第3話 暴悪大笑面、私が犯人です

 木曜日 5:30 p.m.


 観音様、どこに行くんですか?晩御飯までに戻りたいんですけど。ついて来いって、ぶらぶらしてるだけじゃないか?だいたい、僕に憑いてるくせに態度がでかくないか、生意気だぞ。


「痛い!また叩かれた」


 すみませんが、心を読むのやめて貰えませんか?個人情報なんですけど。それに、観音様が何考えてるのか僕が分からないのは不公平です。神様がそんなだから世の中が良くならないんじゃないですか?そもそも、縁でなく、僕に祟るのは筋違いです。


「幸村くん、ちょっと煩い。今はそれどころじゃないし、私は真剣なんですよ。そこ、右に曲がって貰えますか」

「右ですか、さっきここ通りましたよ」

「 、、、」

「ひょっとして迷ってますか?」


 どうやら、この観音様は方向音痴みたいだ。しかも、ずっと杉山寺の観音堂に引き込もってたから、ここに800年以上も住んでたくせに土地勘もない。


『ただの役立たずじゃないか』


 また、叩かれた。やばい、心が勝手に余計なことを思ってしまう。どうすれば良いんだ?


「幸村くん、それが煩悩なのですよ。修行が足りませんね」

「でも、どうするんですか?ぐるぐる廻ってるだけで、何かあてはないんですか?」


 良いですよ、分かりました、滅茶苦茶、顔に出てますよ。観音様の心を読む必要はないですね。


「ないこともない。未だ遠くには行っていない、微かですが、この近くにいるのを感じます」

「僕は良いんですけど、時間は大丈夫ですか?」

「仕方ないです。いざという時は、幸村くんを道連れに潔くこの世を去りましょう」


 何言ってんですか?


「だから、特別に私が幸村くんを極楽浄土に連れていってあげます」

「何か覚えてないんですか?もっと真剣に考えましょうよ」


 実は犯人は顔見知りです。昔は杉山寺によく絵を描きに来ていた四十前後の男です。今朝、久しぶりに訪れた男は、夜明け前の薄明かりの中で、暫くは深刻な顔で私を見つめていたのですが、いきなり、私の体を両腕でだき抱えると、振り返ることもなく、石段を駆け下りて行きました。


「どうですか、幸村くん、これだけ手がかりがあれば、もう犯人の検討はついたんじゃないですか?」

「心を読めますよね?」

「気がかわりました。私は六道の内で修羅道を管轄しているんですよね。幸村くんは、極楽浄土ではなく、修羅道の阿修羅くんに預けた方が良いみたいですね。修羅道は終始戦い争うために苦しみと怒りが絶えない世界ですが、阿修羅くんなら、きっと幸村くんをしっかり鍛えてくれると思います」

「 、、、」

「嫌でしょ?そうだ、ひょっとしたら、幸村くんなら見れるかも知れない。念を送ります」


 これって、大村先生?


 ***


 木曜日 4:00 a.m.


 室町学園美術教師の大村が本堂に安置された十一面観音立像を凝視している。昨夜は眠れなかったようだ。

 世界情勢の不安と経済のブロック化で物価が急上昇し、数日まえに米国が大規模な金融緩和政策を急転換して、緊急利上げに踏み切った。市場に激震が走り、円は急落し、為替のFX信用取引で大村は証拠金をロスカットされ、一瞬で僅かばかりの財産の殆どを失ってしまった。

 眠れずに気がついたら、大村はここに来ていた。この苔むした石段の上から見下ろす町の景色、賑やかな商店街や朝夕の港、穏やかな空と海を描くことが好きだった。この町で生きて来た人のことを思いながら、ただ好きな絵を描いていれば幸せだった。

 魔が差しただけだ。四十歳になって、いつかは自分の作品を世の中に知って貰いたいという夢も諦めた。その心に空いた僅かな穴を埋めたのが、金銭欲や物欲だった。金があれば失った過去も取り戻せる、いつからかそう信じるようになっていた。


 暗闇の中で、大村は十一面観音の頭上にある十一面を凝視したまま、動くことができない。慈悲を表す菩薩面、怒りの瞋怒面しんぬめん、微笑み励ます狗牙上出面くげじょうしゅつめん、悟りの仏面、それらが大村を笑い、怒り、蔑み、哀れんでいる、何が何だか分からなくなって、自分を隠すように、この観音像を隠さなくてはならい、そういう衝動にかられ、気がついた時には、観音像を抱えたまま石段を駆け下りていた。


 どうする?金にはなる。

 ネットオークションで転売するか?

 由緒のある仏像だ、リスクが大きい。

 ガソリンをかけて燃やすか?

 戦国時代にそうしたように埋めてしまうか?

 それとも元の本堂に返すか?


 ***


 金曜日 8:00 a.m.


