の景色を窺う。

「何をしているんだ? 早く扉を閉めないとアイツらに見つかってしまうかもしれないだろう」

 しかしこの家の主人であるメリッサは外を慌て気味に見ているディリオンに取り合う気はないらしく、リビングへ繋がる扉から小さな顔だけを出して外の様子を確認する彼に声をかける。

「なんてところに住んでるんだ、お前は……」

 彼は外に広がる景色と家の中のメリッサを交互に見ながら呆れ気味に息を漏らす。

「別に普通だろ? それによく言うだろう。木を隠すなら森の中、だってね」

 彼女は扉から顔だけを出した状態で自慢げに言うが、ディリオンからすればその神経は信じられないものだった。

「だからって……、これは……」彼はもう一度外の様子を確認すると、深いため息を漏らした。

「なんで通り(ストリート)に住んでるんだよ……」

「だから、木を隠すなら————」

「違う違う。そういう理論的なものを聞いているんじゃない。精神的な面を聞いているんだ。どうかしてるんじゃないか⁉︎ 通り(ストリート)に住むなんて」

 ようやく扉を閉めたディリオンは膝に手をつくと、走ったことにより乱れた息を整える。

「なにもそんなに驚くことじゃない」

「驚くに決まってるだろ。通り(ストリート)ってことはギャング達の住処ってことだぞ?」

「ああ」

「ああ、ってな……」

 彼ら二人の温度差は綺麗なほどに正反対だった。

「驚くようなことじゃないし、別に心配はいらない」

「心配っていうか、何ていうか、だな……」

「それにここに住むってのは、ボクの目的とも合致しているから相当都合がいいんだ」

「?」

「何を分からないという表情をしているんだ? ディリオンの方だろう、ボクのことを『ギャング狩り』と呼んだのは」

 そこでようやく思い出す。彼女の通り名を。

「そうだったな……」

「そうそう。そういう事さ。この場所に住むってことは都合がいいんだよ」

 メリッサは手に抱えていた『AKM』の安全装置(セーフティー)を確認すると、ディリオンが膝に手をついた屈んでいるその向こう————通り(ストリート)をその銃口で指した。

「扉を開けて一歩外に出れば、そこはもうボクの仕事場(せんじょう)だ」

 彼女は扉に向けていた銃を軽く上に上げて、実際に弾丸を放った時のような反動をジェスチャーで示すと、「早くこっちに来いよ」と手招きする。

「……っと、じゃあお邪魔します」

「堅苦しいのはいらないよ。なんせここは空き家を乗っ取っただけなんだから」

「あ?」

「厳密にはボクの家じゃない。家賃も払ってないしね」

 メリッサは「ボクの家」と言っていたような気がするが、この際それは気にしないほうがいいのかもしれない。なにせここはギャング達の住処である通り(ストリート)だ。元々住んでいた人たちだってギャングが彷徨(うろつ)き初めてすぐに家賃の後処理もなしに飛び出してきたのだろう。

「……なるほど、どうりで電気が通っていないわけか……」

 廊下はおろか、リビングに入っても明かり一つなく、まるで廃墟のようだった。

 玄関口は街灯の仄(ほの)かな明かりや、自然光である月明かりが足元を照らしていたが、建物を奥に進むと、足場の視認すら目を凝らさなければならない。

「ちょっと待て、今明かりをつける」

「廃墟なのに、明かりなんてつくのか?」

「人の住んでいる場所を廃墟呼ばわりするな。ちなみに掃除はしているから埃一つも落ちていないぞ。全く、失礼な……」

 言葉に続いて暗闇のなかでガサガサと音がした……かと思えば、次にはガタンガタンと何か大きなものが揺れている音がする。メリッサはこの暗闇の中で何か作業をしているようだが、目が慣れていないディリオンはその様子を窺い知ることなどできない。

