第7話 旧友のスティファニー
黒い絵の具が動き出す、という事象はスーとメリアが言った場所のみならず、落書きされた下層の各地で発生し、ルルとネネの向かった先でも同じようなことが起ったらしい。幸い、ルルとネネの場所の近くにメカニックアニマルはおらず、襲われることはなかったが、下層の各地でメカニックアニマルが暴れ出す事象が発生した。
機械であるため、ものを食べる必要がなく、旧世界の動物たちが持っていた狩猟本能や獰猛さを持ち合わせていないメカニックアニマルは、今まで人間を襲うことはなかったため、下層の人々はメカニックアニマルが暴れ出した理由が、動き出した黒い絵の具のせいであり、小さな生物のように姿を変えた絵の具たちがメカニックアニマルの身体の中に入り込んで、魔鉱石を黒く染めたことであることに気が付いた。
人々は動き出した小さな絵の具の塊たちを『ドゥドル』と呼び、元々治安が悪く、放棄されたメカニックアニマルが大量にいた下層は、各地でメカニックアニマルの巣窟が出来てしまい、人々が居住区を追われ、ピリピリとした空気が漂っている。
「ねぇ、スー。魔女って知ってる?」
ある日の昼下がり。ネネの家で仮眠をとり、昼過ぎに目を覚ましたスーにメリアが問いかけて来た。いままでは路上で寝ていても特に問題なかったのだが、いまでは暴走化したメカニックアニマルにいつ襲われるかわからないため、ネネの提案により、スーは仮眠をする際はネネの家にいることになったのだ。ネネが簡易的なハンモックを家の中にかけてくれている。
「魔女?」
「うん。噂になってるみたいなの」
「スー? 起きたの?」
奥の部屋からネネが顔を出した。
「おはよう。ルルがリビングに行けなくて困ってるわよ」
「へ⁈」
ルルの驚いた声が聞こえてきて、恐る恐ると言った様子でルルが顔を出した。
「そ、そそそんなことないです……」
「そんなに怖がらなくてもいいのに。スーは起こしたぐらいじゃ怒らないわよ」
ルルはとても不安そうな顔をしながら、そろそろとスーとメリアの横を通り、リビング奥のキッチンに入っていった。
「で? 魔女の話?」
ネネは奥の部屋から出てくると、リビングの椅子に腰かけた。スーはハンモックの上で大きく伸びをし、ハンモックの上からネネに話しかける。
「魔女ってなんだよ」
「あら、知らないの? メリアならまだしも、スーは知っているんだと思っていたわ」
「あのね、下層の落書きは魔女の仕業だって噂になっているの」
メリアがネネの隣の椅子に腰掛ける。
「魔女が落書きをして、ドゥドルを生み出して、メカニックアニマルを暴走させているんだって」
「だから、その魔女っていうのがわからないんだって」
「え? まさか、スー。魔女狩りを知らないの?」
ネネが意外そうに言い、スーは「知らない」と答えた。
「魔女狩りっていうのは、昔行われた処刑よ。破壊神の使いとされた魔女と呼ばれる女の人が、残虐な方法で処刑されていった暗黒の歴史」
「そんなのが、なんで今更出て来たんだ?」
「ドゥドルが銀の武器以外で死なないからよ」
ネネの言う通り、突如として出現したドゥドルがメカニックアニマルを暴走化させるのならば、ドゥドルを倒せばいいと考えた者は多くおり、その者たちは絵の具と同じように水をかけてドゥドルを倒そうとしたり、焼き殺そうとしたり、刃物を突き立てて殺そうとしたが、ドゥドルが生命活動を止めることはなかった。
しかし、ドゥドルは銀の刃物などの銀の武器を用いたときのみ、絵の具が弾けるように消え失せるらしいのだ。
「魔女も銀の武器でしか死なない。だから、ドゥドルは魔女が作ったものだって噂が立って、魔女が復活したって言い出す人が増えたのよ。魔女狩りの再来だ、なんて言ってる人もいるわ。最近、下層も全体的にピリピリしてるし……」
「あ、ああ、あの……!」
その時、いつの間にキッチンから出て行っていたのか、玄関からルルの声が聞こえて来た。扉を開けたルルの前に、誰かが立っているようだ。
「お、お客様です」
ルルがすっと横に避けると、客の顔が見えた。空色の髪を二つにくくり、頭の上で団子状に結った、ルルよりも背の低い小柄な少女。前髪は綺麗に切りそろえられ、瞳の色は薄いグリーンで、つり目がちな気の強そうな目は眼光が鋭い。紺色で星座柄のブカブカのローブを着ており、その少女はじっと部屋の中を見つめていた。
「スティファニー!」
ネネが嬉しそうに立ち上がり、客の元へ走っていった。スティファニー・ローグキッド。ネネやルル、スーと同じように下層に住む孤児の少女。ネネやルルと仲が良い。
ネネはスティファニーの元にたどり着くと、ぎゅっと抱きしめた。身長の低いスティファニーは顔にネネの胸を押し付けられて、「ぶっ」と声を漏らす。
「久しぶりね! バアヤはどうしてる? 全然会いに来てくれないから、心配してたのよ!」
「……‼」
スティファニーがなにかを口にしたが、ネネの胸に顔をうずめているせいで何と言っているのか聞き取れず、ネネが聞き取ろうと腕の力を緩めた瞬間、スティファニーは両手でネネの胸を鷲掴みにした。
「⁈」
「豊満なその胸での歓迎、どうもありがとう。バアヤは今も元気だ。元気すぎるほどに」
「ちょっ……離しなさい‼」
「抱き着いてきたのはそちらだろうに」
スティファニーがネネの胸から手を離し、ネネがスティファニーを睨みながら自分の胸を隠す。スティファニーは飄々とした顔で今度はルルの方を見た。ルルがビクリと身体を強張らせる。
「ルルは相も変わらずの弱虫のようだな」
「ご、ごご、ごめんなさい」
「かまわん。慎重な者は好いておる」
スーがようやくハンモックから降りて、スティファニーの顔を見に玄関へとやってくる。
「スー。バアヤが心配していた」
「心配?」
「また持ち前の正義感や野望をもとに、余計なことに首をつっこんでいないかと」
スティファニーの言葉にスーがあからさまにむっとした顔をした。相変わらずこの少女は、小柄なくせにどこか高圧的だ。
「今日はなんでも屋のネネとルルに頼みがあって来た」
「頼み? ああ、最近起こってるドゥドルのこと? その手の依頼はすでに来ているから、別にかまわないのだけど……」
「いや、そうではない。私の個人的な頼みだ」
そう言うと、スティファニーはギュッと拳を握った。
「単刀直入に言おう。私の友を助けてほしい」
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