 幸村、政宗、縁の幼なじみ3人が、並んで学園に向かう大通りを歩いている。


「幸村、私を放って帰るなんて、いい度胸してるじゃない」

『幸村くんは度胸がないから、逃げたんですよ』

『そうでしたね』

「何の話してんだ?」


「盗まれた十一面観音か、きっと、もう日本にはいないな。あの観音像は良い顔してたし、それなりに有名だったから、堂々とネットオークションに出品出来るとは思えない」

『政宗くんは若いのに見る目がありますね』


 政宗が目を細め、十一面観音菩薩の方を見る、そして幸村の背後にまわり、幸村の肩に手をまわす。


『私の気配を感じたのか?一瞬だったが、この時代におよそ相応しくない、凄まじい殺気を放った。何者ですかね、彼の心を読むこともできない』


「まだ日本にいるみたいだ。それも凄く近くに。俺が必ず超魔術で観音像を探し出し、犯人を見つけて見せる。じっちゃんの名にかけて!」

「じっちゃんって、幸隆のジジイのことか?」

「やすっぽ」


 ***


 金曜日 3:45 p.m.


 ギリシャ・ローマ風の胸像が並ぶ美術教室に、超魔術研究会の近藤、土方、沖田、そして幸村と縁、政宗、大村先生、そして十一面観音菩薩が並んで立っている。


「大村先生、美術教室を貸して頂いて、ありがとうございます。超魔術研究会の部屋は手狭なので、助かります」

「上杉くん、本当にやるの?」

「はい。これから超魔術で杉山寺の十一面観音立像を探し出し、盗んだ犯人を当ててみます」


「まずは皆さん一人一人に小さな白紙を配ります。それを額にあてて観音様のことを思って下さい」


「それでは皆さんの念を回収します。6枚の紙を僕の手の中で丸めて、まずは皆さんの念を一つにしてみます」


 幸村が手を開くと、6枚だった白い紙は一枚になっている。そして、また、一枚になった白い紙を折り畳み、両手に挟み、頭を下げて祈りはじめる。

 呪文のように、きてます、きてます、観音像が呼んいますと唱える幸村。


 -見えました!-


 顔を上げて、大声で叫んだ幸村の視線の先を一斉に追う6人、一瞬、大村先生だけ視線が違う方にずれたのを確かめる。幸村から皆んなの目線が外れた瞬間に手の中の紙をすり替え、すり替えた白い紙を開く幸村。


「『ロッカーの中』と書かれています。皆さん、僕が確かめます。皆さんは少し離れていて下さい」


 教室の隅に置かれたロッカーの前に立つ幸村、そこで、どうするか考えている。


『幸村くん、どうするつもり?行き当たりばったりで、何も考えていないみたいですが』

『いつものことだから、気にしてません。でも、ロッカーの中にあるのは確かだと思います。問題は犯人ですよね、、、どうしよう、あれ、でも、何かきたみたい、、、何かいけそうな気がする』


「犯人が分かりました」


 大村の顔が青ざめる。その大村の目をしっかりと見て、大きな声で叫ぶ幸村。


「犯人はおまえだ、そこから出てこい!」


 ロッカーが音もなく開いて、十一面観音がゆっくりと現れる。そして、一歩、一歩、真っ直ぐに大村先生を見つめて歩いて来る。


「凄い!さすが幸村くん、十一面観音が歩いてる」


 近藤くん、土方くん、沖田くんが小躍りしながら、幸村を絶賛する。狼狽える大村先生の目を見ながら、幸村が続ける。


「見ての通りです。犯人は十一面観音です。ここまで自分で歩いて来たんです。苦しんでる人を救うために」


 大村の目の前に立つ十一面観音菩薩。


「本当ですよ。私が会いに来たのです、あなたが描く絵が好きだがら。幸村くんにお願いして、連れて来て貰いました」


 大村先生の隣で顔を見合わせる政宗と縁。


『マジか、十一面観音が喋ってる』

『それ以前に、自分で歩いてるよ』


「先生にお願いがあります。私の背面にある顔を描いて貰えませんか?幸村くんに、それをお礼として差し上げたいので」


 暴悪大笑面、十一面観音の後ろの面は、悪への怒りが極まるあまり、煩悩だらけの人の愚かさを大笑いする表情をしている。悪行を笑い飛ばして改心させ、善の道に向かわせようとする表情だと言われている。

 杉山寺の本堂に安直されていた観音像は、それが背にある光背や、壁面に遮られていたため、大笑面を拝観することができなかったが、目の前に立つ観音菩薩にはそれを遮るものは何もない。

 今、大村先生の目の前で、暴悪大笑面がその愚かさを大笑いしている。


 ***


 超魔術術研究会の近藤、土方、沖田には、種は内緒にしたいからと帰って貰った。それでも、3人とも、演出も、超魔術も素晴らしかったと大絶賛してくれ、自分のことのように興奮して喜んでくれた。

 政宗と縁もいなくなって欲しかったが、僕の言うことを聞くような二人ではない。さすがに、単なる超魔術だからでは納得しないと思う。でも、まあ、何とかなるだろう。


『大村先生はどうなるんですか?』

『罪を償って貰います。償わないと前には進めないので』

『僕は先生が描く絵が好きなんです』

『幸村くん、私も、絵を描いている彼が好きだった。誰のためでもなく、彼はただこの町と人々を愛し、絵を描くために生まれてきたんです。だから、彼もこの町と人々に愛されている、彼の絵にはこの町と、ここで生きてきた人たちの心が宿っている。彼はただそれを知らなかっただけだ。この町の外で高く評価される、そういうのとは違うかも知れない、けれど、私はこの町も彼のことも愛している、そして守りたい』


