第43話 紫眼の魔女
「……上機嫌だな」
鼻歌を歌いながら歩いているネネに向かってスーが言う。スーたちは一つ上の階にあるジョージの店に向かうため、馬と共に階段を登っていた。「もう階段、見飽きた……」と呟くメリアを無視して。
「当り前よ! 素敵な友達が出来たんだから!」
「嬉しそうならなによりだ」
「る、ルルも、楽しかったです……!」
「あら本当? よかった! また会いに行きましょうね!」
「う、うん……!」
「ねーえー……無視しないでぇ……」
メリアが情けない声を出し、三人が笑う。ジョージの店に行くにはまだ少しかかることをメリアに言わない方がいいかもしれない。スーがそう思っていると、急にルルが立ち止まった。
「ルル?」
ネネが不思議そうにルルの顔を覗き込むと、ルルは驚いたように目を見開いたまま、止まっていた。
『……す……けて……』
ルルの耳には雑音と共に、聞き覚えのある声が聞こえていた。ザラザラとした雑音の中、消えそうなその声を聞こうとルルが耳を澄ませる。スーたちが心配そうにルルを見る。
『誰か助けて‼』
その声はダイアの声で、明確に助けを求めていた。ルルが大きく目を見開く。
「ネネ‼」
「わぁ‼ ど、どうしたの、ルル⁈」
「ダイアが助けてって言ってる‼」
ルルの言葉にスーたちが目を見開く。ついさっきまで一緒に居たはずのダイアが、助けを求めている?
「ど、どこにいるの⁈」
「えっと……えっと……‼」
「助けてって、まさか、メカニックアニマルに襲われたとか……?」
「る、ルル‼ ダイアはどこ⁈」
「ま、待って……‼ 雑音が酷くて……‼」
ルルの耳に流れてくる声はダイアの声だけではなく、ダイアの声を掻き消すようにあたりの雑音を拾う。そして、その中でもひときわ大きな声を発している者がいるのだが、その声は不気味で、なにを言っているのか聞き取れない。
その時、スーは隣に立っているメリアが大きく目を見開いていることに気が付いた。
「メリア?」
スーが問いかける。すると、メリアはスーの方を見たが、その目はスーを捉えておらず、どこか違う遠くを見つめていた。
「……誰かが、呼んでいるの。ずっと、私のことを呼んでる」
「め、メリア? 誰かって……」
「ずっと無視してたけど、なんだか嫌な予感がする。ダイアが……ううん。エルダが危ない……」
「エルダ⁈ エルダも大変なの⁈」
ネネが困惑した様子で問いかける。ルルは耳を押さえ、うずくまっていた。すると、メリアがフラリと歩き出し、そのままスーたちの横を通り過ぎると、階段を駆け下りていく。ネネがメリアの名前を呼んだが、メリアは振り返らずに一目散にどこかに走って行く。
「スー‼」
「わかってる‼ ルルを頼んだ‼」
スーはルルに寄り添っているネネにそう言うと、走っていくメリアを追いかけた。
◇
エルダは、クローズド・ロウェル・シティの下層上部の細道に隠れ、息を潜めていた。隣の路地から大人の男たちの声と、ダイアの声が聞こえてくる。
「やめてよ‼」
ダイアは傷だらけの子犬のメカニックアニマルを庇い、男たちの前に立って両手を広げていた。子犬は白い毛皮を持っていたのだろうが、毛皮は半分以上が剥がれ、斬りつけられたような痕があった。足が一本壊れているのか、動かない。
ダイアは四人組の男を前にして、子犬を庇い、男を睨んでいるが、恐怖に耐えているのか足が震えていた。
「おい、ガキ。邪魔だ」
「痛い目に合いたくなかったら、そこからどいた方が賢明だぜ?」
「……大人の癖に、こんなことして恥ずかしくない⁈」
「はぁ? そんなのただの機械だろ! 人様が好きにしてなにが悪いんだよ!」
「暇つぶしに付き合ってくれんなら、別に嬢ちゃんでもいいぜ?」
