一章 3
「おっと……、足をやられてしまっているな……」
「……」
黒いバンが走り去った大通りに面したガソリンスタンドでディリオンと赤毛の少女は向かい合うようにして座ってた。というのも地面に、ではない。ガソリンスタンドに併設されている小規模なプレハブの中でだ。まさか外に倒れたまま流血し続けるわけにはいかないし、いくら人通りがないからといって誰かに見られたら「病院に」ではなく、間違いなく「警察に」通報されてしまうだろう。ディリオン自身は別にそれでも構わないのだが赤毛の少女に関してはギャングの男に向けて銃弾を放ち一人を殺してしまっている。警察なんて呼ばれてしまえば即刻お縄にかかることになってしまうだろうし、そのような理由からプレハブに移動したのである。
ま、家の中に閉じこもっていた一般人が外に出て来て通報することはないだろう。
なにせ、ここら一帯の地域では車などの騒音が空気をかき鳴らす「静かな夜」から銃声が響く「騒がしい(きけんな)夜」に変化したのだから。しかし、銃声を耳にした全員が隣の通り(ストリート)での出来事だと認識しているのだろうが……。
「チッ……。なんだよこの店は、包帯の一つも置いてないのか?」
赤毛の少女は肩に担いでいた自動小銃『AKM』を折畳式の簡素な机に立てかけてから、部屋の中を物色していく。が、どうやら包帯などの医療キッド類は見当たらなかったらしく、小さく舌打ちをしながらありとあらゆる引き出しを開けていく。
「……。なぁ、誰だか知らないけど、あんまり散らかすと店長に怒られるんだが」
「なに? 痛くないのか? 随分と余裕だね」
「余裕なんじゃない。でも職を失ってしまうともっと余裕がなくなる」
「なんだそりゃ」
彼女は一瞬だけ手を止めて首を傾けると、フイとこちらに向き直る。
「いや、別にそんな難しいこと言ったつもりはないぞ、ただ単純にここでクビになったら次の職場がないってだけだ」
ま、それが命取りなんだけどな。と軽口で付け足して、目線を下に下げる。
「ほら、やっぱり痛いんだろう」
未だに撃たれた太ももは熱を持っていて、意識を患部に集中させると余計に痛みが広がってくる。
「まあ、痛いな……」
「だったら早く応急処置できるものを探さないと」
「でも、もう探す場所も残ってないんじゃないか?」
ディリオンは小さなプレハブの中をグルリと見回してから目線を少女の背中に持っていく。
「ないものはないで、今できることを考えないと」
「今できること?」
「そうだ。ほら、例えば俺はこうやってプレハブの中に退去したけど」
彼は痛む太ももに意識を集中させないためにも視線を窓の外に持っていく。
「ほら、君や俺が撃った奴らは黒いバンに乗せられて回収されたけどよ、血が残っているだろう」
「……そうだが?」
「まずは血の後をどうにかしないと人が通ったら怪しまれるし、通報ものだぞ」
基本的に近隣に住う一般人は隣の通り(ストリート)のことには関わりたがらない。なにせ、自分たちが巻き込まれてしまうことを何よりも恐れているのだから。
しかしそれが住宅街の連なる大通りで起きれば?
