春にさよなら

野森ちえこ

本編

—ナツ—

願掛け背くらべ

 最後の坂をまえに呼吸をととのえる。

 子どものころはちょっとした登山のように思っていた。

 だらだら坂をのぼり、五十段はある急な石段をのぼり、うねうねと細い道を抜け、さらに急坂をのぼる——訂正しよう。大人になった今も、いやむしろ大人になった今のほうが登山しているみたいに思える。

 太ももとふくらはぎがヤバい。運動不足の身にはこたえる。これはまちがいなく筋肉痛になるやつだ。

「暑っ……」

 今朝がたまで雨が降っていたせいだろう。ぬるい風が土と草の湿ったにおいを運んでくる。むわっとした空気も、じっとり汗ばんだ肌にまとわりついてくるシャツも非常に不快だ。


 子どものころは山のぼりみたいなハードな道のりもただただ楽しかったのに——って、やだなあもう。年寄りみたいなこといってる。私まだ二十代なのに。

 いきおいよく息をひとつ吐きだして、止めていた足を動かす。

 このなんちゃって登山を不快に感じることこそ、私が大人になったという証拠なのかもしれない。

 しかも、しんどい思いをしてやっとたどりついたところで絶景が広がっているわけでもなかった。周囲を埋めつくしている集合住宅や戸建て住宅に視界がさえぎられ、見晴らしもへったくれもない。

 がんばってのぼるほどにガッカリさせられる。そんな坂の上の住宅街にはいる一歩てまえに目的地はあった。


 そこは小さな小さな、ほんとうに小さな公園だった。

 誰がなんといおうがここは公園である。と、たったひとつの、土台がバネになっている動物キリンの遊具が主張しているような気がする。乗るとビヨンビヨンするあれ(正式名称はスプリング遊具というらしい)だ。あとは二人がけのベンチがひとつ設置されているが、それだけでもうほぼ満杯というせまさだった。

 公園の背後に見えるのは今にも崩れ落ちそうなボロアパート。人通りもほとんどない。この世から忘れ去られてしまったようなさびしげな場所である。唯一の遊具がむしろホラーチックに見えてくる。いったいどうしてこんなところに公園なんてつくったんだろう。

 このせまさからして、土地があまってしまったとかそういう事情だろうか。でも、だからこそ、時代からとり残されたままこうして放置されているのかもしれない。


 どこか薄暗く感じる公園の片すみに、ひっそりと佇む桜の木があった。

 青い葉に残った雨のしずくが控えめにきらめいていて、すこしばかり色っぽく見える。

 せまい公園をよりせまく感じさせているような気もするのだけど、この桜もなぜこんなところに植えられたのだろう。

 時間が止まったようなこの場所で、桜の木だけが青々と生を刻んでいる。

 生と死が同居しているような、なんとも不思議な空間だ。


 じつをいえば、私は最初この木が桜だということを知らなかった。

 はじめてここにきたのは小学校二年生か三年生か、それくらいのときだ。季節もちょうど今とおなじ、梅雨が明けるかどうかというころだった。当然桜の花は散っていて、木には青々とした葉が生い茂っていた。私に桜を桜と認識させる要素がなかったのである。

 だから春になってここにきたときはすごく驚いた。そして満開になったときにはちょっと得したような気分になったものだ。


 ゴツゴツとした幹に手をはわせる。マジックで書かれた何本もの線が残っていた。

 幼なじみのハルと背くらべをした思い出のしるしである。かなり薄くなっている線もあるけれど、案外消えないものだ。


 ♧


 ——え、ナッちゃん冬生まれなの? ナツなのに!


 ——私は奈津なつで、夏じゃないもの。それをいうならハルちゃんのほうでしょ。


 ハルこと春乃はるのは秋生まれだ。


 ——あはは。そうだった!


