一章 2
それから二ヶ月が経過したある日、どちらかと言えば物静かな夜だった。
聞こえてくるのは隣の通り(ストリート)で車のエンジンを吹かせている音ぐらい。
キキィィィッ‼︎ ごおおおおおんっ‼︎ と、タイヤが地面に激しく擦れる音が聞こえる。
それでもディリオンは今日この日のこの夜を「静か」と表現した。
おそらくこの地域に住んでいる者でなければその音を「騒音」と表現してしまっているだろう。しかし、この街においてそれくらいの「騒音(おと)」はなんてことない「夜風」と同等の扱いなのだ。
「今日はやけに静かだな……」
ディリオンは都心兼ベッドタウンという不思議な作りをしている街の大通りに沿う形で店舗を構えいるガソリンスタンドの似合わない制服を着衣し、だらしなく壁に寄りかかっていた。
二ヶ月前に未成年犯罪者保護施設を出た後に彼は生活するるため、ガソリンスタンドでアルバイトをしているのだ。
突然だが、この街は安全かどうか? という質問をされればまず「そうではない」と否定する。そして「旅行地で有名なんですよね?」と問われれば「そうです(イェス)」と応えるが、それに付け足して「お昼間はね」と、苦笑気味に言うだろう。つまりそれは夜に外に出れば身の安全は保証できませんよ。ということを言外に示しているのだ。
大きくため息をついて体から酸素が欠如すると、新たな空気を求めて鼻から大きく息をする。
「くっせぇな……」
肺に取り込まれた酸素?(ほぼガスの匂い)に思わず顔をしかめてしまう。
「店長もいねーし……」
振り向いて、ガソリンスタンドに併設されている小さなプレハブを見るといつの間にか電気が消えてしまっていた。しかしそれも頷ける。
「なんで二十四時間営業なんだか……」
客は一人として来ていない。時刻は二三時。彼は今夜の十八時から店先に立っているのだが一九時を超えたあたりから客足がピタリと止まってしまった。
「だからなんで二十四時間営業なんだよ……」
もう一度同じように一人で愚痴る。客が来ないなら深夜営業なんて止めてしまえばいいのに。
彼は夜空を見上げると、その大きなキャンバスに映る星々に目を馳せる。どこまでいってもそれは続いていて、星々の配置が夏が近づいていることを教えてくれる。
しかし、このガソリンスタンドは都心兼ベッドダウンの大通り(ストリート)に面しているはずだ。
なのにどうして夜空なんてものが綺麗に澄み渡って見えるのだろうか。
「はぁ……」
それにはごくごく簡単な理由があった。
「————」
一面真っ暗。別に町全体が停電中とか、そんなことはない。一週間以上連続の快晴、電波障害も皆無。ただ、この辺りに住む人々が家の電気を消している。理由はたったそれだけ。
それが二〇時を回った辺り(、、、、、、、、、)から毎日のように、だ。
おかしいとは思わないだろうか。なにせ二〇時といったら大人気バライティ番組などが放送されているゴールデンタイムと呼ばれる時間だ。
「ま、いつものことか……」
しかしこの地域に住むものであればそれが日常なわけなので、なんらおかしいとは感じない。
いや、言い換えれば二〇時を回って明かりを付けている方がこの地域では非常識なのだ。
「ギャハハ」 ぶおおおおおおおおおん‼︎
しかし、その街の静寂をかき乱すように隣の通り(ストリート)からは高らかな笑い声まじりの喧騒や、車の音が聞こえてくる。
音を出している者の正体は簡単だ。例えばニューヨークやシカゴなんていう有名な地域からインタビュアーが来るなんてあり得ない話なのだが、仮に、来たとしよう。
そしてマイクをこの地域に住む住人に向けて「これらの騒音は誰が出しているのですか?」と尋ねれば皆口を揃えてこう応えるだろう、「ギャング達だ」と。
もしかしたら見せしめに怯えてそれすら答えない者もいるかもしれないが、基本的に悪いように言わなければそれくらいで何か報復されるわけではない。
なぜそこら辺の情報に関して詳しいかと言うと、彼自身そうだった(、、、、、)からだ。
「にしても、『ギャング狩り』か……。命知らずにも程があるな」
空の星は今日も澄んで見え、それくらいが危険な夜勤に就く唯一のご褒美だった。