「あー、それはそうかもしれない」
少女の方もディリオンの言わんとしていることを理解したらしい。
「そういうことだ、パニックになる。なんせ、大通りでの殺人現場なんて一般人が見ちまえば自分たちの生活圏にまでギャング勢力が活動範囲を広げてるって嫌でも思っちまうだろうからな」
「よし、なら分かった」
彼女はそう言うと、徐に下ろしていた腰を上げてから机に立てかけていた自動小銃『AKM』を手に取った。
「?」
「あ、いや、これは護身用だよ。今から何をしようってわけじゃない。お兄さんは休んどきな」
「どういうことだ?」
「決まってるだろ。後片付けだよ、掃除さ。血の後のね」
つまらなさそうに歩いていく彼女の背中を目で追う。
「でもここがガソリンスタンドでよかった。だって、水圧の強いシャワーが使い放題じゃないか。任せときな、楽ちんだよ」
掃除(殺人現場の証拠隠滅)を終えた彼女はプレハブ内に戻ってきて呆れたように顔をしかめた。
「なにをやっているんだ。何も処置が進んでないじゃないか」
彼女が見ているのはディリオンの足。
「しょうがない、包帯も何もないんだから」
「やっぱりないんだね」
赤毛の少女がガソリンスタンドに備え付けられている洗浄シャワーで血を流している間、彼は小さなプレハブ内をくまなく探したのだが、結局お目当ての医療関係類は一切として発見されなかった。あったといえば店長の趣味のエッチな雑誌や、謎に賞味期限が長持ちするスナック菓子類くらいのものだ。
「この職場やめちゃえば?」
彼女はテーブルの上に乗せられている十八禁雑誌を軽蔑する眼差しで見下ろす。
「どうしてそうなる」
「ここって女性の社員(クルー)いるの? いたら結構趣味悪い。特に十代の女の子を雇っているなら」
「いるけどよ……」
「いるのか、ならここの店長はドスケベだ」
憤然とした様子の彼女は机の上に並べられていた胸元を全開にした表紙の雑誌を左手で払い除けて床に拭きとばすとディリオンの向かいのパイプ椅子に腰かけた。
かなりの安物なのか、細身の彼女が座っただけでギィと嫌な音を鳴らしている。
「っていうか、そうじゃない。俺の職場の店長が変態とかそういう話じゃなくて」
あまりに普通の会話が続くものだから、いつの間にか彼女のペースに乗ってしまっていたが、今はそんな日常に身を置いていられるような状況ではないのだ。
なにせ、つい二〇分前には目の前で人が死んでいるのだから。
「そういう話って?」
「言わなくても分かるだろ」
彼は吹き飛ばされてしまった表紙のエッチな胸の大きなお姉さんを指で刺す。
「憎たらしい」
「は?」
「なんでもない」
ディリオンは彼女の発言が理解できなくて首を傾げるが、それを誤魔化すように早口で疑問に言葉を被せてきた。
「……で、だ……」数秒の沈黙があり、彼は思い切って目の前の少女を直視する。
「君は、……君が『ギャング狩り』で間違いないのか?」
今までは自分の足の痛みや、店前の血痕など、そして自分を攫いにきた男たちのことが気になっていて少女自身に全ての意識を向けることができていなかったが、少女とのまるで殺人が行われた直後とは思えないような会話のおかげもあってか、心が一定の落ち着きを取り戻したディリオンはようやく彼女に全ての意識を集中させることができた。
「ボクはまぁ……そうだな……」
まず、第一印象は赤という色だった。なにせ、出会った当初全ての意識を向けられていなかったのにも拘らず、その印象だけはひしひしと体の芯まで伝わってきたのだから。身長は街中で噂されている通りの一六〇にギリギリ届かない程度。顔はシュッとしていているが、目は意外に大きく、見つめていたらその瞳に囚われてしまいそう。言い方を変えると『人を殺している人間の目には見えない』。体の線は全体的に細いもので、しなやかに思える。