「よいっしょっと……、これでいいはず」

 と、彼が徐々に暗闇に目が馴染んできたところだった。

「っおっと‼︎」

 急激に明かりが視界に飛び込んできて思わず声をあげてしまう。しかし、そこまでの強度の明かりが発せられた訳ではないのですぐに視界が鮮明に回復する……と、

「なッ‼︎‼︎‼︎」

 視界も正常なはずなのに、彼の口からはまるで数百万円もの大金が入っていた財布を何処かに落としてきてしまった、みたいな驚嘆の声が飛び出た。いや、視界が十分に回復したからこそ、そのような声が飛び出してしまったのか。

「きゅああああああああああああああああああああああああああ⁉︎」

 そして次に響いたのは、なんともイメージとそぐわない女の子らしいメリッサの悲鳴だった。

「おおおおおおおおおお‼︎」

 そしてディリオンも彼女の後に続き、まるでジェットコースターに乗っているかのような絶叫である。

「何してるんだ‼︎ ディリオン‼︎」

「こっちのセリフだ‼︎ そして俺は別に狙っていたわけではないぞ‼︎」

「絶対そのポジションは狙っていた‼︎ やはりガソリンスタンドの店長の影響を受けてアルバイトのディリオンも変態だったんだな⁉︎」

「何だその言い草は⁉ 俺は別に店長の性癖が感染(うつ)ってるわけじゃねえ。それに俺にはそんな趣味はない‼︎」

 ギャアギャアと叫ぶ彼らだが、今現在の状況を簡単に説明しよう。

 メリッサの短いデニムパンツから覗ける御御足(おみあし)(太腿の付け根までしっかり)をディリオンが鼻先が触れ合いそうな距離で見上げているのである。もっと距離を離してその様子を客観的に捉えてみると天井に吊るされている充電式ランタンを少し高めの椅子の上に立ってつけようとしたメリッサを丁度斜め四十五度下から灰色髪の青年ディリオンが覗き込んでいたのである。

 まぁ、女の子サイドからすれば確信犯的視野角間違いなしだ。

「じゃあ、このポジションを言い訳してみなよ‼︎」

「言い訳っ……言い訳……」ディリオンは徐々に声が小さくなっていく。

「ほら、言い訳も何もできないじゃないか⁉︎ やっぱり狙っていたんだな‼︎」

「そうじゃない。ほんとに偶然だ‼︎ 暗闇の中で何も見えてなかったんだ。そしたら急に明かりがついて、それで、ほら、メリッサの足が俺の鼻先に出現したんだ」

 メリッサの足から顔を離したディリオンはようやく通常思考を取り戻したのか、早口で捲し立てるように喝破する。

「『出現』なんてモンスターみたいな言い方するな‼︎ ってかどうなんだ? かなり広いこの部屋でどうやったらピンポイントにボクの足の下に顔をやることができるんだよ⁉︎」

「それはメリッサが音を出しているからその方向に進んだら‼︎」

「それにしてもだ‼︎」

 お互いにこれが不毛な言い争いであることはわかっているものの、メリッサは一応は女の子として、ディリオンは自分自身の尊厳のために言い合いをやめることが出来ない。

「やっぱり、あのガソリンスタンドの店員はダメだな。お前以外の働き手も同じような趣味を持っているんじゃないか⁉︎」

「だから店長の趣味は感染(うつ)ってないって‼︎ っていうか、なんでそんな事いちいち覚えてるんだよ‼︎」

 メリッサが言う店長の趣味とは、要するに『仕事場に十八禁雑誌(エッチな本)を置いている』ということだ。もちろんディリオン自身、店長のそのような趣味が発覚した昨夜はメリッサと一緒に嫌煙したがずだが、何とも悲しいことながら彼女からはどうやら今のところディリオンは『店長と同じジャンル』に区分けしてしまっているらしい。

