第30話 ドジっ子のルル

 次の日の朝。結局ジョージの家で一晩過ごしたスーは、酷く眠たそうにベッドから起きると、寝室のある二階から下の階へと階段を下っていく。ジョージの家のベッドはスーの普段の寝床とは比べものにならないほどフカフカで寝心地が良かった。起きたくないと思うほど。


「おはよう、スー」


 下の階に降りると、ジョージとネネがテーブルの席に向かい合って座っていた。ジョージは針と布を持って、装飾用のリボンを作っているようだ。スーが若干顔をしかめながら「おはよう……」と呟いた。


「スーが一番最後よ。うちのベッドの寝心地はどうだったかしら?」


「うるさ……」


 スーをからかうようにジョージが声をかけ、スーが酷く不機嫌そうにネネの隣に座った。ジョージがリボンを作る様子をじっと眺めていたネネが、頬杖をつきながらスーの顔を覗き込む。


「スーは結局洋服を着てみせてくれなかったわね。楽しみにしてたのに」


「そうよぉ。せっかく格好よく作ってあげたんだから、見せてあげたって良かったじゃない。よく似合ってたわよ」


「うるせーな。俺はあんな恰好似合わねーよ」


「エルになるんだったらああいう恰好することになるのよ。上層になるんだから」


 ジョージがサラリと言い、スーは静かにジョージを睨む。ジョージはスーの視線に気が付かないふりをして、黙々と作業を進めた。ふと、スーが隣にいるネネを見ると、ネネが一瞬暗い顔をしているのが見えたが、すぐにいつものネネに戻った。


「というか、どうしてミス・フェルベールは私たちに洋服を作ってくれたの? とっても嬉しいんだけど、私たち下層の子供たちは、あんなに綺麗な洋服を着る機会なんてないわ」


「いいじゃない、機会がなくても。ネネちゃんだって女の子なんだから、一度くらいお姫様になりたいでしょう? それに、私としても助かったのよ」


「どうして?」


「最近、子供たちの洋服を作って欲しいっていう依頼が多くてね。中層貴族の知人から依頼が来ることもあるし、練習したかったのよ。もう一人可愛い女の子がいたなら、もう一着ぐらい作っておけばよかったわぁ」


「中層貴族に知人がいるの? ミス・フェルベールはどこまでも顔が広いのね……」


「私ほどになればね」


 ジョージが得意げな顔をする。ジョージ・フェルベール、もとい、ミス・フェルベールの顔の広さは折り紙付きだ。下層のことは大抵なんでも知っていて、困ったことがあればミス・フェルベールに相談すれば何とかしてもらえる、と言われるほど。下層の住人でありながら、中層にも顔が効く、となるとその素性はどこまでも不明だが、誰も気にすることはない。


 なぜなら、ミス・フェルベールは下層の人々誰に対しても分け隔てなく、親切だからだ。


 それでもスーは、ジョージのもとに訪れるたびに着せ替え人形にされ続けた経験から、ジョージとあまり顔を合わせたくない。


 その時、二階の部屋からたくさんの本を抱えたルルが現れた。自分の背丈をゆうに超えるほど積み重ねられた本を抱え、フラフラとした足取りで階段を降りようとしているルルの姿を見て、その後に起ることは誰でも容易に想像できる。


「ルル‼」


 ネネが慌てた様子でルルの名前を呼び、立ち上がろうとしたが、ルルは案の定足を滑らせ、情けない悲鳴と共に大量の本をぶちまける。階段から落ちるルルに、ネネが「ルル‼」と慌てて駆け寄ろうし、スーもルルを受け止めようと立ち上がった。


 ルルが地面に叩きつけられることを覚悟し、ギュッと目を瞑ったが、いつまで経っても衝撃波やってこず、恐る恐る目を開けると、落下したルルの身体をジョージが受け止めていた。


「危ない、危ない。ダメよ、ルル。横着は仕事を増やすとよく言うんだから」


 いつの間に立ち上がっていたのか、ジョージはスーとネネが階段の前にたどり着くよりも早く、落ちてくるルルを受け止めたのだ。


 ジョージに抱きかかえられたルルはしばらくポカンとしていたが、ようやく自分の失態に気が付き「ご、ごご、ごめんなさい……‼」と慌て始めた。ジョージに先を越されたスーとネネは、ルルが怪我をしていないことに安堵し、あたりに散らばった本を拾い始める。


「そんなに持って帰るんなら、私の馬を使って帰った方が早いかしら」


 ジョージがルルを降ろしながら呟く。ルルに怪我がないかを確認し、ジョージは「あわてんぼうも困りモノね」と微笑んでルルの頭を撫でた。


「そうねぇ。私たちはミス・フェルベールの依頼である配達もしなくちゃいけないし、荷物が多いなら借りた方が良さそうね。その分、時間がかかるし、馬を返しに来なくちゃいけない手間が増えるのだけど……」