胸が全くと言っていいほど無い(まな板である)のは言及しないでおこうか……。いや、だからこそ店長据え置きの十八禁雑誌の表紙を飾る巨乳グラビアアイドルが憎たらしいのか。
「……多分それはボクのことだな」
ディリオンの思考を遮る様に綺麗な形をしている口がゆっくりと開いていく。まさか夏前の六月にリップを塗っているわけではないだろうに、光の反射もあってかその唇はやけに美しい。
「やっぱり……」
「ま、ボク自身そう名乗った覚えはないんだけどね」
彼女は前髪を右手の人差指で軽く揺らしてつまらなさそうにする。
「でもそれで間違いはないと思うよ。だってやってることがその名前の通りなんだから」
机に立てかけている『AKM』の銃身をポンポンと、まるで子供の頭を撫でるように叩くと、彼女は次にしっかりとディリオンの目を見据えた。
「で、お兄さんはどういうわけ? ガッソーの店員さんにしては随分に歓迎されている様子だったけど?」
「……」
それは……。答えようとしたが答えられない。いや、答えたくない。もちろん、ディリオンは自分の過去の全て(、、、、、)を誰にだって話す気はないし、どれだけ話せと言われても、おそらく心の奥にある鎖が開こうとした彼の口を縛って絶対に閉ざそうとするだろう。
それくらいに過去は心の奥深くに封印されている。でも、話せる過去もある。例えば「今はすでに抜けているが五年ほど前まではギャングに所属していた」とか。
「……っ」
いや、でも彼女の前でそれは話せない。
なにせ、目の前にいるのは『ギャング狩り』なのだ。話せばこの場で目の前に立てかけられている『AKM』で掃射されかねないし、彼自身ハチの巣になるなんて御免被りたい。
「?」
どうした? という様子で目の前の少女は退屈そうに肘をつきながら首を傾げている。
「……いや、なんでもない」彼は一度自分の中に渦巻いている思考を断ち切るためにかぶりを振り、「俺もわからない」と小さく呟く。
しかしそれは完璧な嘘だった。なぜ自分が連れて行かれようとしていたかくらい、明確な理由は理解している。だけど、それは自分の中だけに留めておけばいいことだ。
「ふーん」
うまく隠せたつもりはないのだが、赤毛の少女はその返答にあまり興味を示さなかったようでそっけない口調で返事した。
「……そうだ。なんで君は『ギャング狩り』なんてことを?」
沈黙を破る様にディリオンは一番気になっていることを尋ねた。なにせ、この街でギャングを殺害するということはそのギャングが属していた組織(ファミリー)を全て敵に回すと言うことだ。ギャング達の共通項として、自分と同じファミリーに所属している人間は文字通り家族同然なのだ。身内(なかま)が殺されて黙っているわけがない。そして彼女はそんな危険を伴う行為を実行している。
「ギャングを殺す理由? 簡単だよ」
彼女は一度深いため息をつくと、うって変わった鋭い目つきで窓の外————先ほどの、つい数十分ほど前の殺人現場を見やる。
「仇討ちだよ、大事な妹のな」
そういえば彼女がギャングを撃ち殺し、スーツ姿の男と話していた時も同じようなことを言っていた気がする。なぜ言い切れないのかというと、あの時は自分の足に襲いかかってくる痛み、過去と対面しなければいけない恐怖、そして圧倒された彼女の存在に意識が奪われてしまっていたからだ。記憶できていなかったとしても無理はないだろう。
「……妹?」
「そうだ。ボクの双子の妹だ」
彼女は顔をしかめると自分の左肩あたり(、、、、、)を右手でギュッと力強く握る。
「ボクが一三歳の時に殺された大事な妹だ。今も忘れない……」
歯噛みしながら言う彼女はよほどの苦痛を抱えているようだった。
「それが、君がギャングを殺す理由か……」
「ああ。そうだ。この街にはギャングに家族が殺されても泣き寝入りするやつがほとんどだ。誰も悪いことはしてないのに、誰も殺されなきゃならないようなことは何一つとしてしていないのに、ギャングの気まぐれだけで一瞬でそれらは砕け散る。おかしいと思うだろ」