「忘れるわけがないだろう。あんな非常識なこと」

 非常識でいったら『ギャング狩り』なんかをしているメリッサこそ非常識のソレなのだが口には出さない。

「……まぁ、忘れないかもしれないが……」ディリオンはそこで一つため息をついてから、

「もうこの話は終わりにしようぜ。あんまり意味のないことを話している時間はないし、これ以上これについて話しても何も出てこねぇよ」

「(なッ‼︎ ボクのを見ておいて何もない……だと……‼︎)」

 ディリオンの気のせいかもしれないが、ことなげに言った発言に対してメリッサからまるで漫画の中で描かれるような心情描写がそのまま耳に聞こえたような気がしたが、おそらく気のせいなので、そのままスルーする(しておこう)。

「で、だ。ここは安全だって保証があるのか?」

 何度もしつこいがここは通り(ストリート)だ。普通に暮らしてるだけでも十分に危険は付き纏うだろうし、それに今彼ら二人が置かれている状況を考えれば安全面については余計に考えなければならない。

「……、ッチ……。ホントにボクのことを何だと思っているんだか……」

 メリッサは未だに短いデニムパンツの裾を両手で恥ずかしそうに抑えながら、蚊の鳴くような声で言う。

「……、おい?」

 ディリオンはそんな調子の彼女に「大丈夫か?」と、手を伸ばすが、

「な、なんでもないさ。気にすることはない……」

 充電式ランタンの真下だからだろうか、彼女の頬は朱に染まっていて、……なんというか、語弊を生むかもしれないがとても色気がある。

 彼女は早口で紡ぐと、身軽そうに少しばかり座高の高い椅子からピョイと、飛び降りる。

「安全だよ。今までもずっとここで暮らしているんだから」

 そしてメリッサは自分がつい先ほどまで立っていた椅子の座面を手で三回ほど払うと腰かける。ついでにテーブルの真向かいにある椅子を目でさして「アンタも座れ」と伝えてくる。

「五年もずっとここに暮らしているんだ。当初は外からの襲撃を恐れていた時期もあったが、今となっては笑い話だよ」

「じゃあ実際にはなかったのか?」

「いや、あったさ」

 メリッサが襲撃を心配していたことを「笑い話」なんて言うものだから、襲撃類(たぐい)のものは一切なかったのかと思っていたのだが、返ってきた答えはそれに一八〇度反するものだった。

「なんでそうなるんだ? じゃあ十分危険な区分に入るだろ⁉︎」

「なぁに、心配するようなことじゃない。襲撃されたっていっても襲ってきたのはボクが女だとわかって後をつけてきた馬鹿(エッチ)な奴らのことだよ。そいつらなんてただ飢えていただけだろう」

 彼女は手をヒラヒラと振って何気ない口調で続ける。

「ま、襲ってきた奴らもこんなところに居るくらいなんだかギャングに所属はしているんだろうけど、見るからに下っ端だったんだろう。じゃなきゃあんなにも女を求めたりしない」

 メリッサは言いながら一度ディリオンの様子を窺ったが、彼がまったく自分の体に興味を示していないことを確認すると、落胆したように肩を落とした。

「(さっきの発言は強がりだと思っていたんだが、どうやらボクは本当に女として見られていないのかもしれないな……)」

「ん? なんか言ったか?」

「いや、なんでもない……」少し口籠ってしまう彼女だが、思考を振り払うように咳払いを一つすると、「まぁ、なんだ。ともかくそういう事があったのは随分と昔のことだ。ここ二年は全くそういう事はないさ。だから心配しなくていい」

