第6話 蠢く絵の具

 その時、メリアの後ろから近づいてくるなにかに気が付いた。咄嗟にメリアの手を引き、自分の方へ抱き寄せる。メリアが驚いたように目を見開いて、スーの腕の中に納まった。


「ワン」


 路地の暗闇から現れたのは、犬のメカニックアニマルだった。特にこちらを気にする様子もなく、絵の具溜まりに興味を示して臭いをかいでいる。よく見ると、足が一本損失していた。


「なんだ……」


 驚いて損したと、スーが小さく息をつく。ふと、腕の中に納まっているメリアに気が付いて、スーは慌ててメリアから距離を取った。


「びっくりした」


 と、メリアはたいして驚いていない様子で笑う。メリアの金色の瞳は、まるですべてを見透かしているようで少し怖い。


「絵の具、全然落ちないねぇ」


 メリアはそう言いながら、偶然やって来たメカニックアニマルの頭を撫で始めた。さては、すでに掃除に飽き始めたな。好奇心は強いが、飽きっぽいらしい。スーは少し不満を覚えつつ、仕方ないと割り切ってモップを動かし始めた。


「わあっ!」


 その時、メリアの悲鳴が聞こえてスーがメリアの方を見た。メリアは絵の具の上で尻もちをつき、ネネからもらった服が汚れていたが、そのメリアよりも早くスーの目に飛び込んできたのは、メリアのすぐそばでウゴウゴと蠢く黒い絵の具溜まりだった。


「……なに……これ……」


 メリアも困惑し、怯えている様子だ。そして、なによりもメリアに頭を撫でられていたメカニックアニマルが、低いうなり声を出して威嚇していた。


 スーがメリアを助けなければと手を伸ばした瞬間、蠢いていた絵の具溜まりが激しく動き、飛び上がったかと思うと、小さな鼠のような姿に変わった。


「な……⁈」


 絵の具の塊が意思を持ち、小さな生物になったような見た目だ。メリアのそばにあった絵の具溜まりは綺麗に消え失せていて、すべてその小さな生物に吸収されたようだ。


 メカニックアニマルがその小さな生物たちに向かって吠え始める。小さな生物はメリアとスーの足元をチョロチョロと動き回ると、一斉に吠えているメカニックアニマルに向かっていき、メカニックアニマルに降りかかるように覆いかぶさると、欠損している足の機械部分が露出した部分から、メカニックアニマルの中に入り込んでいった。


「ス、スー! なんか変だよ!」


「わかってる! いいからこっちに———」


 メリアに声をかけようとした瞬間、スーはメカニックアニマルの様子がおかしいことに気が付き、咄嗟にメリアの元へと駆け寄ろうとした。


 先ほどまで小さな絵の具の塊たちに向かって牙を向き、唸り声をあげていたメカニックアニマルが、メリアに向かって牙を向いている。いまにも襲い掛かりそうな表情で。


「え———」


 メリアが小さく息を呑む声が聞こえ、スーがメリアの元にたどり着いた瞬間、唸り声をあげていたメカニックアニマルがメリアに向かって襲い掛かった。牙を向き、メリアに噛みつこうと迫ってくる。スーは咄嗟にメリアの後ろから、手に持っていたモップで、メカニックアニマルの牙がメリアに襲い掛かるのを防いだ。


「ガルルッ‼」


 メカニックアニマルがモップの棒に噛みつき、棒をへし折ろうとしている。その顔には明確な殺意が籠っており、このままでは棒を折られると思ったスーは、モップの棒ごとメカニックアニマルを突き飛ばした。


「こっち来て‼」


 メカニックアニマルが突き飛ばされ、メリアから離れた隙に、スーはメリアの腕を引き、自分の後ろに回らせた。


 突き飛ばされたメカニックアニマルは突き飛ばされた拍子にモップの棒を鋭い牙でへし折ったようだ。スーは「それ貸して‼」とメリアが持っていたモップを手に取り、起き上がり、また襲い掛かろうとしているメカニックアニマルに向かって構えた。


「なんだってんだよ‼」


 メカニックアニマルが二人に向かって走り出す。


『メカニックアニマルはね、元となる旧世界の動物の心臓に位置する場所に、核となる魔鉱石があるの。脚がもげても、羽がもげても、魔鉱石の力が尽きたり、魔鉱石が壊れない限り、メカニックアニマルは死なないわ。でも、逆に言えば、魔鉱石さえ壊れてしまえば、メカニックアニマルは死んでしまうの』


 いつの日か、メカニックアニマルの修理をしながらネネが言っていたことを思い出す。スーは向かってくるメカニックアニマルに向かって、モップの柄を突き出した。


 モップの柄は走って来たメカニックアニマルの胸部に直撃し、メカニックアニマルの機械部分を突き破って、魔鉱石を粉々に破壊する。その瞬間、メカニックアニマルの動きが止まり、身体をモップに貫かれたまま機能を停止した。


「……ふあぁ……」


 安心したのか、メリアが気の抜けた声を出しながらその場に座り込む。よく見れば辺り一面を塗りつぶしていた黒い絵の具は跡形もなく消え失せ、メリアの洋服を汚していたはずの絵の具は消え失せていた。


「スー……ありがとう」


 メリアがスーに向かって安心した笑みを浮かべる。スーはメカニックアニマルを貫いているモップをメカニックアニマルごと捨て、腰が抜けたのか立ち上がれないでいるメリアに手を差し出した。


「大丈夫か?」


「うん。平気」


 メリアはそう言うと「でも……」と申し訳なさそうに言った。


「歩けそうにないから、また負ぶってくれない……?」


 メリアが近づいてから、急に生きた生物のように動き出した黒い絵の具。なぜか襲い掛かって来たメカニックアニマル。謎が謎を呼び、なに一つとして答えはわからない。


 どこか、嫌な予感がするのは、気のせいであると信じたい。

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