第8話 黄金のジパング

大魚夜市おおうおよいち」は鎌倉時代から700年以上続く、堺の夏の風物詩として、人々に親しまれている。その起源は「住吉大社」の神様が神輿みこしにのって、濠と海で囲われた堺にある神様の休憩場「宿院頓宮しゅくいんとんぐう」に渡御する「夏越祓神事なごしはらえしんじ」に合わせて、漁師たちが魚を持ち寄って「住吉大社」へ魚を奉納し、余った魚介類を売るために魚市をたてたことと言われている。


 幸村が飛ばされたのは戦国時代の堺、大魚夜市で人々が賑わう大浜海岸だった。

 小さな人垣の真ん中で、幸村が本当に何の仕掛けもない藍色の布を広げて見せている。


「これから皆さんと一緒に念じて、ここに神様の御使い『白い雀』を呼んでみせます」


 まずはお賽銭を頂きます。大丈夫です、白い雀が現れなければ倍にしてお返しします、と言って藍色の布に賽銭を集めて廻り、最後に、途中でお賽銭がこぼれ落ちないように布の口をしっかり結ぶ。


「それでは、祈ります」と賽銭の入った藍色の布を両手で包み、ハンドパワー、カモン、コクモ、カモン、コクモと祈ると、布の中で何かが暴れ出す。更に、来てます、来てます、と祈る幸村。突然、空を見上げて叫ぶ。


「空を舞え!」


 おおーというどよめき、人々が空を見上げて、吉兆じゃ、吉兆じゃと口々に呟き、祈りだす。その隙に幸村は藍色の布を別のものにすり替えて、賽銭を懐に入れる。


 雲一つない青空の下、小雲が現れたり、消えたりしながら、パタパタと気持ち良さそうに飛んでいる。そして、集まった人々の頭上を二、三回ほどゆっくりと廻る。


「それでは、手を合わせて祈って下さい。白雀様はくじゃくさまに皆さんの願いを神様のところまで届けて戴きます」


 小雲が天高く舞い上がり、青い空の中に消える。そして、幸村が、皆さんの願いは神様に届けられましたと、空になった布を広げて見せる。


 ***


 小雲が霊化したまま、パタパタと飛びながら幸村に付いて来る。懐も温まったので、大浜海岸から大小路おおしょうじを歩いて、町中に向かっているところだ。

 堺の名は国境くにざかいに由来するが、町の中心を東西に走る大小路おおしょうじは、まさに北側の摂津国と南側の和泉国を分ける国境であるとともに、仁徳天皇陵や古都奈良へと通じている。その両側には酒屋、油屋、米屋、呉服屋、廻船問屋などが軒を連ね、旅籠はたごや飯屋、茶店なども人々で賑わっている。


『小雲は何が食べたい?お蕎麦は好き?』

『おソバってダレ?美味しいヒト?』


 小雲は実際に何かを食べる必要はない。幸村といるだけで、人々の祈りや念のエネルギーを吸収できる。神仏や霊にとって、あらゆる時空につながる特異点は、充電器の役割を果たす貴重な存在だ。


 何だろ?跡をつけられてるみたいだ。一人の男が幸村たちの様子を窺っている。小袖こそで肩衣袴かたぎぬばかまの出立ちで、腰に打刀うちがたなを差している。武士だ。面倒は御免だ、と思っていると、向こうから声を掛けてきた。


「御主、ちょっと待て」


 またか、と幸村が振り返る。殺気は感じない。


「見かけない服装だが、キリシタンか?」

「違います、ただの高校生です」

「高校生?まあ良い、茶でも飲まなぬか?」


『茶でも・飲まぬか、、』


 ナンパか?と思ったが違ってた。良かった。下手に拒んで、お手打ちにでもされたら、洒落にもならない。

 その男の名は万十話まんじゅわ、霊的なものが見える血筋だそうだ。これまで悪霊に憑かれた者は多く見たが、神聖な霊鳥を飼い慣らしている者は初めてなので、僕に興味を持ったようだ。そして「万」、恐らく、麻利阿さんと関係がある人だ。


