第12話 下層のスラム

 スティファニーとステラの一件の翌日。ネネとスーに連れられて、メリアはクローズド・ロウェルシティ下層の入り組んだ道を進んでいた。階段を昇っては降り、曲がりくねった細い道を進み、時には壁を登ったり、飛び降りたりしながらどんどん奥へと進んで行く。


「ねぇ、二人とも……いまから会いに行く人はどこにいるの……?」


 すでに肩で息をしているメリアが、先に壁を登り、上から手を差し伸べているネネとスーに問いかけた。


「もっと奥よ。も~っと奥。ほら、メリア頑張って」


 ネネが苦笑いを浮かべながらメリアに声をかけ、メリアがスーの手を借りて壁を登る。相変わらず、この少女は下層で生きるには体力がなさすぎる。メリアは壁を登り、そのままその場に座り込んでしまった。


「もうやだぁ……」


「ほら、頑張って」


「スー……」


 メリアが悲痛な目でスーを見つめる。「助けて」と言われているようだ。負ぶってやるだけの体力は有り余っているが……。


「ダメよ、メリア。あなた、ちょっと体力なさすぎ。そんなんじゃ生きていけないわよ」


 ネネに一括され、スーは途中まで出かかっていた「負ぶっていく」という言葉を飲み込んだ。メリアはとても不服そうだったが、なにも言わずに立ち上がり、歩き出した。


 三人はそのまま、しばらく下層のさらに奥へと進んで行った。定期的にメリアはスーに向かって懇願するような目線を向けたが、スーはネネに怒られないためにあえてそれを無視し続けた。


    ◇


 下層の最奥。メカニックアニマルの巣窟になりそうなその場所には、下層の子供たちが集まって作ったスラムがある。大人たちの目から逃れ、ひっそりと暮らしている子供たちは、大半が親のいない孤児であり、全員で協力しながら暮らしている。そして、その孤児たちをまとめるのが、子供たちからバアヤと呼ばれる高齢の女性だった。


 三人は下層の最奥を進んでいく。すると、次第に居住区のような場所に出た。路地の中に金属板で好き勝手に作られた小さな部屋のような四角形が立ち並び、頭上にかけられた紐には沢山の洗濯物が干され、ひらめいている。そして、四角形についた窓やドアから、子供たちが顔を覗かせ始めた。


 少し大きい子供もいれば、まだ歩くのもやっとというような小さな子供もいる。子供たちはスーとネネを見ると顔を輝かせ、こちらに駆け寄ってきた。


「スーとネネだ!」


「帰ってきたの?」


「スー、遊ぼうよ!」


「ネネちゃん! こっち来て!」


 子供たちがスーとネネの周りを取り囲み、三人は身動きが取れなくなる。


「遊ぶのはまた今度な。今日はバアヤに用があってきたんだ」


「バアヤはいつもの場所にいるの?」


 ネネの質問に子供たちが「うん!」と大きく頷く。そして、子供たちはようやくスーとネネの後ろにいるメリアに気がついた。


「誰⁈」


 興味津々といった子供たちの目に、メリアが少したじろぎ、スーの後ろに隠れようとしたが、好奇心旺盛の子供たちはそれを許さなかった。あっという間にメリアを取り囲み、質問攻めを開始する。


「どこから来たの⁈」


「名前は⁈」


「不思議なひとみの色!」


「可愛い!」


「スーの彼女⁈」


「それは違う!」


 スーが思わず声を上げる。子供に取り囲まれたメリアはまるで借りてきた猫のように小さくなり、苦笑いを浮かべていた。いつもは自分が好奇心の塊のようで、目を離せばふらふらとどこかにいく子猫のようなのに、子猫は他の猫に囲まれると大人しくなってしまうようだ。


「あらら……いつもは自分があんな感じなのにね」


「そうだな」


 スーとネネは少し離れたところからその様子を見ていたが、メリアが助けを求めるようにこちらを見ていることに気が付き、子供たちを嗜める。


「ほら、みんな! メリアが困っているわ。バアヤのところに行かせて」


「戻ってきてくれる⁈」


「あぁ、戻ってくる。戻ってくるからメリアをどこかに連れて行こうとするのやめてくれ」


 メリアはすでに数人の子供に腕を掴まれ、連れていかれる寸前だった。ネネとスーに嗜められ、子供たちは「えー」と不服そうな声を出したものの、メリアを解放して「またね!」と言いながら去っていった。


