第33話 奈落の底

「ちょっと‼ 離しなさい‼」


 男三人に腕を掴まれ、ネネは半ば引きずられるように連れていかれていた。男の一人が馬の手綱を引き、馬もネネと共に連れていかれていく。


「どこに連れていくつもりよ⁈」


「チッ。下層の子供はうるせーな」


 ネネの腕を掴んでいる男がネネの腕を強く引き、ネネが「いたっ」と声を上げる。男たちはどこへ向かっているのか、仄暗い路地を進んでいた。男たちの洋服は質の良い素材で、下層の下部に住んでいるわけでないことがわかる。


 その証拠に、男たちがネネに向ける視線は、見下しているような、身体中を舐めまわすような、悪意のこもった目線だった。


「離して‼」


 ネネは懸命に叫んで男たちに抵抗しているが、さすがのネネでも大人の男たちには敵わず、そのままズルズルと引きずられていった。


「なぁ、その荷物の中、何が入ってんだ?」


「なんか、小汚い本と、質のいい服」


「服は売れば稼ぎになるか?」


「まあ、別にめちゃくちゃ上等なわけじゃねーけど、本よりはましだな」


「触らないでよ‼」


 ネネがそう叫んだ瞬間、ネネの腕を掴んでいた男がネネを唐突に放り投げ、バランスを崩したネネがドサリと地面に倒れる。ネネが顔を上げると、目の前には簡易的に作られたようにしか見えない、手作り感あふれる柵があった。


「⁈」


 その向こう側を見てネネが息を呑む。柵の向こうには永遠に続く空があった。叩きつけられる地面もない、落ちれば永遠に奈落行きの空。どうやら路地の先は街の端っこだったらしいと理解したネネは、一瞬で血の気が引いていくのを感じた。


「いいか? そこで暴れたりしたら、俺たちはなんのためらいもなくお前をそこから突き落とすぞ」


「一匹逃したのは惜しいが、お前みたいな面の良いガキどもはいい値で売れてくれるんだよ」


「下層の子供が一人いなくなったぐらいじゃ誰も気が付かない。死にたくなけりゃ、大人しくしとくんだな」


 ネネがキッと男たちを睨んだが、男たちは全く気が付かずに馬の荷台の荷物を漁り出した。中層貴族がこんなところにいるわけがないため、この男たちも下層に住む者たちなのだろうが、男たちは下層上部に住んでいるからか、下層の最下層に住む者たちを見下しているようだ。


『ここら辺の人は優しい人もいれば、下層の子供を見下す大人もいる』


 ミス・フェルベールが言っていた言葉を思い出し、ネネが顔をしかめる。こういう大人がいるから、自分を守ってくれる存在を持たない子供たちは、スラムで息を潜めて生きるしかないのだ。

男たちを睨みながら、ネネはゆっくり立ち上がった。打ちつけた身体が痛む。腕にかすり傷が出来ていた。


 ネネがふと荷物を漁っている男たちの足元を見ると、一羽の小鳥のメカニックアニマルが転がっていた。人々に連絡用として使われる、機械仕掛けの小鳥だ。


「⁈ そんな……‼」


「あ、おい‼」


 小鳥に向かって手を伸ばしたネネを掴もうとした男の手をすり抜け、ネネは小鳥を拾い上げた。その小鳥は羽が一枚折れて飛べなくなっているだけでなく、片足を折られていて立ち上がれなくなっている。魔鉱石の力はまだ残っているようで、機能を停止していないが、小鳥の損傷は故意に与えられたものに見えた。


