2/2 ジャンルによって読み方は変化する――ジャンル批評

 さて、ジャンルによる読み方の指定について、もう少し詳しく記述してみましょう。


 これについてはミステリというジャンル――より正確に言えば、その中でもフーダニット(犯人当て)と倒叙型ミステリの二つがもっとも説明に適しているように思えます。なにせ読み方が正反対だからです。


 H.R.F.キーティングは『ミステリの書き方』で、古典的な探偵小説に始まり、様々なミステリ作品のヴァリエーションを分類しています。


 そのなかで、倒叙型ミステリについて次のように語っています。


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 逆説的になるが、まっすぐに進むミステリについて述べてきたことの大半が、一見まったく逆に見える倒叙型にもあてはまる。"犯人はだれか"という吸引力のある質問は、いうまでもなくこの場合"犯人はどこで間違えたか"におきかえられる。これこそがこのタイプの作品において読者が求めているものであると、しっかりと頭に刻みこんでおかなければいけない。古典的探偵小説を書くときに、読者は"犯人はだれか?"という問いに答えるためのヒントを探しながら読んでいることをつねに念頭においていたように。

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 いわゆる古典的な探偵小説はフーダニット、つまり「犯人は誰か?」であると定義づけています。


 一方の倒叙型は――知らない人はいないと思いますが、通常のミステリとは逆に犯人が登場するところから始めてしまうものを指します。


 私は小説よりも、テレビドラマの『古畑任三郎』などを思い浮かべてしまいますが、とにかくそういう作品です。


 この二つは同じミステリというジャンルですが、読み方はまるで違います。当然の話ですが、フーダニット作品を倒叙型ミステリとして読んだら、とんでもないことになります。


 なにせ「犯人はどこで間違えたか?」も何も、普通フーダニットでは犯人が誰なのかわからないよう巧妙に隠されているからです。


 これでは犯人のミスや探偵(あるいは警察)と遭遇した犯人がどうやって切り抜けるか、あるいは切り抜けられないかを楽しむなど不可能です。


 一方、倒叙型ミステリ作品をフーダニットとして読んでも、やはりとんでもないことになります。


 なにせ「犯人は誰か?」も何も、倒叙型はまず初っ端に犯人が明かされてしまうからです。これでは犯人探しを楽しむことなどできません。


 このように、ジャンルによって読み方は変動します。


 恋愛小説だと言われれば人は恋愛要素に着目して読みますし、冒険小説だと言われれば冒険部分に集中して読み進めるでしょう。


 歴史小説や時代小説なら、史実の面白さ、時代考証の正確さなどに着目して読んでいきます。


 たいていの小説は、いくつかのジャンルの要素を同時に内包しています。


 ゆえに、冒険小説として読むと傑作だが恋愛小説として読むと凡作であるとか、コメディとしては一級品だが謎解きメインのミステリとして読むと凡庸であるとか、そういったことが起こります。


 つまり、作品をどう読むかで面白さもまた変化します。


 倒叙型をフーダニットとして、フーダニットを倒叙型として読むような頓珍漢な選択をすると、どんな傑作もあっという間に駄作に変わってしまいます。


 そういう意味ではジャンルの選択は極めて重要です。


 もっとも、たいがいは作者の指定したジャンルで読んでいけばよいだけの話なのですが、まれに作者が意図しない読み方で傑作になる例もありますから、作者の指定を盲信しすぎるのも考えものです。(了)

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