第20話 セリル・イントレイミ

 スーが驚いて振り返ると、先ほどまで鋭い嘴を二人に向け、こちらに向かって来ていたカラスたちが次々と地面に落ちていく。カラスたちは地面に落ちてはいるものの、小さな声で「ギャア」と鳴いているため、死んでいるわけではないようだ。敵意が一切感じられない。


「……な……なにが起っているんですの……?」


 ベロニカが信じられないと言うように呟き、後退った。その表情は青冷めている。


「あ、あなた、まさか、本当に魔女の瞳……」


 ベロニカがスーの腕の中でキョトンとしているメリアを見て口元を覆った。スーがそれに気が付き、メリアを守ろうとメリアを自分の後ろに庇う。


 逃げる隙を伺うが、ベロニカの身体は小刻みに震え始める。それは、最初は恐怖を物語っていたが、次第に、怒りへと変わった。


「許さない……許しませんわ……ワタクシからすべてを奪っておいて、あなただけは守られるなんて、そんなこと、絶対に許しませんわっ‼」


 ベロニカが二人に向かって走り出す。その手にはいつの間にかに大きな黒い羽が握られており、その羽の先端は刃物のように鋭く、光沢を放っていた。


 ベロニカがこちらに向かって来た瞬間、スーは素早くナイフを構えてベロニカに向かって行った。後ろから「スー⁉」というメリアの叫び声が聞こえる。


「ワタクシの瞳を返せぇっ‼」


 その時、スーの目の前に、目に見えないほどの速さで何者かが降り立った。


 スーが驚いて立ち止まり、ベロニカが羽を振り上げながら大きく目を見開く。その何者かは素早くベロニカに近づくと、手にした剣でベロニカの身体を斬りつけた。


「いやあぁぁっ‼」


 斬りつけられたベロニカの身体から、黒い絵の具が飛び散る。スーはその信じられない光景を、ただ茫然と眺めていた。


 身体の切り口から黒い絵の具を垂れ流しながら、ベロニカは膝から崩れ落ち、悲鳴を上げながら縋るようにこちらに手を伸ばしたが、その身体は次第にドロドロと溶けて崩れ落ち、最後には跡形もなく、黒い絵の具溜まりと成り果てた。


「……人食いの魔女……」


 ベロニカを斬りつけた人物が、足元に広がった黒い絵の具溜まりを見つめながら呟いた。


 その人物は、王族直系騎士団『エル』の特徴である、真っ白なコートに身を包み、背中に機械仕掛けの翼を背負っている。肩に付かないぐらいの長さの美しい青髪を持ち、端正な顔立ちをしていて、男のように凛々しい表情をしているが、その身体は細身で華奢だ。


 息を呑むほど美しい青い瞳を持つその人物の名前を、スーはよく知っていた。王族直系騎士団団長、セリル・イントレイミ。性別不明の団長の強さは下層にもよく伝わっているが、団長自ら下層に降りてくることは滅多になく、お目にかかれるのは奇跡に等しい。


 セリルが振り返り、スーと目が合った。セリルの美しい顔立ちに、スーは思わず息を呑む。セリルの動作と共に翻ったコートには、大きな天使の羽を象った金の刺繍が施されていた。


「……」


 セリルはしばらく黙ったまま、スーとその後ろで呆然としているメリアを見つめる。メリアが我に返り、スーの元に駆け寄って来た。


「貴様ら、この魔女とどういう関係だ?」


「え……あ、えっと……」


 子供たちが攫われていたこと、自分たちがカラスに襲われたこと、そのすべてをどう説明すればいいかスーが口ごもっていると、セリルの視線はスーの元に駆け寄って来たメリアの方に向けられた。


「貴様、何者だ?」


「……え、私……?」


 メリアが困惑した様子でスーとセリルを交互に見る。スーもなんと言ったらいいかわからず、ただ黙り込んだ。


「その頬の不思議なあざ。いったい貴様は何者だ」


「え、えっと……」


「スー‼」


 聞こえて来た声にスーとメリアが振り返ると、そこには数人の大人の男を引き連れてやって来る、子供たちの姿があった。女の子はこちらに走ってくると、メリアに抱き着く。


「よかったぁ‼ お姉ちゃんが無事で‼」


「え、ええ? 戻って来ちゃったの⁈」


「大丈夫だよ‼ 大人を連れて来たから‼」


「魔女が出たって行ったら付いてきてくれたよ‼」


 スーの元に駆け寄って来た男の子二人が得意げに言い、スーが「だからって……」と困惑の声を上げる。


「おい! 魔女はどこだ⁈」


「って、見ろ‼ セリル・イントレイミだ‼」


「エルの団長⁈ なぜ下層に⁈」


 子供たちに連れられてやって来た男たちがセリルの存在に気が付き、口々に驚きの声を上げる。大人たちの声に吊られてか、奥の方から騒めき声が聞こえ、それと共に人々がこちらに向かって来ている気配があった。


 大人たちの驚愕の視線を受けたセリルは、小さく舌打ちをし、少々名残惜しそうにメリアに一瞥をくれると、背中の機械仕掛けの羽を大きく広げ、クローズド・ロウェル・シティの上空へと舞い上がっていく。大人たちが感嘆の声を上げ、メリアとスーもその光景をただ茫然と眺めた。


 気が付けば、足元に広がっていたはずの黒い絵の具溜まりは、蒸発したかのように消え失せていた。


 徐々に小さくなっていくセリルの姿を見ていたスーは、ふと隣のメリアを見た。メリアの頬の不思議なあざに、不思議な力。謎は深まる一方で、スティファニーが言っていた通り、本当に人食い魔女が現れてしまった。そして、憧れであるエルの団長をこの目で見てしまった。


 ここ数日の驚きの連続を思いながら、スーはただ、自分と自分の隣にいる不思議な少女が無事であることに安堵するのだった。

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