彼女は静かに————しかし、意志がこもった声で言葉を並べる。
「でも、誰もギャングに逆らうことはできない。自分の大切な家族が殺されているっていうのに、誰もこの街の奴らは反撃しようとしない」
彼女は悔しさに声を滲ませるが、それは仕方のないことだとディリオンは思う。
なにせ、仮に自分の身内が一人殺されたからといって、ギャング達に何かを仕掛けるとしよう。すると待っているのは報復だ。それもギャング達に何かを行った一個人に対する報復ではない。その人物と血のつながっている者全てへの報復だ。
だから誰も何もできない。自分一人が怒りに任せて事を起こしてしまえば、残された家族もすべて消えてしまうことを誰もが理解しているから。
いや、そんな事がなくたって意趣返しが出来る人間などどれほどいるものなのだろうか。
「ギャングの人数がどうした。報復がどうした。それすらもまとめて砕いて壊してしまえばいい。ボクは許せない。ギャングという存在が許せない。それだけが原動力だ」
言葉を放つ彼女のその目にはしっかりとしたものが確実に宿っている。
「あまりにも報われないだろう。ただ殺されて泣き寝入りするだけなんて。あんまりだ。浮かばれない」そして彼女は吐き捨てる。「この街は腐っている、ギャング達が腐らせたんだ」
しかし彼は知っていた。彼の過去が知らしめていた。
この街が腐る原因がギャングだけに起因するものではないということを。
彼女と話しているうちにいつの間にか時刻は深夜の四時を回ってしまい、勤務時間は残すところ一時間となった。
随分と長時間話し込んでいたものだから、図らずとも二人はかなり打ち解け合っていた。
「で、どうするんだ、その怪我」
深夜三時になってもプレハブ内に残っている彼女は未だに放置されたままの銃で撃たれたディリオンの足を顎でしゃくった。
「どうするも何も、どうしようもないだろ……」
一応、出血は止まっている(汗を拭くために携帯していたタオルで傷口を押さえつけていたため)ので命に関わることはないのだろうが、やはり放置したままというわけにはいかないだろう。タオルも湿っているし、ずっとこのまま放置というのは衛生的も問題が出てくる。
「しょーがない」
その様子を見てどう思ったのか、机を挟んで向かい合う形でパイプ椅子に腰掛けていた彼女は徐(おもむろ)に立ち上がり、こちら側に回ってきた。
「どうしたんだ?」
「ま、見てなって」
言うが早いか、ディリオンが疑問を発した時にはすでに彼女は彼の真隣にいて、しゃがみ込んで見せた。
「何する気だ?」
「ん? 怪我をな。流石にタオルじゃ持たないと思って、いいものがあるのを今になって思い出したから処置しておいてやろうと思ってな」、彼女はしゃがみ込んだ体勢そのままに、ディリオンのアルバイト制服の長ズボンの裾をめくると、傷口がある太腿まで上げようとして、
「あ、これめくれないやつだ」
当たり前のことなのだが、ズボンのサイズはディリオンに合わせて用意されたものなので、裾からめくっていけば余程ブカブカでなくては太もも辺りまでめくり上げることはできないだろう。
「どうしよう……」
それに彼女も気がついたようで、先ほどまでの会話の印象からでは絶対に感じとることはできないであろう困り切った声を上げた。
「(でも、処置してやるって言ってしまったしな)」
次に呟いたのは彼女自身にしか聞こえないほどの声だった。
「どした?」
途中までズボンをめくり上げて固まってしまった彼女を少し高い位置から見下ろしているディリオンは「大丈夫か?」という意味合いも込めて声を投げかける。
「な、なんでもない。でも、そうだな、そうだ……」
彼女は数回自分に言い聞かせるようにすると、
「治療してやる。ボクはそう言った。だからお前は治療されるべきだ」