「別にかまわないわよ。せっかくネネちゃんからもらったのに、私はほとんど馬を使わないから、可哀想なの。返しに来るのはいつでもいいわ。ルルの本を家に運んでから、返してくれればそれでいいから」


 スーとネネが本を抱えて立ち上がる。二人で分けてもそれなりに量があり、これを抱えて持って行こうとしたルルの無謀さが伺えた。ネネが「ありがとう、ミス・フェルベール」と礼を言う。


「それじゃ、ルルの準備も終わったことだし、そろそろお仕事に行きましょうか。あんまりメリアを待たせるわけにもいかないしね。すぐ戻るって言ったのに、一晩泊まっちゃった」


「そうだ! 馬を返しに来るときにそのメリアちゃん? も連れてきて頂戴よ! 洋服作って待ってるわ!」


「ええ……メリアを連れてくるとなると、さらに時間かかるぞ……」


 ジョージの言葉にスーが顔をしかめる。すると、ジョージは「あら、べつにいいじゃない」とサラリと言った。


「それを手助けするためのスーでしょう? 男はいつだって女の子をお姫様にしなくちゃ」


「これ以上、俺に苦労をかけないでくれ……」


「あら。スーは私たちを足手まといって言いたいの?」


「言ってない! ルルはともかく、ネネは頼りにしてる」


 スーがそう言うと、ネネは嬉しそうに「スーにしては嬉しいこと言ってくれるじゃない?」と笑った。その後ろでルルがスーの言葉に不貞腐れたのか、ネネの服の裾を引っ張る。


「ルルも十分、役に立ってくれてるわよ」


 ネネがルルの頭を優しく撫でると、ルルが嬉しそうに笑う。二人の様子を見ながら居心地が悪くなったスーは「早くいくぞ」と二人に声をかけて部屋を出て行った。ネネがスーの様子に苦笑し、ルルは不安そうにネネを見つめる。


「いってらっしゃい。気を付けてね」


 ジョージはテーブルの席に戻り、三人にヒラヒラと手を振ると、リボンを作る作業に戻った。ネネとルルが「いってきます!」と元気に答え、部屋から出て行く。二人の背中を見送ったジョージは、愛おしげに微笑んだ後、小さく息をついた。


    ◇


 スーを追いかけて店の外に出たネネとルルは、店の横に置いてある馬小屋に向かい、そこで馬のメカニックアニマルの背中に取り付けられた荷台に本を乗せていた。


「スー」


「おぅ。ジョージが言ってた依頼の服、もう入ってるぞ」


「あら、本当? ミス・フェルベールは仕事が早いわね」


 ネネがスーに抱えていた本を手渡し、馬に近づいていく。ルルは怖がっているのか近づこうとしなかった。


 そのメカニックアニマルの馬は、馬とは呼ばれているものの、旧世界に生きた馬よりも一回りほど小さく、実用性重視の荷物運び用のメカニックアニマルのため、歯車とパイプと金属片で作られた、毛皮を持たない機械仕掛けの動物だ。荷物を入れるための荷台が背中に取り付けられており、人間が乗ることも出来る。


「ミス・フェルベールは本当にこの子を使っていないのねぇ。若干埃被ってるわ。このまま動かしたらどっかの部品痛めちゃうかも。ちょっと待ってて」


 ネネは馬の頭を軽く撫でると、身に着けているカーゴパンツのポケット中から小さな刷毛を取り出し、馬の足に溜まった埃を払い始めた。機械仕掛けの馬は大人しく目を閉じて汚れを落とされている。


「メカニックアニマルは埃で歯車が止まったりして動けなくなっちゃうのよ。定期的に綺麗にしてあげなきゃ。小鳥の子も綺麗にしてあげればよかったわ」


 なにも聞いていないのにネネは嬉しそうに話し出し、荷台にすべての本を入れたスーが「へぇ」と呟く。ルルは少し離れたところからその様子を見つめていた。


「よし! これで動いても問題ないでしょう。大人しくしてて偉かったわね」


 ネネが優しく馬の頭を撫でる。スーが手綱を引くと、馬はそれに従って歩き出し、ルルが慌てて馬を避けた。


「ルル、上に乗る? ルルの軽さなら乗れるわよ」


 ネネが楽しそうに言ったが、ルルは慌てて首を横に振り、ネネの後ろに隠れた。ネネは苦笑してスーと目を見合わせる。


「じゃあ、行きましょうか!」


 ネネが明るく言い、スーが馬の手綱を引いて歩き出した。

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