 ***


 南宗寺は1557年に三好長慶が父の菩提を弔うために創建した臨済宗大徳寺派の禅宗寺院だ。

 万十話に案内されて、幸村が禅宗様式の二層建ての三門をくぐると、世俗との結界を超えた仏の世界が広がる。土塀で囲まれた境内は外の喧騒が幻かと思うほどの静けさだった。


一切衆生悉有仏性いっさいしゅじょうしつうぶっしょう」、禅宗では、万物は生まれながら仏性を持っていて、本来はみな清浄であると考える。けれども煩悩が邪魔をして、本来の自己に目覚められないため、煩悩を取り除く修行をする。

 悟りとは「お釈迦様の悟りの体験を自己の中に自覚すること」、仏性とは「言葉による理解を超えたものを認知する能力」のこと。従って、言葉で理解するのではなく、坐禅を組み、感覚的、身体的体験で自己を見つめ、仏性を悟るのである。


 つまり、自分の中にある本来の自分を、自分で取り戻すだけだ。特定の本尊や、経典へのこだわりもない。むしろ、何でもあり。悟ったもの勝ちとも言える。

 特に臨済宗は鎌倉幕府の庇護を受け、裕福で暇な上級武士層に広まったため、その「禅」は水墨画や能、詩、建築などに大きな影響を与え、多くの趣味人を輩出した。そして、それらを統合して大成したのが「侘び寂び」の茶の湯だった。


 戦国時代、日明貿易・南蛮貿易と鉄砲の大量生産で黄金時代を迎えた「堺」。「会合衆えごうしゅう」と呼ばれた有力商人が町を治め、傭兵を雇って自衛し、世界でも珍しい環濠都市を形成し、「東洋のベニス」の如く、その自由と自治、繁栄を謳歌していた。そして、その栄華の中、繁栄とは対極的な「侘び寂び」の茶の湯が大成された。


 元々、臨済宗は茶の湯との縁が深い。日本の茶の栽培や喫茶の習慣は、臨済宗の開祖栄西が宋から持ち帰った茶の種を寺で栽培したことから始まった。

 武野紹鷗たけの じょうおう、今井宗久、津田宗及などの豪商や多くの大名、武将が、世俗を離れて南宗寺で禅を学び、「茶禅一味」、茶の湯と禅の本質は同じという考えで、知識ではなく体で茶の湯を会得し、「和敬清寂」や「侘び寂び」という茶の湯の考えを深めていった。万十話もそう言った武将茶人の一人だった。



 南宗寺の境内にある茶室「実草庵じっそうあん」で幸村が万十話と向かい合う。万十話が抹茶の入ったなつめや茶碗を帛紗ふくさで清め、手にした茶杓に頭を下げて祈ると、精霊たちが静かに舞い降りて来た。

 その茶杓で抹茶を掬い、赤楽茶碗「名月」に柄杓で湯を注ぎ、茶筅でかき混ぜて茶を点てる。溢れる光のように、流れ落ちる水のように、余すことも欠けることもない所作。

 

「幸村くん、どうぞ」と茶碗を差し出す十話


 ありのままに飲めば良い、花が野に咲くように、今、生きていること、生かされていることに感謝して、ただ飲めば良い。


 口に含むと緑の抹茶は淡雪のように溶け、幸村の中で精霊たちの記憶が甦る。夜明けの海、星降る夜、草原を駆けぬける風、青い空に輝く透明な太陽、精霊たちが旅した何万年もの時間が甦る、、信じられない、けれど、そのすべてを幸村は知っていた気がする。



『面白い奴を連れて来た』


 誰かの声が聞こえて、現実に返る幸村。目の前に立っていたのは、大きな鎌を持ち、黒いローブを身に纏った美しい死神だった。



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