第32話 緊急事態

 馬のメカニックアニマルを連れて下層を下っていった三人は、時には梯子も階段もない壁から飛び降りつつ、ジョージに渡された地図をもとに、届け先の客人の家へと向かっていた。


 ジョージから手渡された地図に示された場所は、確かに下層の最下層とは言わないものの、ジョージの店がある上部からは離れていて、奥まった場所にある。


「おぉ……便利だな」


 そう呟いたスーの前には、飛び降りる以外に方法がないものの、梯子もなければ階段もない、飛び降りるには高度が高すぎる壁の上部で、地面から後ろ脚を飛び出させた馬のメカニックアニマルがいた。


 しばらく眺めているとキチキチキチという機械音がして、馬の後ろ脚が地面に向かって伸び始めた。伸びてくる足には梯子が取り付けられている。


「スー! 地面に着いたら教えて!」


「おー。落ちんなよ」


「そんなへましないわ!」


 上から顔を覗かせたネネが頬を膨らませる。ネネとルルよりも一足先に、壁の窪みやパイプを伝って壁を降りたスーは、ネネはともかくルルはどう頑張っても降りられないということで、二人が梯子を伝って降りることになったので、二人がもし足を滑らせたときの保険として下で待っている。そして、馬のメカニックアニマルの利便性に感動しているところだった。


「もの運び用のメカニックアニマルって、こんな便利な機能あんだな……」


「梯子降りたー⁈」


「降りたー!」


 馬の後ろ脚が地面に付き、壁に梯子が出来上がる。


「じゃあ、ルル降ろすから、落ちたら受け止めてあげてー!」


 ネネの言葉に、絶対落ちるだろうな……と思いつつ、スーが「おー」と答えた。すると、壁から恐る恐るルルが顔を出し、ネネの手を借りて身を乗り出すと、梯子を伝って降り始めた。スーが下でハラハラしながらルルが落ちないか心配そうに見つめている。


「ある程度降りたら飛び降りた方が早いわよー! スーに受け止めてもらいなさい!」


「ええ⁈」


 ネネが上から声をかけ、ルルが驚いて声を上げる。その瞬間、驚いたルルが手を滑らせ「あ」という小さな声とともに梯子から手を離してしまった。


「わぁ⁈」


 ルルが悲鳴をあげて落下したが、下で待ち構えていたスーがルルを受け止め、上からネネの「ナイス!」という声が聞こえた。


「ナイス! じゃない! 驚かせてんじゃねーよ‼」


「ごめーん……」


 スーに受け止められたルルは放心状態で、スーが「大丈夫か?」と声をかけるとハッと我に返った。


「ご、ごごご、ごめ……‼」


「あー……はいはい。謝らなくていいから」


 スーが謝ろうにも驚きすぎて声もまともに出せない様子のルルをそっと地面に降ろすと、ルルは腰が抜けたのかその場に座り込んだ。元々男が苦手でビビりなルルには、刺激が強かったのだろう。


「ほっ!」


 聞こえて来た声にスーが上を見ると、ネネがスルスルと器用な手つきで梯子を下りてきていた。身軽に梯子の中盤まで降りてくると、下で見ていたスーの方を向く。スーは嫌な予感がして顔をしかめた。


「スー! 受け止めて!」


 そう言うとネネは自分から梯子から手を離し、スーに向かって落下してくる。


「ふざけんな‼」


 スーが慌ててネネの落下点にいき、ネネを受け止める。ネネはルルよりも高い場所から飛び降りたため、受け止めたときの衝撃も強く、スーが「いっ……‼」と小さく声を漏らした。


「なによぅ。ルルより重いって言いたいの?」


「言ってねぇよ!」


 スーが多少乱暴にネネを降ろし、ネネが「もっと優しくしてよ!」と軽く文句を言った。そして座り込んでいるルルに気が付き、「大丈夫? ごめんね」と駆け寄っていく。


 まず咄嗟に受け止めたスーに「ありがとう」の一言を言えよ、と思いつつ、スーがふと梯子を見ると、キチキチキチ……という音と共に、馬の身体が壁から乗り出し、そのまま地面についた後ろ脚が縮み始め、馬の身体が降りて来た。スーが驚いてよく見ると、どうやら今度は壁の上部に残された前足が伸びて身体を支えているようだ。馬の身体が地面に着くと、馬の前足が縮んで元の姿に戻った。


「便利だなぁ……」


 スーが改めて呟き、ルルを立ち上がらせたネネはなぜか得意げにふふんと鼻を鳴らすと、馬に駆け寄って手綱を握った。


「メカニックアニマルはすごいのよ!」


「はいはい。わかったから」


「さて。この壁を降りたら目的地はすぐそこよ!」


 ネネがノリノリで指さした先を見ると、壁の横に細い通路があった。だが、その通路はギリギリ馬が通れるかどうか、というほど狭い通路で、スーが顔をしかめる。


「通れるのか?」


「ううん……ギリギリ?」


 ネネが頼りなさげに言うと、それに応えるように馬がブルルと鼻を鳴らした。ルルが驚いて「ひゃっ⁈」と声を上げる。


「い、いけるわ!」


「……そうか」


 馬はギリギリ通路を通ることができなかった。


「あら、まぁ……」


 ネネが困ったように呟く。通路を通れなかった馬が、どこか申し訳なさそうに振り返り、ブルルと鼻を鳴らした。


「荷物、手に持っていくか?」


「でも……この通路を超えてからもまだもう少しあるわよ? 届けるものが衣服だから、落としたりしたら汚しちゃうわ」


「……わかった。通れるとこがないか見てくる。ここで待っててくれ」


「あ、スー! 上から行けるところでもいいわ! この子なら降りられるから!」


 ネネの呼びかけに片手を振って応え、スーは軽々とたった今降りた壁をよじ登り、馬でも通れそうな場所を探し出した。目的地の家は奥まった場所にあるが、どこか天井が空いている場所があれば、馬をおろすことが出来るはずだと、家の一個上の階層から降りられる場所を探す。


 しばらく探し回ったスーは、降りられそうな穴を見つけた。老朽化によって接続が甘くなったのか、スーの身体の幅とほぼ同じぐらいの太さをしたパイプが落ちていたのだ。先ほどの壁からは少し離れており、降りても目的地から少し離れているが、問題なく馬をおろすことが出来るだろう。


 壁の所で待っているネネたちに伝えに行こうとスーがもと来た道を戻ろうとしたその時、物陰から小さな人影が飛び出した。


「ルル?」


 飛び出してきたのはルルだった。酷く息を切らせ、所々にかすり傷のようなものが出来ている。壁を自力で昇ることが出来ないはずのルルが、ここまでどうやって来たのだろう。しかも、この短時間でどうやって行先のわからないスーを探し出した?


「どうした? ネネは?」


 スーがルルに近づいていくと、ルルがスーに手を伸ばし、縋り付いてきた。スーが驚いてルルを見る。ルルが自分からスーに近づいて来るなんて、初めてだ。


「……がっ……!」


「だ、大丈夫か? 落ち着け。ゆっくりでいいから……」


 ルルが息を整えるために大きく息を吸い込み、スーのことを見上げて口を開いた。ルルはいまにも溢れだしそうな涙を堪えていた。


「ネネが連れていかれた……‼」

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