なんだかよくわからない言葉をぶつ切りで並べ始めた。
「あ、ああ。まぁ、そうだな」
「だから、だ。治療するために」彼女は一度そこで言葉を止めてから、「……脱げ」
「は? 聞こえな……」
「ズボンを脱げ‼︎ 治療してやるっ‼︎」
聞きなおそうとした途端、急に早口で捲し立ててきた。だが、ディリオンからすれば丁度タオルが湿って使いものにならなくなってきた頃合いだし、何か処置を施してもらえるならそれに越したことはない。
「ああ。分かった」
それに応じて素直に席を立ってからズボンを脱いだのだが、
「な、なにをしているっ‼︎ なんで、言葉通りに脱ぐんだ‼︎」
彼女はそれを見た途端、顔を沸騰したヤカンのように熱くした。
「はぁ? どうしたんだよ。脱げって言ったのは君だろ……」
「そういうことじゃない。そういう事を言っているんじゃない‼︎ なんでボクの言う通りに素直に従うことができるんだ⁉︎ これでもボクは女なんだぞ、ほら、その、あれだよ、ほら、ボクに見られて恥ずかしくないのか」
言われて、視線を自分の下半身に持っていく。
「別に。だってほら、パンツじゃん。全裸ってわけでもないし、なんて事ないだろ」
「むっ‼︎ 無神経な‼︎」
顔を真っ赤にした彼女は一度立ち上がると、背伸びしてディリオンに迫ってきた。
「なんて事ないって⁉︎ お前はそういう性格かもしれないが、ボクはボクは……女なんだぞ‼︎ そんなものいきなり目の前で見せられてたまったものか⁉︎」
「なら、なんで脱げなんて言ってきたんだよ?」
「そ、それは治療するために……」
「じゃ、俺は治療してもらうために脱いでるんだ。別に君にパンツを見せるためではなく」
「そ、それはもちろん承知しているが、そういうことではなくて……視界に入ると、……」
「ま、気にするな。俺は君にパンツの一枚、いいや、百枚見られたところで何も感じない」
「なっ‼︎ 今の発言はどういう事だ! どう言う意味を含んでいる⁉︎ ボクが女に捉えるに足りないということか‼︎」
彼女は言葉を吐くと同時にディリオンの首元を両手で掴んで前に後ろに、右に左にと、ブンブン揺さぶる。その度に足の傷が開く感覚がして、
「痛いっ‼︎ おい、タンマだ。ストップだ‼︎」
「あ、ッ……ああ、すまない……」
どうやら怪我の方に意識を回していなかったようで、彼の悲鳴めいた呻きでそれに気がついた彼女は首元を掴んでいた手をそっと離す。
(ったく、本当に『ギャング狩り』なんだか……)
彼は小さく口の中で呟いて、顔を真っ赤にしている彼女を見やる。
まったく、人を数十人と殺しておいて、男の下着を見たくらいで緊張してテンパってしまうなんてホントおかしな話だ。この部分だけ切り取ればそれはもう「年頃の女の子」だ。
「で、俺はどうしたらいいんだ? もし治療が不可能そうならこのままタオルでなんとか家まで持ち堪えるけど?」
「いや、治療はする。女に二言はないからな……」
視線を窓際にそらしたまま、彼女は小さく頷いた。というか、「女に二言はない」なんて聞いたことがない。それを言うのなら「男に」だろう。ま、それについて言及はしないが。
「よし、治療をしよう」
一度、フゥーと、大きく深呼吸した彼女はディリオンに向き直ってからしゃがみ込んだ。
「さ、座ってくれ。今度こそ治療をする」
「わかった」
言葉通りに従い、彼が椅子に着席すると少女は血をたくさん吸ったタオルを傷口から剥がしていく。その際に長時間押さえつけたままだったからか、タオルが絆創膏のように張り付いてしまっていて、剥がす際にかなりの痛みを伴ったのだが、それには根性で耐え抜く。
「よし、じゃあ、包帯を巻こう」
「ん? 包帯ってなかったんじゃ?」
数時間前、彼女とディリオンはプレハブの中をくまなく探したのだが、医療キッド類は見つからなかったはずだ。それ以降もずっと二人で話をしていたし、彼女がどこかに買いに行ったということもないだろう。