しかし彼にはこれくらいしか仕事がない。なにせ履歴書に記入するような経験は一切持ち合わせていないのだから。いや、経験自体はあるのだが、まさか履歴書に『ギャング所属経験あり』なんて記入するわけにはいかないだろう。ま、そうなれば余計雇ってなどもらえない。なにせ、この地域の住人は誰一人として違(たが)わず、ギャングという存在に怯えているのだから。
いや、……だからこそ、
「ギャング狩り……」
彼は思い出す。二ヶ月ほど前に出会った赤毛のポニーテールの彼女のことを。
街で噂になり始めたのはつい一週間前あたりから。赤い髪に、高い位置でまとめたポニーテール。一六〇センチに満たないほどの身長で女性。年齢は不明。
そんな狐すらも首を傾げてしまいそうな信憑性のない話なのだが、彼はそれを信じていた。
いや、「信じていた」ではなく「知っている」と言うべきか。
迷信めいていると大多数の人は笑っているが(それを信じた場合に自分に復讐の刃がギャング達から向いてしまうのを恐れているのか)隣の通り(ストリート)では実際に十四人の死体が確認されたという。ギャング同士の抗争という可能性も捨てきれないのだが、それにしては壁に残る弾丸の跡が不自然だという話だった。なにせ、ギャング達は自分たちの誇りを示すため、水平撃ち————つまりはギャング撃ち(銃を地面と平行にして撃つ)方法を用いる(この撃ち方の場合は連射時でも、弾丸が縦ブレしてしまうことなく水平に飛んでいくメリットもある)のだが、殺人現場に残されたその弾丸の跡は右肩上がり、つまりは連射時にギャング撃ちをしていないということを示していた。
しかし、抗争の最中ではギャングとしてのプライドを誇示することよりも咄嗟の判断を優先した、という見方もあるのだが、全ての殺人現場で同じ形跡が残されているのではこの線は薄いと見ていいだろう。
それにギャング達が殺害されていた現場では一方的な銃跡しかないのだという。
つまりは闇討ち。一方的なもの、ということだ。
「よくやるよ……」
自分がギャングに所属していた経験を持つディリオンは深いため息で『ギャング狩り』をしている人物のことを想う。そして、
「呑気なもんだな……」
続けて隣の通り(ストリート)で騒いでいるギャング達に向けて心中を吐露する。
なにせギャング狩りなんて物騒なことをする奴がここ最近は活動を続けているのだ。
その対象が自分たちだというのに、これみよがしに「俺たちはここにいるぜ」なんて主張を騒ぐなどして誇示する必要があるのだろうか。それとも自殺願望でもあるのだろうか。
「ま、俺には関係ないけどな」
誰一人として客のいないガソリンスタンドは彼の愚痴が支配していると言っても過言ではない。夜風が頬を優しく撫でたかと思えばそれはハイオク臭を混ぜ合わせた人肌には心地よくないもので、顔をしかめてしまう。
「……っと……」
そんなことを考えていると、珍しく車がこちらに向かってきた。
つまりはお客さんが来たということだ。
「こちらです」
おそらく車内の人間には聞こえていないのだろうけど、店のルールなので声は出しておく。片手を持ち上げて大きめに振り、車を誘導していく。最初の方はこんな簡単な動作にもなかなかに慣れなかったが二ヶ月も経過すればなんてことない。
全身を使ってうまく誘導すると、ガソリンスタンドに入ってきた車は黒いバンで全面がプライバシーガラス(黒い靄がかかっているような窓)に付け替えられているものだった。
確か法律上、前席窓はプライバシーガラスを使用してはいけないはずだったのだが、ディリオンは警察官でもなんでもないただのアルバイトなのでいちいち注意したりはしない。
「ハイオクですか?」
それに、こんな時間に車を走らせている人物だ。普通の人間であるわけがない。
可能性としては「ギャング」が濃厚だろう。が、ギャングという存在達は派手な車を好んで乗りこなす性質がある。しかし目の前に停車している車は黒いバンというシンプルなものだ。
ギャング達が愛乗している車を暴れ馬と例えるならば、目の前の車は馬車だった。もちろんそういった車に乗るギャングも存在はするのだろうが、滅多にいるものではない。