 幼稚園で仲よくなったハルとの、一番古い記憶はたしかそんな会話だった。

 しかしハルの両親はなぜそのようなひねくれた名前のつけかたをしたのか。その理由は両親の名前にあった。父親が秋生まれの秋人あきひとで、母親が冬生まれの美冬みふゆ。秋と冬の夫婦である彼らは、子どもが二人ほしいと思った。そして最初の子には『春』がつく名を、つぎの子には『夏』がつく名をつけ、家族で四季をそろえたいと考えたのである。

 ほんとうなら自分たちとおなじように、誕生の季節も名前とあわせたかったそうだが、さすがにそう都合よくはいかなかったようで、ちぐはぐな名づけになってしまったらしい。

 ちなみにハルが三歳のときに誕生した弟の夏久なつひさくんは、やはりお約束というべきか春生まれだった。

 四季の名がそろった春夏秋冬家族。

 姉弟は名前と生まれた季節こそちぐはぐだったけれど、それで家族がゆがむようなことはなく、むしろ話のネタにしてしまうような、明るいおおらかな一家だった。


 ♧


 ハルはとてもいい子だった。それは優等生的な意味ではなく、人間的な意味での『いい子』だ。

 誰にでもやさしくて、明るくて、元気で。思いやりと、大切に愛されて育った人間特有の、無邪気な傲慢さを持った女の子。いいかえるなら、ハルは自分が正しいと思ったことをつらぬける強さを持っていた。

 そんな彼女は小学校でも人気者だったのだけど、男子にはよくチビ、チビとからかわれていた。今思えばきっと好きな子いじめというやつだったのだろう。いつもクラスで二番目か三番目くらいに小さかったハルは、そのうち自分の身長をとても気にするようになっていた。

 ちょうどそのころだ。この公園をみつけたのは。

 二人で遊んでいたとき、あんな高いところにも家があるんだねえ〜。すごいねー。行ってみようか! とか、そんなノリだったと思う。


 ——ねえねえ! ナッちゃんこっち! なんかあるよ。


 坂の上。住宅街につづく道のわきっちょに隠された空間。幼かった私たちにとって、人目につかないこの小さな公園は秘密基地のようだった。


 ——すごいねえ。おおきいねえ。なんの木だろ。そうだ! ね、ナッちゃん、この木で背くらべしようよ! あたし、まずはナッちゃんに追いつく!


 私は特別おおきいというわけではなかったけれど、クラスで背の順にならぶと真ん中よりはうしろになることが多かった。

 秘密基地テンションのせいか、牛乳飲んで運動しておおきくなるのだと俄然はりきりだしたハルだったけれど、ナイフやマジックなどなにも持っていなくて、ちょうどよい石などが都合よく転がっていたりすることもなくて、一度ハルの家までとりに戻ったことをおぼえている。

 この坂と階段をなんなく往復していたなんて、子どものエネルギーというのはすごいものだと、わがことながら当時の行動力に感心してしまう。


 ——背が伸びますように! ナッちゃんに追いつきますように!


 そういって、ハルはパンパンと手をあわせてお祈りしていた。背くらべというより願掛けである。

 そうして、それから月に一度か二度、私たちはこの木で願掛け背くらべをした。いや、願掛けをしていたのはハルだけだったけれど。なんにせよ、そんなにすぐ身長が伸びるわけもなく、ハルの線と、それよりすこしだけ高い位置にならぶ私の線、どちらも何重にもかさなっていた。

 それでも少しずつ位置が高くなっていく線を指でなぞる。


 ——ハル。


 途中から私の線を追い越して、ハルの線だけが増えていく。

 そうか。私がハルを避けるようになってからもハルはここにきていたんだね。


 ♧


 小さいころはそんなことなかったと思うのだけど、いつのころからか私の両親はケンカがたえなくなっていた。

 父はいつも不機嫌で、母も苛立っていて、家の中はつねにギスギスしていた。

 私はたぶんそれが恥ずかしかったのだと思う。もっとも当時は、その感情がなんなのかよくわかっていなかったのだけど、ただ人には知られたくないと思っていた。だから誰にも話せなかった。もちろんハルにも。いや、たとえほかの誰に話してもハルにだけは話せない。話したくないと思っていた。


 数えきれないほど遊びに行って、お泊りしたこともある。秋と冬の夫婦と春と夏の姉弟。四季がそろっているハルの家はいつもあたたかかった。

 家族みんな仲がよくて、ケンカをしてもちゃんと仲なおりができる。まるで物語の中に出てくるような、とてもやさしい家だった。寒い冬ですら、コタツがあるからあったかいよというような家。少なくとも私はそう感じていた。