「いや、あるって言い方をしていいのかはちょっと分からないんだけど、あるといえばある」
その微妙な言い回しにディリオンは首を傾げる。
「どういうことだ?」
「んー。簡単に言うと新品じゃなかったら用意できるってことだ」彼女は言葉と同時にシャツをめくる。「これだ」
すると、そこには左肩にグルグル巻きにされている包帯があるではないか。
「どうしたんだ、それ? 君も怪我してたのか?」
「いや、違う違う。これは怪我したから巻いてるんじゃなくて、なんて言うのかな? お守りを大事に保管するみたいな意味合いだ」
包帯を巻いて、お守りを保管している……? それは一体どういったことなのだろう。
「ま、いちいちアンタに話すような事ではないけどな」
彼女はディリオンの疑問をその身に受けながらも、軽く聞き流して包帯に手を掛ける。
「あ、だからボクは怪我してたわけじゃないから、包帯の衛生面の心配をする必要はないぞ。ただ、素肌に巻きつけていただけだ」スルスルと包帯は解けていき、彼女の右手に巻きついていく。「よし、取れた。足を出してくれ」
そして包帯を自分の腕から外し終えた彼女はディリオンが出した足を固定するように自分の膝の間に挟んでからビシッと鞭を引き伸ばすかのように包帯を左右に引っ張った。
「怪我はそこまで深くないようだな。よかった」
「これで深くないのか、結構痛いけど」
「そりゃ痛いだろうけど、まだマシな方だと思うよ」
彼女は慣れた手つきで包帯を傷口に巻きつけていくと、最後に力を込めて強く絞めた。
「っって……」
無理やりに締め付けられる痛みにわずかに声が漏れるが、これでも耐えた方だ。
「ま、帰って落ち着いたら病院行きなよ。流石に自然治癒を目指すのは無理がある」
「言われなくてもそのつもりだ」
「ま、病院では銃の清掃をしてたら誤射したとか、そういう嘘をついたほうがいい。馬鹿正直にギャングに撃たれたなんて言ったら診てくれる怪我も診てくれなくなるかもしれないから」
「だな」
彼は一つ返事で頷いて天井を見上げる。プレハブに取り付けられた安っぽい色の蛍光灯が辺り一面が真っ暗だと綺麗に見えてしまうのは不思議な話だ。
「じゃ、ボクはこれでそろそろ失礼しようかな」
「そっか、ま。君も気を付けろよ」
「大丈夫だよ、アサルトライフル担いでるような奴に近づいてくる痴漢なんていないよ」
「そういう意味じゃねーよ」
おそらく彼女も冗談で言っているのだろうが、あまり笑えない。なにせ、彼女につきまとう危険は痴漢なんて生半可なものではなく、ギャングの刺客なのだから。
「……」
やはり心配で、無言で軽口を叩く彼女を見ていると、
「あー。分かってるって、十分気をつける」
「おう」
「ま、ガッソーのお兄さんも何があるんだか知らないけど気をつけなよ。タイミングよく毎回毎回ボクが助けられる訳じゃないんだから」
「分かってる。今日は恩に着るよ」
彼女が背を向けて、ガソリンスタンドに併設されたプレハブから出るその時、
「あ、そういえば名前だ。聞いてなかった」
「あ、そういえばそうだね。結構な時間話してたのに。ボクはメリッサ。お兄さんは?」
「ディリオンだ」
ディリオン・マークレイと、フルネームでは名乗らなかった。
マークレイという姓は彼にとって呪縛でもあるから。
「そっか。覚えておくよ」
一度こちらを振り返って名前を告げた彼女————メリッサは今度こそディリオンに背を向けてプレハブを後にする。しかし振り向き様のその瞬間、
(……なんだ?)
包帯を外した左の肩口(、、、、)から何かが見えた。そこには、
————Stella————ステラ
と、タトゥーが入れられていた。それは誰かの名前のように思えた。
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