「いいや」
そして、ハイオクですか? と尋ねたディリオンに対して車の窓が開いた……かと思えば、前後合わせて三つの運転席を除いたドアが開き、複数人の男が降りてきた。
(……まずい……)
彼は瞬時に危険信号を受け取り一歩後ろに引く。が、
「え……」
車から降り立ったのは不思議な集団だった。なにせ、一人はビシッときめたスーツ姿。そして残る二人は顔にタトゥーを入れ、半袖半パン姿の男達だったのだ。どうだろう、そんな対極のような存在が一緒にいるところを見て不思議に思わない人間など存在するのだろうか。
「ディリオン・マークレイだな?」
車から降りてきた男達はディリオンの姿を視界に捉えてからはっきりとした口調で告げる。
「……」
疑問はある。なぜ名前を知っているんだ、とか、お前達は誰なんだ、とか。
でも、そんな疑問を口に出すことなどできるはずもない。
「……そうだ」
なにせ、今彼は銃を向けられているのだから。
「一緒に来てくれるか?」
「どうやって俺のことを……」
「答える義務があるのか?」
口答え……疑問を発しただけだが、銃を持った男がこちらに一歩近づいて来た。そのタトゥーや格好から予測するにおそらく銃を持っている男はギャングだ。
「あるって答えたら……」
続けて放った言葉は賭けに近い。ここで撃たれれば彼らにとってディリオンは自分たちに抵抗してきた生け好かない存在。しかし撃たれなければ……、
「答えてやってもいい」
それは目の前の集団にとってディリオンが何かの『目的』であるということだ。
それも殺害なんて楽なもの(、、、、、、、、、)ではない、重要な何かの。
それで彼は理解した。
(こいつらは……俺のことを知っている‼︎)
反射的に心臓が跳ね上がる。
具体的に言うと目の前の男達はディリオンの『過去(、、)』を知っている。それだけで、いや、その事が銃を向けられているという命の危機よりも彼に焦燥感を募らせた。
「その代わり、車の中でな」
男はニヤリと笑みを浮かべる。おそらくディリオンのことをこの場から連れ去ることができるという絶対的な確証があるのだろう。なにせ、三対一だ。さらに運転手を入れれば四対一。
どれだけ屈強な男であろうとそれ程の人数差をつけられてしまえば手も足も出ないだろう。それにディリオン自身は格闘家でもなんでもない。
「…………チッ‼︎」
彼は小さく舌打ちをしてから腰に手をかける。そこにあるのは『グロック』————いわゆるハンドガンだ。アメリカ合衆国では一般家庭でも所持されているような平凡なもの。
しかしこの街で彼ら————すなわちギャングに銃を向けるということはギャング組織(ファミリー)そのものに歯向かうということである。だが躊躇はしない。
なにせ、彼らに連れ去られてしまってはそれ以上のこと————過去との対面(、、、、、、)が待っているだろうから。
時を待つ。油断したところを続け様に狙う。それだけに集中する。
依然として一人の男はディリオンに銃口を向けたままだし、もう一人のギャングらしき男はディリオンの身柄を押さえようとジリジリと距離を縮めてくる。
(まだだ……)
彼は心を無理やりに落ち着かせて、一瞬の隙を見極めることに集中する。
「————君の父親が待っている」
そしてその言葉が引き金になった。彼は銃を抜く。
最初に狙うのは銃を持っている男。発砲は一発。しかし確実に命中する。
なにせ距離にしてわずか三メートルだ。反動の少ないグロックでは外す方が難しい。
目の前の男から小さな水溜りに小石を落下させたように鮮血が跳ねる。傷口の周囲は一瞬にして真っ赤に染まり、それらがすぐさま広がりを見せる。
「「「なッ‼︎」」」
まさかの反撃に驚いたのか、他の三人が慌てて銃を抜いてこちらに向ける。
「……」
しかし、ディリオンは撃たれることはなかった。
お互いに銃口を向け合っているというのに男達はディリオンのことを撃たない。
やはり彼らはディリオンの過去を知っているのだ。だから撃ち殺したくても撃てない。撃てば自分たちがどうなるのか理解しているから。
「もう一度言う。君の父親が待っている」
