第2話 盗まれた十一面観音立像と話す

 仁王門をくぐり、さらに苔むした石段を登ると茅葺屋根の小さな本堂(観音堂)がある。昨日まではそこに御本尊である木造十一面観音立像が安置されていた。

 今朝、いつものように杉山寺の僧侶が御本尊十一面観音立像のご宝前にお読を上げに来た時、そこに安置されていたのは三体の招き猫だった。


 ***


 幸村が教室の席に座ると、前の席の縁が話しかけてきた。


「聞いた?杉山寺の十一面観音が盗まれたって」

「聞いた、代わりに招き猫が置かれてたんだろ」

「放課後、招き猫を見に行かない?」

「行かない。面倒くさい」

「よし、幸村に彼女ができるように祈ってあげる」



 というわけで、僕は今、三体の招き猫を見つめている。その背後を見ない、絶対に見ないためだ。


「やっぱり猫の方が可愛い。私はあの観音像の薄ら笑いが嫌いだった。いなくなって清々するわ」


 そうだね、と頷いた瞬間、招き猫の背後にたたずむ何かと、目が合ってしまう、何か怒ってる?怖い。


「縁、そんなこと言うとバチがあたるぞ、ハハハ」


 と笑って誤魔化す僕。


「そうね、招き猫に祈っておくわ、バチなら幸村にあててって」


『その願い、叶えてやろう』


 え?


『おまえ、私が見えてるな?』


「もういいよね、帰ろ」


 縁の腕をとって招き猫が安置された本堂に背を向けて、石段の方に急ぐ幸村。


『ちょっと待って、幸村くん』


 思わず振り返ってしまう幸村。


『やっぱり見えてるね、私のことが』


 幸村の背後で、盗まれたはずの十一面観音立像が、十一面で、ふふふふふふふふふふふと不敵に笑っている。


「ウワァーーーーーーーーーーーーーーーーーー」


 縁を放り出して、石段を駆け下りる幸村。


 ***


 商店街の一角にある毘沙門堂は、昭和から続く骨董品店だ。店主の幸隆は幸村の祖父で、仏像、焼き物と日本画の鑑定には定評がある。

 毘沙門堂の二階、骨董品が雑然と転がっている居間はアルミサッシが開け放たれ、ベランダでは洗濯された幸村の白いTシャツが風に揺れている。居間を挟んでベランダの反対側は幸村の部屋だ。

 

「美味しい紅茶ですね」


 僕の目の前で、十一面観音が立像のくせに胡座をかいて、紅茶を飲んでいる気がする。でも、一応は本人に確認しておこう。


「どちら様でしょうか?」

「それ聞く?」

「ですよね、盗まれてなかったんですね」

「盗まれてるよ、体はね。でも、私はこの土地の人たちの祈りから生まれ、観音像に宿った守り神、杉山寺の本堂から離れることは出来ないのですよ」

「でも、僕の部屋に来てますよ」

「迷惑そうですね、神様なんですけど。まあ、ちゃんと説明しておきます。あなたは特異点なのです」


 つまり、僕はこの世と色々な世界を繋ぐ特異点なのだそうだ。目の前の十一面観音は、僕を通じて杉山寺の観音堂と繋がっているらしい。

 わざわざ僕の部屋まで来ているのは、僕に盗まれた観音像を取り戻して貰いたいからだ。


「警察に相談しましょう!」

「幸村くん以外には、私は見えませんよ」


 それに、それほど時間もないそうだ。観音像という宿りがなければ、観音堂に残された霊体も48時間以内に消滅するらしい。


『2日我慢すれば消えるのか』


「痛い!」観音像に叩かれた。霊体なので実体はないそうだが、叩かれると肉体ではなく、心が傷むらしい。ちなみに、さっき飲んでいた紅茶も幻で本物ではないそうだ。


「心の声も聞こえるのですよ。つまり、分かりますよね、逆らうとバチがあたるのです」


 ゆっくり立ち上がる観音像。


「悠長なことはしてられない。私が消えれば、この町を守って来た人々の祈り、鎌倉の時から800年以上も受け継がれて来た、ここで生きた人々の祈りが、失われてしまうのです」




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