 暴悪大笑面を描く大村先生に語りかける観音菩薩。


「本当に、私はあなたが描く絵が好きだがら、あなたに会いに来たのです。先生には分かるはずだ、あなたの描く絵と私が同じだということに。先生、必ずやり直して下さい」


 ***


 幸村と政宗、縁が3人で十一面観音立像を運んでいる。


『自分で歩けないんですか?』

『無理ですよ。さっきのは私が実体化したのであって、木像が歩いたわけではないでしょ。でも、まさか私を実体化させてしまうとは、幸村くん、ただの特異点ではなかったようですね。できると思ったんですか?』

『まさか、なるようになれです。それに自分で歩いて来たって言うしかないでしょ?苦しんでる人のために』


 結局、大村先生は僕に暴悪大笑面の絵を描いてくれて、本当のことを杉山寺の住職さんに話した。住職さんは、よくあることですよって笑われたそうだ。

 先生が十一面観音立像を寺まで運ぶのは目立つので、学園に捨てられていたのを僕らが見つけて届けるという話に落ち着いた。今、杉山寺の本堂まで幸村と政宗、縁の3人で十一面観音立像を運んでいるところだ。


「大村先生が盗んだってことなの?」

「盗んだって言うより、連れて来てしまったって感じかな?」

「おまえ、何でそれが分かった?」

「だから超魔術だって」

「超魔術って、観音様まで出せるんだ。さすがに驚いたわ」

「まあいい、けれど無茶はするな。何かあったら、俺に相談しろ」

「俺じゃないでしょ、私たちにでしょ」

「分かったけど、このこと誰にも言うなよ」

「ずっとそうじゃん、私たちが言うわけないでしょ」


『余計なこと言うけど、幸村くん、政宗くんには気をつけた方が良いですよ』

『心配いらないです、僕は政宗を信じてます』



『でも、あの招き猫は何だったんだろう?』

『あれは私です。お供え物の開運!猫饅頭に宿って、何とか招き猫に姿を変えて、幸村くんが来るのを待っていたのです』


(十一面観音)


 十一面観音は観音菩薩の変化身へんげしんの一つであり、六観音の一つ。その深い慈悲により衆生から一切の苦しみを抜き去る功徳を施す菩薩であるとされる。

 頭の上に11の顔があり、苦しんでいる人をすぐに見つけ、見逃さないために、360度のあらゆる方向を常に見守っています。また、それぞれの顔は人々をなだめたり怒ったり、励ましてくれたりすると言われています。

 仏さまのご利益には、生きてる間にもらえる現世利益と死んでからの来世利益という二種類があります。十一面観音菩薩のご利益は十種勝利(10種類の現世での利益で、病気、不慮の事故から守られ、財産や食事の心配がないなどです)と四種功徳(4種類の来世利益で、臨終には如来に会える、地獄に生まれ変わらない、早死にしない、極楽浄土に生まれ変わるです)と言われ、修羅道に迷う人々を救います。

 多くの十一面観音像の頭上には化仏けぶつと十一面の変化面があります。頭上の正面にある阿弥陀如来のミニチュアが化仏です。これはこの観音が阿弥陀如来の化身だということを示しています。十一面観音に限らず、六観音すべてが頭上に戴く、観音の証です。

 通例、十一面観音の頭上面のうち、頭上には仏面(究極的理想としての悟りの表情)を配し、前3面が菩薩面(慈悲の表情)、左3面(向かって右)が瞋怒面しんぬめん(怒りの表情)、右3面(向かって左)が狗牙上出面くげじょうしゅつめん(歯を見せて微笑み励ます)、後1面が大笑面だいしょうめん(大爆笑している)で、11面です(本面を合わせて11面の場合もあります)。

 その容姿は、お釈迦さまが悟りをひらくまえの王子さま時代をモデルにした菩薩の姿であり、悟りの境地に至った如来よりも人間に近く、親しみやすい存在です。服装もきらびやかで、ネックレスやイヤリングなどの装飾品を付けています。

 性別を超越した中性的な存在でありながら、優しい表情、くびれた腰、その立ち姿は女性的で、右手を垂下し、左手には蓮華を生けた花瓶を持っている姿であることが多い。十一面観音はその深い慈悲により衆生から一切の苦しみを抜き去る功徳を施す菩薩であるとされ、女神のような容姿に造られたのかも知れません。

 戦国時代の重なる戦乱に巻き込まれ、明治の廃仏毀釈という仏教弾圧によって多くの寺はなくなってしまいましたが、それでも篤い信仰心を持った村人たちが命がけで隠し守った十一面観音たちは、今でも全国各地のお堂や収蔵庫で大切に保存されています。

 

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