「……嵐みたいだった……」


 解放されたメリアが息を吐きながら呟く。


「災難だったな。でも、また帰りに絡まれるぞ」


「いい子たちなのだけど、好奇心が強すぎるのよ。許してあげて」


 すると、一人の少年が三人に近づいてきた。他の子供たちより少し大きいが、ネネたちよりは年下に見える。少年は三人に微笑むと「バアヤが呼んでます」と言い、三人の案内を申し出た。


 少年に案内され、三人はスラムの奥へと進んで行った。スラムの奥には紫色の布がテント状に張られており、そのテントの下に座っているバアヤがいた。


「おお、よく来たねぇ。久しいじゃないか、ストレリチア、ネネ。して、その後ろの嬢ちゃんは誰だい?」


 皺だらけの顔と手足をしたバアヤは、スティファニーと似た星座柄の紺色のローブを身に纏った、小柄な老婆だ。年のせいか、白く染まった髪を一つにくくり編み込みにしており、瞳の色は深い緑色をしているが、少し色が濁っている。そして、右目には大きな傷があり、白く濁って目が見えていないようだった。


「こんにちは、バアヤ。この子はメリア。メリア・リンセントよ」


 ネネがメリアを前に出し、バアヤに紹介する。


 バアヤ、と子供たちに呼ばれている高齢の女性、シュリル・ローグキッドは、下層の孤児たちをまとめるリーダー的な存在だ。下層の子供たちは全員、一度はバアヤの世話になる。自分一人の力で生きて行けるようになるまでは、このスラムでバアヤに衣食住を与えられ、他の子供たちと協力しながら生きていく。


 バアヤは濁った瞳でじいっとメリアを見つめ、メリアはその目に見つめられて落ち着かない様子だった。


「可愛らしい子じゃないか。いったいどこから来たんだい?」


 バアヤがメリアに手を差し伸べ、自分の近くに来るように促す。バアヤが動くたびに腕に着けられた様々な石でできたアクセサリーがジャラジャラと音を立てた。バアヤのしわがれた声は少し不気味だが、下層の子供たちにとっては落ち着く、温かい声だ。


 メリアはバアヤに促され、バアヤの前に膝をついた。テントの中には様々な道具が置かれている。不思議な生物を象った壺や、多様な色をした水晶玉、大小さまざまな石たち、不思議な文字で綴られた大量の本。バアヤのテントの中はいつも、煙のようで少し甘い匂いがした。


 自分の前で膝をついたメリアの顔にバアヤが手を伸ばす。バアヤの皺だらけの両手がメリアの頬に触れた。


「……わからないの」


「わからない? それは不思議だねぇ」


「メリアは落ちて来たのよ、バアヤ」


「落ちて来た? どこから?」


「さあ、わからないわ。その子、私たちと会ったときには記憶がまったくなくて、自分の名前もどこから来たのかもわからないみたいなの」


「そんな素性がわからない子を今日まで連れてこなかったのかい?」


 バアヤに言われ、ネネがばつの悪そうな顔をする。


「ごめんなさい、バアヤ。メリアの現れ方が衝撃的過ぎて忘れていたのよ」


「まったく……あんたたちの名前も、居場所もすべて決めてあげたこの婆のことを忘れるなんてね。でもまあ、いい名じゃないか、メリア・リンセント。ネネがつけたんだろう?」


「まあね」


「ストレリチアにこのてのセンスはないからねぇ!」


 バアヤがおかしくてたまらないというように笑う。


「よろしく、メリア。あんたにはもう居場所も名前もある。私から与えるものはなにもないよ。だけどね、メリア。これであんたは私たちの仲間だ。困ったことがあったらいいなさい。みんな、あんたの味方だからね」


 バアヤがメリアの頬を優しく撫で、メリアが「ありがとう」と笑った。

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