第18話 ベロニカ

 メリアとスーは子供たちを連れて階段を上がり、外に出た。外に出ると、子供たちはずっと暗闇に囚われていたせいか「目が痛い」と顔をしかめる。


 外傷もなく、一応、食事も与えられていたらしいが、ずっと暗闇の中に閉じ込められていたことを考えると、どれほど怖かっただろうと胸が痛む。メリアもスーと同じ思いなのか、女の子の手を強く握って離さなかった。


「とりあえず、バアヤの所に戻ろう。バアヤも心配しているし……お前たち、どのくらい閉じ込められてたんだ?」


「三日ぐらい……」


「そうか。よく、頑張ったな」


 スーが両手で手を繋いでいる男の子二人に優しく笑いかける。


 その時、頭上から、カラスの声が聞こえて来た。


「⁈」


 スーとメリアが空を見上げる。カラスが一羽、路地の建物の上から、二人と子供たちを見下ろしていた。


「ギャア、ギャア」


 不快なカラスの声があたりに響く。子供たちが怯えて二人の後ろに隠れ、二人は子供たちを庇ってカラスを睨みつけた。


「ギャア、ギャア、ギャア」


 カラスの声が増え、スーとメリアが目を見開く。カラスの鳴き声が増えるとともに、一羽、また一羽とカラスの数が増え、カラスの黒い瞳が二人を見つめていた。


 あたりに無数のカラスが現れ、二人と子供たちはあっという間に囲まれてしまった。カラスたちは不快な鳴き声を上げながら、こちらをじっと見つめてくる。スーはモップの先端を外し、銀の刃を露にして身構えた。


「愚かしい。ああ、愚かしいですわぁ」


 突如、頭上から人が降って来た。その人物は路地の入口に立ちふさがるようにして着地する。


「ワタクシのコレクションを逃がしてしまうだなんて、なんと愚かしい方々」


 美しい金色の長い巻き髪を揺らしながら、突如として現れた女は、身に着けた黒いドレスの裾をつまみ、呆然としているスーたちに向かって、恭しくお辞儀をする。髪と共に、大きな黒いリボンが揺れた。


「ワタクシ、誠心誠意込めて、御もてなししておりましたのに」


 女が顔を上げる。右目は眼帯で隠れているが、左目は美しい金色だった。不敵な笑みを浮かべる唇は血のように赤く、小柄だが、その大人びた口調から年齢はわからない。


「ベロニカは優しかったでしょう? そちらにいる子供たち」


 ベロニカと名乗ったその女は、どこまでも不気味だった。スーが一瞬で敵意を剥き出しにして、女に武器を構える。


「あ、あれが魔女だよ……」


「僕たちを攫った犯人なんだ……」


 スーの後ろで男の子たちが怯えている。カラスに周囲を囲まれ、路地の入口もベロニカによってふさがれており、逃げ場はない。


「人の物は取っちゃいけないと、下層の貧乏人は習わないのかしら」


 カラスがバタバタと羽の音を響かせながら路地に降り立つ。真っ黒な絵の具で塗りつぶされた路地の壁と、真っ黒なカラスの身体が同化して、瞳だけが光って見える。


 ベロニカがゆっくりと歩き出し、メリアが女の子を庇いながらスーに近づいてきて「スー……」と呼びかけて来た。スーが声を潜めてメリアに声をかける。


「メリア……俺の合図で子供たちを連れて、あの女の横を走り抜けろ」


「え……? でも……」


「大丈夫だ。下層の子供たちは、ちょっとやそっとじゃ捕まらない」


 スーの言葉を聞いて、ただ怯えて後ろに隠れているだけだった子供たちが、力強く頷いた。それでも、メリアは不安そうな表情を浮かべている。


「メリアが捕まったら、絶対助ける」


 メリアが少し目を見開き、笑って頷いた。


「ヒソヒソ話がお好きなのですわね」


 ベロニカの声に、スーが前を向く。ジリジリと距離を詰めてくるベロニカはカラスの集団を引き連れ、不敵な笑みを浮かべていた。


「さあ、戻っていらっしゃい。ちゃんと、綺麗に飾ってあげますわ」


 ベロニカがまた一歩踏み出した瞬間、スーは大きく息を吸い込んだ。


「逃げろっ‼」


 スーの声が響いた瞬間、メリアと子供たちが脱兎のごとく駆け出した。意表を突かれたベロニカが動きを止める。子供たちはその幼さからは想像できないほどのスピードで、ベロニカの横を通り抜けていく。


「逃がしませんわ」


 ベロニカが振り返ろうとした瞬間、スーがベロニカに向かって走り出した。ベロニカがそれに気が付き、振り返ろうとして、やめた。


 次の瞬間、ベロニカが引き連れていたカラスが、大群になってスーに襲い掛かった。


 スーが驚いて止まり、カラスは真っすぐスーに向かってきて、スーは咄嗟にモップの柄で向かって来たカラスを叩き落すが、その数はあまりにも多く、落としきれないカラスの嘴が、スーの腕や顔にかすり傷を作る。


 スーがカラスの大群に襲われた時、思わず振り返ろうとしてしまったメリアは、ベロニカの横を通り抜けようとした瞬間、ベロニカに腕を掴まれた。


「⁈」


「あなた、綺麗な瞳をしておりますわね」


 メリアがベロニカの手を振り払おうとするが、ベロニカの力は強く、振り払えない。メリアの前を走っていた子供たちが、メリアが捕まったことに気が付いて足を止めようとしたが、メリアはカラスが数羽、子供たちを追いかけて行こうとしていることに気が付いた。


「私のことはいいから‼ 逃げて‼」


 メリアが声の限り叫び、子供たちは一瞬、不安げな顔をしたが、メリアの言葉に従って走り出した。見えなくなっていく背中に、メリアがほっと安堵する。


「こっちに来てくださいまし」


 次の瞬間、強い力で腕を引かれ、メリアが小さな悲鳴を上げながら尻もちをついた。メリアが「いたた……」と打ちつけた尻をさすろうとしたが、自分の頬に触れた冷たい手の感触に目を見開く。すると、顔を両手でつかまれて向きを変えられ、メリアの瞳にベロニカの顔が映った。


「美しい金色の瞳ですこと。ほら、ご覧になって。ワタクシも、美しい瞳をもっておりますでしょう?」


 ベロニカの左目は美しい金色だが、その瞳はどこか狂気的な光りを放っていて、メリアは恐怖で身が竦み、なにも出来ずにただベロニカの左目を見つめた。

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