「俺は戻らない。いくらでも抵抗するぞ」
「君も察しているようだが私たちは君のことを殺すことはできない……」
だけどね、そう付け足して、スーツの男は撃たれていないギャングに指示を出す。そして、
「ッ……ウグァッ‼︎」
次の瞬間にディリオンの左足の太腿(ふともも)が撃ち抜かれていた。
「殺さなければいいんだ」
スーツの男は蹲ったディリオンを見下ろす。
「殺さなければ君の父親は何をしてでも連れてこいと言っていた」
これ以上抵抗するのか? 目線だけでスーツの男はそう語り、ギャングに顎でしゃくる。
「……」
あまりの痛みにグロックを地面に落下させてしまったディリオンは抵抗する手段を既に持たない。
「さっさと立て」
痛みに悶えるディリオンを無理やり起こし上げたギャングの男は彼を肩に担いで持ち上げる。
「……くそ」
歯噛みしながら僅かな吐息交じりの声を漏らすディリオンにギャングの男は目も向けず、黒いバンに彼の身柄を詰め込もうとする。が、次の瞬間だった。
ドッドドドドッド‼︎ という音が周囲を席巻するように鳴り響く。
「……え?」
そして音が鳴り響くと同時にディリオンを支えていた男が真横に倒れた。そして、腹部から赤い液体を流している。ワケがわからず周囲をを見回すが、そこに映る光景は驚いているスーツ姿の男とディリオンに撃たれた男のみ。
先ほどと変わった光景など何もない。はずなのに、男が倒れている。
「なんだ……、何をした……」
スーツの男は先ほどまでディリオンを支えていたギャングの男が血を流して倒れているのを見つめ、かすれ声で呟く。しかしディリオンがその疑問に答えられるはずもなく————、
「————ギャングなんて潰しちまえ」
不意に背後から声が聞こえた。
「————そしてテメェらはなんだか知らないが、一般人に手を出してんじゃねぇよ。アルバカーキのゴミ屑供が」
その声はまるで鈴が鳴り響くかのように美しい声色だった。しかしながら発せられる言葉はまるで声音に似合わず、荒々しく、おぞましい。
振り向くと、そこには赤色の少女が屹立していた。
高い位置でくくったポニーテールを左右に揺らし、ゆっくりと歩いてくる。
「大丈夫か? ガッソーの兄さん」
ガッソー、とはおそらくガソリンスタンドの略称なのだろう。珍しい略し方をするものだ。しかしそんなことはどうでもよかった。
真っ赤な髪。一六〇センチに届く程の身長。
それらの特徴に当てはまる人物を彼は知っている。
「……ギャング狩り……」
痛む足を押さえながら思わず吐いたその言葉に、隣に立つスーツの男が息を飲む。
「実在したのか……」
「あ? それってボクのこと?」
赤色の少女はこちらに向かいながら確認するように自分のことを指差した。
見た目は完全に女性なのだが、どうやら一人称が「ボク」らしい。
「自分がなんて呼ばれてるなんて気にしたことはないけど『ギャング狩り』か。そりゃあ傑作だね」
この街————アルバカーキでギャングを撃つ度胸、そして撃ったあとも動じないその態度。
「で、あんたはギャングなの?」
気がつけば目の前まで迫っていた彼女はディリオンとスーツの男の間に入り込むようにして突き刺すような声で告げる。
「私はギャングではない」
「ならさっさとこいつら連れて失せなよ。片方————もともと倒れている方は生きているのか知らないけどボクが撃った奴は完全に死んでるよ」
彼女は自分が撃った男を軽く見下ろす。
「お前……、この街でギャングを殺す意味を分かっているのか……」
スーツの男は震える声で少女を見下ろす。
が、客観的にその姿を見ると、身長はスーツの男の方が二十センチも高いはずなのに、まるで見下ろされているかのように思えた。それくらいに赤い少女の迫力が過ぎる。
「殺す意味? 知らないよ。ボクはギャングが憎い。ただそれだけさ————」
肩に担ぐ自動小銃『AKM』を退屈そうに担ぎ直してから、少女は鋭い炯眼をスーツの男に向けた。
「————ボクは妹の仇を取る。そのために生きてる」
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