「なるほどな。……ん? でもさ、二年前以降に襲撃を受けた時はどうやって対処したんだ? 誰か護衛がついていたわけでもないだろうに」

 ディリオンは頭に疑問符を浮かべる。が、彼女はそれに清々しそうに答えた。

「簡単だろ?」そして、机に立て掛けてある『AKM』を右手でパンパンと叩く。

「……おいおい。それじゃあここって事故物件なのか?」

「まぁ、空き家だし、気にしなくていいだろ」

 メリッサはニヒルな笑みを浮かべているが、それを元居住者が知れば顔を引きつらせることだろう。何たって一応は昔の家庭が血みどろの殺人現場になってしまったのだから。

「ああ……、まぁ、いつもの安全面は大体分かった。じゃあ、今の状況においてここはどれくらい安全だと思う?」彼は若干顔を引きつらせるが、……そう。今確かめなければならないことは『そこ』なのだ。確かに彼女は「今まで」この建物がどれほどの安全性を保っているのかを示した。だけどそれでは何にもならない。今の状況を見つめるには下っ端のギャングの情報なんて「塵も積もれば山となる」の「塵」にすらならないのだから。

「ま、そうだよな」彼女は一度軽く息を吐き出す。「でも、正直ボクだって分からない。今までは『MH』なんてギャング組織(ファミリー)に遭遇すること自体がなかったんだ。他の五の巨大組織(ファミリー)も然りだけどな」メリッサは話している間にようやく席についたディリオンを見ながら、でも、と続け、「出会いたかったのに、いざ出会うと逃げるしかない。隠れるしかない」悔しそうに奥歯を噛み締める。「それにディリオンが居ないと本当にボクは無理を承知で奴らの波のなかに突撃していたかもしれないんだ。だから本当に感謝はしている」

 改まって真正面からそんな言葉をかけられたものだからディリオンは言葉に詰まってしまう。

 しかしその感謝の言葉は同時に「それほど『MH』が憎い」という事を言外に示しているのだ。

 それにディリオンは心が締め付けられる想いになる。なにせ、彼は————、

「でも、案外安全なのかもしれない。だってさ、奴らだってディリオンが驚いていたみたいにボクが通り(ストリート)に住んでいるなんて思っていないはずだ。実際にボクを襲ってきた奴らもボクが『ギャング狩り』だから襲ってきたんじゃなくて、女だから体目当てで襲ってきただけだ」

 しかしディリオンの思考を中断するようにしてメリッサは言葉を続ける。

「だから、当分は大丈夫なはずなんだ。なんたって探す順序なら間違いなく一般市民の居住地が先になるはずだからな」

「ま、そうか」確かに彼女の言うことには一理ある。が、「それでも一般市民はかなり怖い思いをすることになるだろうな」ディリオンは平和な街並みに思いを馳せる。

 なにせ、三〇〇あるギャング組織(ファミリー)六っの頂点である『MH』が住宅街に一斉に押しかけることになるのだ。一般人達はそれがどこに所属しているギャング達かは到底理解出来ないだろうが、生活圏にギャングが侵入してくるだけで一人前の大人でも失禁ものである。

「驚いた。一般人に気を遣う余裕があるのか……」

「は? それはどういうことだ?」ディリオンはメリッサの言葉が図れずに疑問を漏らすが、

「いや、だってディリオンも一般人なんだろう……、だったらまずは自分の心配をするのが普通なんじゃないか?」

 その顔は本当に「驚愕」という文字が似合っている。そこで思い至る。そう、彼はメリッサの前では過去にギャングであったことを明かしていない。つまり彼女側からディリオンの立場を捉えると、それはもうただの一般人なのだ。

 そこまで考えてようやく「しまった」という感情が湧き出てくるが、それを顔に出すわけにはいかない。

「……ああ……、まぁ、なんだ。昨日も巻き込まれているわけだし、感覚が麻痺しているのかもしれないな……」

 正直なところ冷や汗ものである。もちろんこんな簡素な言葉で誤魔化せるとは思っていないし、今の言葉がメリッサがディリオンの詳細を怪しむことになる嚆矢(こうし)になる可能性だってある。