男たちは質の良い服を着ている。ダイアは子犬を庇い、断固として動かない意思を見せた。
「いたぶるより、売り飛ばした方がよくね?」
男の言葉にダイアがビクリと肩を震わせる。息を潜めて話を聞いているエルダも青冷めた。
「それもそうだな」
男の一人がダイアに近づき、手を伸ばす。ダイアは青冷めながらも、近づいてきた男に平手打ちをくらわせた。パンッと大きな音が鳴り、エルダが思わず顔を覗かせる。
「いてぇ‼」
「触らないでよ‼」
「このガキ‼」
男がダイアを殴りつけ、ダイアが悲鳴をあげながら倒れる。唇が切れ、血が滲み、それでも男は容赦なくダイアを踏みつけ、ダイアの悲鳴が徐々に小さくなった。周りの男たちはニヤニヤと笑っている。ダイアの後ろで子犬が小さく唸り声をあげているが、動けない様子だ。
エルダは声も出せず、動くことも出来ず、その光景を見つめていた。
怖い。怖い。と頭の中でこだまする。襲うのは売り飛ばされそうになった時の恐ろしい記憶で、エルダは動けない。ダイアを助けなくてはと思うのに、足が凍り付いたように動かない。
「……やめて……」
ようやく絞り出した声はかすれていて、男たちの笑い声にかき消される。手を伸ばそうにも動けない。ダイアが徐々に動かなくなっていく。エルダが思わず目を瞑ろうとした時だった。
『ニクイ?』
聞こえた声にエルダが目を開け、振り返ると、そこには不気味ななにかがいた。
黒い絵の具の塊のようななにか。子供が落書きで書いたような赤い目と口が付いた異様なそれは、エルダのすぐ後ろにいて、上から覗き込むようにエルダを見ていた。エルダが大きく目を見開き、異様なそれから滴り落ちる黒い絵の具がエルダの頬を汚す。
『ニクイ? ニクイ? セカイガ。スベテガ。ホロボス? コワス?』
問いかけてくるその声は、頭の中に直接語りかけてくるようで気味が悪い。エルダは口を開こうとするが、唇から漏れるのは震えた息だけだ。
『ニクメニクメニクメ。コワセコワセコワセ。スベテヲ』
原形をとどめていないそれの黒い身体がエルダを呑み込んでいく。エルダは恐怖に呑まれながらも、心の中で懇願していた。「助けて」と。
『セカイヲ、ノロエ』
目を開けると、エルダは倒れたダイアの前に立っていた。目の前にはいったいどこから現れたのかわからない、一匹の大きな犬のメカニックアニマルがいて、それらの口と鋭い牙にはベッタリと赤い血が付着している。
そして、先ほどまで立っていたはずの男たちが、身体の至る所を犬に食い千切られ、うめき声をあげていた。
エルダは冷たい瞳で男たちを見つめ、振り返ると、倒れているダイアの頬に触れる。ダイアは怪我を負っているが、息はしているようだ。エルダがダイアに触れると、ダイアが顔を上げ、エルダを見た。
「……エルダ……?」
「ダイア。よかった。一緒に帰ろう。怪我の手当てをしなくちゃ」
ダイアがエルダの顔を見て大きく目を見開く。エルダの頬は黒い絵の具に混じって、赤い色で汚れていた。そして、エルダの紫色の瞳には、光が灯っておらず、ダイアを見ているはずなのに、遠いどこかを見ているようだった。
「……エルダ? どうしたの?」
「ダイア。ダイア。一緒に帰ろう。私、ダイアがいないと生きていけない。ダイア。一緒に帰ろう」
エルダの微笑みはどこか不気味だ。エルダの後ろで犬のメカニックアニマルが爛々と目を光らせている。路地の中は、黒い絵の具が飛び散っていた。エルダがダイアに手を差し伸べる。ダイアはただそれを見つめ、動けない。ダイアが庇っていた子犬ですら、低い、唸り声をあげていた。
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