「酷い……これ、あなたたちがやったの?」


 ネネが男たちを睨みつける。小鳥はネネの手の中で力なく動いていた。


「うるせーな。暴れんなって言っただろ」


 男がネネを捕まえようと手を伸ばすが、ネネはその手を避けて男たちを睨んだ。男たちが心底面倒くさそうな顔をする。


「知らねーよ。前子供を連れてった時、どっかの親切な誰かがそれを使ってミス・フェルベールに伝えようとしやがったから、厄介だから壊しただけだ」


「……メカニックアニマルは魔鉱石の力が切れるまで動き続けるのよ。足が折れても、翼がもげても生きているのよ。よくこんな酷いことできるわね」


「なんだよ。メカニックアニマルなんて金属の塊で、ただの物だろ。生きてるも何も、命なんて元々ない」


「生きているわよ‼」


 ネネが声を荒げた。


「私たちと同じように動いて、命を持って生きているわよ‼」


「ピイピイうるせーな」


 その瞬間、男の一人がネネから小鳥を奪い取った。


「返して‼」


「金属の塊なんて、ゴミと大差ねーだろ‼」


 男が小鳥を投げ、小鳥が柵を超えて空へと投げ出される。ネネが息を呑み、次の瞬間、なんの迷いもなく小鳥を追いかけて柵から飛び出した。


「馬鹿かよ」


 男の一人が吐き捨てるように言う。柵から飛び出したネネは小鳥をキャッチしたが、そのまま足を踏み外して落ちた。


「死んだか?」


 男たちが柵の向こうを覗き込むと、そこには片手だけで辛うじて壁に捕まっているネネがいた。


「っ……‼」


 壁を掴んでいない方の手には小鳥が握られている。小鳥はピィと小さく鳴いた。


「大丈夫よ……私が治してあげるから……!」


 ネネが小鳥をズボンのポケットに入れ、両手で壁を掴んで上に上がろうとしたその時、男たちがネネの手を蹴った。


「⁈」


 慌ててネネがもう片方の手で壁を掴むが、頭上で男たちが悪意を持った笑みを浮かべてニヤニヤとネネを見ているのが見え、青冷める。


「しぶといな」


 もう一度蹴られたら、間違いなく落ちる、とネネが身構えた。男たちは容赦なく、ネネを蹴り上げようとしている。落ちればそこはなにもない、奈落だ。


「ネネ‼」


 聞こえた声に男たちが振り返った。ネネが壁に捕まりながら「ルル……?」と呟く。路地に現れたのは、息を切らせたルルだった。男たちが少し驚いたように目を見張る。


「あのガキ、さっき逃げた……」


 ルルは男たちをキッと睨むと、男たちに向かって走り出した。男たちは向かって来るルルを笑いながら待ち構え、小さなルルを捕えようと手を伸ばす。


 だが、ルルはまるで男たちがどうやって動くのかを理解しているかのように、いとも容易く男たちの手を避けた。


「⁈」


 容易く避けられた男たちが驚いて動きを止める。その隙にルルは壁に捕まっているネネに駆け寄り、ネネの状態を見て息を呑んだ。


「ルル⁈ どうやってここがわかったの⁈」


「いいから早く掴まって‼ そのままじゃ落ちちゃうよ‼」


 ルルがネネに向かって手を差し伸べる。ネネがルルの手を掴もうと手を伸ばし、ルルの後ろから、男が一人迫ってきていることに気が付いた。


「ルル‼ 後ろ‼」


 ネネが叫び、男がルルを後ろから捕まえようと手を伸ばした瞬間、ルルは後ろが見えていないにも関わらず、男の手を避けた。


「⁈」


 ルルに避けられた男がバランスを崩し、柵の向こうへと身を乗り出す。そして、そのまま悲鳴をあげて、奈落へと落ちていった。


「ネネ‼」


 ルルは落ちていった男を無視してネネに手を伸ばす。ネネは驚きながらもルルに言われた通りに手を伸ばし、ルルの手を掴んだ。


「てめぇ‼」


 残った男二人がルルに向かって行く。ネネが男の声に気が付いてルルの名前を叫んだが、ルルは逃げようとせず、懸命にネネを引き上げようとしていた。


「ルル‼ ダメよ‼ 逃げて‼」


「大丈夫……!」


 ルルはそう言うが、後ろから男たちが走ってきている足音が聞こえてきて、ネネは青冷める。このままでは二人とも殺される。


 その時、それまでずっと大人しくしていた馬のメカニックアニマルが唐突に動き出し、ルルに向かって来ていた男の一人に体当たりをした。大きな音と男の悲鳴が聞こえ、ネネが「なに⁈」と声を上げるが、ルルはたいして反応を示すこともなく、ネネを引き上げようとしている。


「いってぇ……なんだよ……‼」


 突き飛ばされた男が馬を見ると、馬はブルブルと鼻を鳴らしながら蹄を鳴らした。男たちが青冷める。


「きゃあっ⁈」


 その時、ネネを引き上げようとしていたルルが重さに耐えきれずバランスを崩し、二人の身体がガクンと重力に従って落ちそうになり、ネネが悲鳴をあげてルルが踏ん張った。


「ルル‼ 無理よ‼ 二人して落ちちゃうわ‼」


「っ……‼ 大丈夫……だよ……‼」


 ルルが踏ん張りながらそう言い、ネネが「え?」と問いかけた。馬に睨まれている男たちは馬にしり込みしつつ、ルルに近づこうとしている。


「スーが来たから……‼」


 ルルがそう言った瞬間、ルルに近づこうとしていた男たちの前に、スーが飛び降りた。男たちがギョッとして立ち止まり、スーは男たちを睨みつけてポケットから銀のナイフを取り出す。男たちの後ろでは、馬が蹄を鳴らしていた。


「殺されたくないならどっかいけ」


 スーが男二人に低い声で言うと、男たちは青冷め、情けない声を上げながら馬の横を通り抜けて逃げていった。


「スー……! 助けて……!」


「⁈」


 スーがルルの声で今にも落ちそうになっているネネに気が付き、ルルと共にネネの腕を掴んで引き上げる。引き上げられたネネは座り込み、ゼェゼェと荒い息をした。


「ネネ! ネネ? 大丈夫?」


 ルルが心配そうにネネを覗き込み、ネネが「な、なんとかね……」と弱々しく笑う。すると、ルルはネネのことを抱きしめた。


「無理、しないで」


 ルルがネネを抱きしめながら頭を撫でる。ネネの瞳に涙が溜まり、次第に身体が震え始め、ついにネネは声を上げて泣き出した。


「怖かったぁ……‼」


 泣き出したネネをルルが優しく抱きしめる。スーもネネが無事だったことに安堵しながら、泣きじゃくるネネの背中を優しくさすった。


 座り込む三人を少し離れたところから、馬が静かに見つめていた。

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