 最初は心地よかったはずのそのあたたかさが、いつしかいたたまれなくなっていた。

 やさしい家で育まれるハルの健全な正しさ。

 困っている人はたすけ、落ちこんでいる人には寄りそう。あたりまえのようにそれができる、嫌味のない自然さがかえって嫌味に思えて、そのうち私は、彼女の顔を見るだけでみじめな気分になるようになってしまった。

 完全ないいがかりだ。わかっている。わかっていた。そのころにはもう、わかっていたのだ。ハルが悪いわけじゃない。ただの嫉妬だと、ちゃんとわかっていた。わかっていたから、なおさら苦しかった。

 だから五年生になったとき、クラスがわかれたのを機に私はハルを避けるようになった。新しい友だちができたふりをして、彼女から遠ざかった。それがまた自分をみじめにした。


 両親の離婚がきまったのは中学一年生のおわりのこと。私は母と一緒に母の実家に引っ越すことになったのだけど、理由が理由だったので転校することは町を出るまで黙っていてほしいと願い、担任はそれを聞きいれてくれた。

 また、すでに疎遠になっていたハルに別れを告げることもなかった。

 そうして春休みにはいってまもなく、私はひっそりとまるで逃げるようにこの町をあとにしたのだ。


 ♧


 父は離婚後すぐに再婚したとかで、この町を出てから今日まで私は一度も会っていない。

 母も私が高一のときに再婚したのだけれど、見知らぬ男性とおなじ家に住むということにどうしても抵抗があった私は、結局そのまま、就職するまで祖母の家でやっかいになっていた。


 ちょうど私の目線の高さに、最後に書かれたハルの線があった。そっと、線を包むように手のひらをあてる。


 ——ハル。私ね、イタリアに行くの。結婚するんだ。国際結婚だよ。びっくりでしょ。うちの親が親だったから、結婚なんて絶対しないと思ってたのに。たぶんもう、日本こっちには帰ってこない。両親はそれぞれに新しい家庭があるし、ていうかお父さんはどこにいるのかも知らないし、おばあちゃんも死んじゃったし。もうこっちには帰れる場所がなくなっちゃったから。そんなこといって、すぐに離婚してもどってきたら笑うけど。


 彼から求婚されたとき、どうしたわけかまっさきに思いだしたのがハルのことだった。走りまわって、笑いあって、たまにケンカもして。幼い日々の『楽しい思い出』にはいつもハルの存在があった。

 彼のプロポーズに、私はたぶんはじめて結婚というものを真剣に考えた。そして冷えきった両親を思いだすのと同時に、ハルの家のぬくもりを思いだしたのだ。


 記憶は遠くなるほど薄く曖昧になっていくのに、どうして思い出は濃くあざやかになっていくのだろう。

 ハルと過ごした時間が頭から離れなくなって、なんだかここにこなければいけないような気持ちになった。

 いざこの場所に立ってみても、正直なんのためにきたのかよくわからない。だけどもしかしたら、あの春の日に置き去りにしてしまった幼い自分を迎えにきたのかもしれない——なんてふと思う。ただの感傷かもしれないけれど。

 劣等感とか嫉妬とか、いじけた気持ちでがんじがらめになって、大切な幼なじみにさよならもいえなかった、あの日の私。


 ショルダーバッグから油性マジックをとりだして、今の私の背の高さに線を引く。


 ハルの最後の線はいつのものだろう。もしもここから身長が伸びていなければ、私とハルの身長差は子どものころからほとんど変わっていないことになるけれど。


 ——ハル。


 ハルからすれば、私はずいぶん身勝手な人間だったろうね。

 謝ったらゆるしてくれるかな。

 今さら謝られても困るか。

 そのまえにハルは今、どこでなにをしているんだろう。

 家の表札は変わっていなかったけれど。

 今も実家そこにいるのか、それともひとり立ちしたのか。

 おじさんとおばさんは元気かな。夏久くんはどうしているだろう。

 とりあえず帰りに寄ってみようか。


 ふいに見あげた空がくっきりと青い。そろそろ梅雨明けかもしれない。

 一陣の風にザァっと葉が音を立てた。

 葉に残っていた水滴がきらきらと宙に散る。

 どこからかカッコウの鳴き声が聞こえてきた。

 もうすぐ夏だ。

 日本で過ごす、最後の夏がはじまる。



     (了)

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