「もしかすると、ディリオンはボクと似ているのかもしれないな……」

 が、彼女から返ってきた言葉はあまりにも予想外のものだった。

「え……?」

「ボクも最初は度合いは違うと言っても、初めてギャングを殺したあの夜は『復讐だ』『正統なことなんだ』って頭の中では言い聞かせていても大分その日の夜は苦しんだものさ……、でも二回目からはなんてことなかった。それがおかしいことだとは自分で思っていたが、ディリオンもソレに似ているのかもしれないな」そこでメリッサはリビングのダイニングテーブルから背後を振り返り、玄関口の扉を見やる。「あれだけ悲惨な光景を見てももう立ち直り、自分と同じ一般人の心配まで出来るようになっている。それは十分素晴らしいことだが……、こうはならないで欲しいと思う。なにせ、ボクがこうしてギャング達を殺しているのは妹の復讐であると同時に、他の一般人にボクと同じ思いをして欲しくないからでもあるからな」

 どこかその声色は苦しさが滲んでいるように思えて、それと同時に遠くの記憶を思い出しているようにも見えた。

「ま、すまない。別にボクの過去話にディリオンを付き合わせるつもりはないよ。ただボクが伝えたいのは、ディリオンもボクが守るべき『一般人の内の一人』なんだから無理をするなってことだ」そこまで言うと、先ほどの面持ちとは打って変わって、明るい声で柏手を打つ。

「じゃあ、そろそろ寝ようか。ボクは疲れた。久しぶりに全力で走ったしな……」

「走るって、いつもギャングを殺しているクセにそれだけで疲れるのかよ……」

「まぁな。だっていつもはこっちから一方的な攻撃だからね。狙われる側は御免被りたい」

 はぁ、と小さく息をつくとメリッサは席から立ち、先ほどと同じように座高の高い椅子の上に登って天井部に吊るしていた充電式ランタンを手に取った。

 ランタンというと昔素材をイメージしがちであるが、内容素材などは最新器具でも詰め込まれているのか、明るさ度合いはLEDと何ら遜色ない。

「ほら、立った立った。悪いが風呂はないから今日はそのまま寝てもらうぞ」

 右手に持ったランタンをまるで振り子のように揺らしながら彼女は歩を進める。

「ああ」

 その後ろ姿にディリオンが思うことは「嘘をついていてすまない」という謝罪の気持ちと、「お前のほうこそ無理をするな」という二つの入り混じる混濁な感情だった。

(————お前は『MH』の「  」 になるんだ。)

 昔言われた事を思い出す。が、彼女の背中はそんな彼の言葉を弾き返すほどに力強い。

 なにせ今日まで彼女は自分の信念を貫き通してきたのだから。

 もしかしたら本当に彼女なら……。

 そんな淡い泡沫のような気持ちを描いてディリオンは背中を追いかける。


「じゃあ、そっちに寝てくれ」

「ま、いいけど……」

 用意されたのはタオルケットのみだった。つまりは床に直接寝っ転がってその上にタオルケットを被って寝ろ、ということらしい。ちなみにメリッサはと言うと家(空き家)の主人として大きなダブルベッドに傲然と腰をかけていた。おそらく以前の住人が使っていたものだろう。

「それにしても差が酷くないか……」

「まぁ、そこは我慢してくれ。ボクだってベッドを用意してやりたい気持ちはあったが生憎と自分用しかなくてな」

「だったら客人用にそのベッドを譲ろうとは思わないのか?」

「注文が多いな……。じゃなくて、まずなんで女のベッドを男に貸さなくてはいけないんだ⁉︎」

「なんだ……、意外にメリッサってそういうとこ気にするのか?」

「なっ⁉︎ 別に気にしてなどいないが、常識としてだ‼︎ 常識として‼︎」

 なぜか二回も同じ事を連呼するメリッサだが、充電式ランタンはすでに消されているのでボンヤリとした体のシルエットのみしか窺うことはできない。

「はいはい。じゃあもういいよ。おやすみ」

 ディリオン自身、先ほどまでは強く感じていなかったのだが、こうして気持ちが落ち着くとかなり体が疲労していることに気づかされる。やはり「追われる身」というのはメリッサが言っていたように、かなりキツイものだ。

