ナラトロジー(物語論)における語り手と焦点化

1/6 語っているのは誰か? という問題

※本文にある通り、ナラトロジー(物語論)における語り手の設定と焦点化について、個人的にまとめたものです。

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 ナラトロジー(物語論)において、小説はすべて誰かによって語られたものと見做されます。


 つまり、あらゆる小説には語り手が存在し、語り手が「これこれこうだった」と語っていると考えるわけです。


 語り手について、一般に「一人称小説」「三人称小説」というふうに分けて考えられていますが(ビュトール『心変わり』のような二人称小説もありますが割愛)、物語論ではこのような分け方をしません。


 というのも、この分類には大きな問題があるからです。ひとまず次の文章を読んでみましょう。


 コナン・ドイルの「赤毛組合」という作品の書き出しです(引用は光文社文庫『シャーロック・ホームズの冒険』所収の日暮雅通訳)。


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 昨年秋のある日のこと、わが友シャーロック・ホームズを訪ねてみると、年配の紳士と何やら熱心に話し込んでいた。相手の男はがっしりとした体格で赤ら顔、しかも燃えるように赤い髪をしている。じゃまをした詫びを言って帰ろうとすると、ホームズはいきなりわたしをつかまえて部屋の中へ引っぱり込み、ドアを閉めてしまった。

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 一般に一人称小説に分類されるものです。語り手は言うまでもなくワトスンです。では、次の文章はどうでしょうか。


 バルザックの『暗黒事件』の書き出しです(引用はちくま文庫の柏木隆雄訳)。


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 一八〇三年の秋は、「帝政期」とわれわれが呼んでいる十九世紀初頭の時期で、もっとも美しい秋の一つとなった。十月には何度か雨が降って野をよみがえらせ、樹々は十一月の半ばでもなお緑の葉を残していた。そのため、人々はその時すでに終身執政となっていたボナパルトと天との間に、何か暗黙の約束があると思い始めていた。彼の赫々たる成果の一つは天が助けたものに違いなかった。そして、まことに奇妙なことに! 一八一二年、太陽が彼を見捨てた日に彼の繁栄は終わることになる。

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 もう一つ、チェスタトンの「青い十字架」の書き出しも読んでみましょう(引用は創元推理文庫『ブラウン神父の童心』所収の中村保男訳)。


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 朝空の銀色の帯と、緑色に輝く海の帯とのあいまを、船はハリッジにつき、蠅のような乗客の群れを吐きだした。これからわたしたちが足どりを追うことになっている人物は、この人ごみのなかにまじっていると、すこしも目だたなかったが、目だたぬことは本人の望みでもあった。

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 語り手は誰でしょうか?


 いずれも「われわれ」とか「わたしたち」と一人称を使っていますから、これらの作品を読んだことがない、あるいは読んだが忘れてしまった人は、一人称小説であると勘違いするかもしれません。


 しかし、この二つの小説は一般に三人称小説に分類されます。


 なにしろ冒頭で「われわれ」とか「わたしたち」とか一人称を使っているこの語り手は、一向に作品世界に登場してこないのですから。


 小説は語り手が物語を語ることで成立します。


 よって、いわゆる三人称の小説であっても、語り手はいつでも自分のことを「わたし」と呼ぶことができます。上述のバルザックやチェスタトンの小説はそのわかりやすい例といえます。


 そして、だからこそ「一人称小説」「三人称小説」という分類は不適切である、とナラトロジー(物語論)においては見なされるわけです。


 語り手が「わたしは」と語り出したらそれは一人称である、と定義づけると、上記の小説はすべて一人称小説になってしまい、区別がつかなくなります。


 そこで、いわゆる物語論では「一人称小説」「三人称小説」という呼び方をやめて、「等質物語世界的な語り手」「異質物語世界的な語り手」という分類の仕方をします。


 語り手が作中人物の誰かである場合は「等質物語世界的な語り手」であり、語り手が作中人物でない誰かの場合は「異質物語世界的な語り手」となるわけです。


 この分類ですと、まず「赤毛組合」は言うまでもなく「等質物語世界的な語り手」です。


 ワトスンは作中に登場する人物であるからです。


 ちなみに語り手=作中人物で、なおかつ語り手がいわゆる主人公を兼ねる場合は「自己物語世界的な語り手」とさらに細かく分類されます。


 一方、『暗黒事件』や「青い十字架」は「異質物語世界的な語り手」です。


 この語り手は作中人物ではないからです。作中に登場することのない語り手(多くの場合は作者と同一視されますが、厳密に言えば別人)が物語を語ってゆきます。

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