第53話 暗君の掌中

「それで、用はそれだけ?」


 気持ちを切り替えるように顔を上げて、アルはクムト様に問いかける。わざわざ私に夜伽の事を教えるためだけに、賢者がこの離宮に足を運ぶのは少し不自然に思えた。私も視線を向けると、クムト様は朗らかに笑う。


「まっさか~。一応賢者だよボク。本題はこれから」


 そう言うと、すっと目を細め指を口元に添える。


「アックティカの事は聞いてるね? ︎︎鎖国して輸出入を止めてからもう二月ふたつき近い。そろそろ春節しゅんせつだけど、あの国はほとんどの作物を輸出に回していたからね。行き場のない食物は飽食過多で、逆に備蓄が減っているんだ。全てを食べ切れるほどの人口はいないからさ」


 作付けは輸出する量を計算して決められる。季節毎に適した物が違う上に、土にも気を配る必要があり、一年を通して計画していくのだ。アックティカの野菜は評判がよく、多くの国へ輸出していた。それが突然止められたのだから、有り余る食料を前にどうしようもないのだろう。


 農業が盛んな国だけあって、保存食の技術も発達している。それでも腐敗は進んでしまう。特に輸出用の物は、保存食として加工しているけれど、わざと日持ちを短くしているらしい。これも王の命令で、売買の回転率を速めるためであり、言ってみれば粗悪品を流通させている事になる。民達は逆らえず、やむなく従うしかない。


 そのせいでこの冬は備蓄がほぼ全滅。残っているのは米を乾燥させた干飯ほしいいと、乾燥野菜、それから川で釣れる僅かな魚類くらいだろうか。比較的温暖なアックティカでは氷室ひむろが作れないのだ。


 そして目の前の食糧が腐っていくのを、なす術もなく見ている事しかできない。収穫の時期はまだ遠く、力のいる農作業には栄養面で心もとない。本来であれば、備蓄は世帯毎に十分あるはずなのだ。近年は気候に恵まれ豊作だったし、味も良かった。


 それなのに民が苦しむ羽目になっているのは、現国王エネメス三世の治世のせいだ。戦を口実に過剰な年貢ねんぐを課し、民の手元に残るのは一冬をどうにか越せる程度の食糧だけ。春になれば野山で山菜も取れるだろうけれど、それさえも年貢として差し出さねばならない。それ以外は全て輸出に回されている。


 エネメス三世が玉座を得て十数年が経ち、周辺国家からの非難も聞き流してさかしらな戦を仕掛けていくという話しは、私も噂には聞いていた。今まで交易路が生きていた事も不思議なくらいだ。その理由は明白で、このカイザークやアックティカのある大陸、ギエナでは一番農作物の産出量が多いから。


 アックティカは国自体は小さい。でも有する農地は民の住む町よりも広大で、人口よりも家畜の方が圧倒的に多いほどだ。他にも農業の盛んな国はもちろんあるけれど、蒸気機関などの近代化の波に呑まれ、徐々にその数を減らしていた。


 そんな中でアックティカが農業で突出し続けていたのは、歴代国王のお陰だ。エネメス三世以前の王は人徳が厚く、愛される治世を行っていた。年貢も相応の分配で徴収され、飢饉ききんや災害の時には国庫を開いている。時には王自ら畑に出る事もあったとか。


 そんな王家から、何故エネメス三世のような人物が現れたのか、皆目かいもく分からない。妾腹めかけばらの庶子だという説もあるけれど、先代の為人ひととなりからは考えがたく、大臣達は黙したままだ。


 アックティカはその特性から、一夫多妻を設けている。その一方で、妾を持つのは恥とされていた。妾とは所謂いわゆる愛人であり、たった一人の女性もめとる事ができない甲斐性無しと見做みなされるという。


 農業は一族で行うため、子供が多い方が働き手も維持できる。貴族のように嫡男ちゃくなんが家督を継ぐ事はなく、家長として生活の責任を持つ。財産はみんなの物だった。


 それをエネメス三世は独占している。民達も限界のはずだ。今までも重い年貢に苦しめられて、今度は鎖国。


 その心情は如何ばかりか……。


 想像するだけで胸が締め付けられた。


 しかし、事態は更に悪い方へと向かう。


「鎖国は物だけじゃなく、人も閉じ込めているそうだよ。商いで訪れていた商人がアックティカを出られないらしい。そして、国外に出ていたアックティカの民も帰れずに難民と化している。カイザークにも数人が助けを求めに来ててね、西のモラクラや南のチェベンでも同じ状況だよ」

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