「チッ……、なんで何の緊張もなく寝れるんだ」メリッサは小声で呟いてから、「おやすみ」と声をかけようとしたのだが、「あ、そうだ‼︎」と、突然何かに気がついたように声を上げた。

「なんだ……? 急に……」ディリオンはゴロリと寝返りを打ってメリッサの方を向く。

「いや、大したことじゃないが、日課を忘れていた」

「日課?」

 疲れている体にあまりにも意外な言葉が飛び込んできたものだから、ついディリオンは寝ながら首を傾げるというおかしな挙動をとってしまう。

「ああ。そうだ。ま、簡単に言えば時事問題のチェックといったところだな」

 すると、彼女は被っていたブランケットを払い去り、体勢を起こしてから充電式ランタンに再び明かりを灯した。そしてベッドの下方に寄り、足元をゴソゴソと探索し始める。

「あったあった。ディリオンも聞いておくといい。この調子じゃテレビなんて見れそうにないしな」言いながらメリッサが取り出したのは長方形の形をした物体だった。

「ラジオ……?」

「その通りだ」彼女は充電式ランタンをラジオの近くに持っていくと、ラジオの側面に並べられている小さなボタン類を操作していく。

「なにをしてるんだ?」

「ん? 再放送を聞くんだよ。この時間帯だと生放送っていっても訳もわからないミュージシャンの下手くそな音楽しか流れていないし、ニュースの類はボクらが外にいた時間に終了してしまっている。だから、仕方なくだ。おッと、丁度昨日の二〇時台のニュース再放送がやってるじゃないか」彼女は横になっているディリオンに向けてこっちに来いと手招きする。

「なんでだ? ここでも聞こえるだろ。音量上げてくれよ」

「本来ならそうするべきだし、ラジオってのはそうあるべきなんだろうけど、今は仕方がない。何せ金がないからな」相変わらず、カチカチと音を鳴らしながら小さなボタンを弄っているメリッサは充電式ランタンの光で小さな顔を照らしながら、「このラジオは充電式ではなくて乾電池を詰めるタイプのものなんだ。だから音量を上げるとその分電池の消費も激しくなる」

「そんな理由で音を大きくしないのかよ。意外とケチだな」

 ものの数百円単位の金の支出に姑が如くケチるなんて、ギャング達と事を構えているときの大胆な様子からは想像できない。

「しょうがないだろう。なんせ金は銃弾に湯水が如く消えていくんだ。ま、殺したギャングが同じ七ミリ口径の弾薬を持っていたら儲け物なんだがな」

「おいおい。それをやっていたらただの追い剥ぎじゃないか……」

「なに、オマケさ。大手ハンバーガーチェーン店にもあるハッピーセットのようなものだ」

「仕組みは同じでも内容が全然違うけどな……」

 つまりはハンバーガーを購入して玩具がもらえるのと同じでメリッサの場合はギャングを殺しておまけとして銃弾を得ると言うのだ。そんなショックなセットを子供向けメニューにすることなど出来やしないし、それならまだ自慰行為用途の大人の玩具が付属品の方がマシだ。

「おっと、ラジオが始まる。早くこっちに来い」ラジオの操作が上手くいったのか、チャンネルの操作完了と同時に音量のマイナスボタンを連打するのだから近づくしかない。

「っつたく、なんだか節約している君は二日しか一緒にいないが全く似合わない」

「ごちゃごちゃうるさい……」

 それからは二人で三十分程度、七時間前に生放送の終了されたニュースを聞いていた。しかしラジオ側からの発信がアルバカーキという特定の地域に向けてではなく、アメリカ全土に向けてのものだったので、ラジオから今現在に役立てられそうな情報は得られなかった。スピーカーから流れてくるのはアメリカと周囲諸国の情勢に関することや、アジアのとある国がミサイルを発射しただとか、漁獲量がどうだ、などのなんら意味のないものが大半だった。

 しかしそれからまた十分ほどが経過したところで、

『ところで我らがアメリカ合衆国では市長選挙運動が本格的に始まろうとしています』

 ラジオから男性キャスターの耳通りの良い声が聞こえてくる。外交問題などの事柄をある程度伝え済んだのか、次は話題が内政に転がっていくようだ。

『特に注目は南部地方ですね』と、思わぬところで直接関係のありそうな話題がラジオ内容から降って湧いてきた。それからは○○地域などは〜などの長ったらしい解説が続き、そして、

『そして難所といえばやはりアルバカーキですね』

 突如としてピンポイントに自分たちが暮らしている街が話題の中心となった。

『まだ選挙の日まで約六ヶ月が残されている訳ですが、それでもやはり目が離せませんね』

 ラジオのパーソナリティーが言うにはアルバカーキという地方はかなりニューメキシコ州の中では注目の的らしく、次期市長にはこの街最大の問題でもあるギャング情勢の改善が求められているらしいのだが、

「まぁ、そんな期待したって今までの市長も誰一人として出来た奴なんていないんだけどね」

 メリッサはラジオから流れてくる声に対して、どこか益体のない話をするように間延びした声で返す。

「なんなら市長なんかに頼らないで軍に頼めばいいのに」

「そういうわけにはいかないだろう。一応ギャングたちもアメリカ国民なんだ。手は出せない」

『市民間の意見はこれからの選挙活動により大きく変動するでしょうが、今のところ優勢なのはやはりニグレイ・マークレイ(、、、、、)氏ですね」

 その時、ディリオンの心臓が大きく跳ねる。メリッサには気付かれていないだろうが、その名前はディリオンの動悸を激しくするには十分だった。

『マークレイ氏は今期もアルバカーキの市長を任されているということですが、住民からの評価はいいと聞いています。アルバカーキはギャング問題が絡んでくる複雑な地域ですので市長の実際問題としての役目は「ギャング勢力を街からなくすこと」ではなく、「これ以上、被害が悪化しないようにすること」だそうですね。と、この面から見れば、マークレイ氏はかなり良い結果を残したように思えますね。ので、その分、今回の選挙でも優勢になることは間違い無いでしょう。住民も悪化するよりは現状維持を望んでいるはずですからね。————しかし前期からおかしな点と言えばアルバカーキの市長選挙への投票率の低下という問題ですが……』

 そうしてラジオは言葉を滔々と流していくが、ディリオンの思考は何か大きな石が水の流れを堰き止めているかのように停滞し、それと同時に自分自身を飲み込むかのような煩悶に襲われていた。

(……ッチ……)

 ディリオンは耳に————体に————心に刻まれたその名に苦虫を噛みつぶした様に顔をしかめるが、部屋は暗闇に包まれているのでそれがメリッサに気づかれることはない。

 だから赫怒し、はち切れそうになる感情を押さえ込んで、

「ラジオを切ってくれ」そのままもう一度床に転がり、タオルケットで顔を隠す様に覆った。

「……どうしたんだ?」メリッサはそんな彼に心配そうに声をかける。「体調でもすぐれないのか?」依然としてダブルベッドの上に腰掛けたままの彼女は不思議そうに首を傾げている。

「ああ。そうだな……。ちょっと疲れた……」

 そしてディリオンは今だけはメリッサの心配に乗っからせてもらうことにした。そうしなければ全てが露見して感情が爆発してしまいそうだったから。

 やがてラジオの音が消えて真っ暗な部屋に静寂が訪れる。

(まだこの街に巣食って誰かを苦しめるのか————)

 彼は夜空の星々すら見えぬ、部屋の壁に目をやった。それはとても黒く、到底誰かを幸せに出来るものなどではない。だが、それがどこか今のアルバカーキに酷似していた。


(————ニグレイ・マークレイ)


 彼はそのまま瞳を閉じる。

『ディリオン・マークレイ』はまだ知らない。

 数日後、運命の分岐点に立たされる事を。

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