第26話 鶴髪童顔(かくはつどうがん)

 クムト様、とお呼びするべきかしら。そのお方はボサボサの白髪に、灰色の瞳を持つ青年だった。服装もほつれたシャツと茶色のズボン、履き潰した靴。殿下は賢者だと仰ったけれど、とてもそうは見えない。


 周囲の視線も無視して、クムト様は教皇に手を振りながら歩を進めた。


「ター坊、ありがとうね。お陰でここまですんなり入れたよ~。あとはボクがやっておくから、仕事に戻って。気を付けてお帰り」


 その言葉に教皇は溜息を吐き出し、まるで子供を𠮟りつけるようにクムト様をいさめる。


「カレムレート様、それでは皆が納得いたしませんよ。私から皆に説明いたしますから、お待ち下さい。ああ、イオハ、ご苦労様。君もこの方の事は知らされていないから、良い気持ちはしないだろうが聞いてくれ」


 たしなめられたクムト様は、口を尖らせながらも教皇の指示に従う。それを見て、教皇はほっとしたように前に出る。イオハ様は敬意を払いつつ、棘のある口調で教皇に詰め寄った。


「聖下、これは一体どういう事なのですか!? 本日は私に全権がゆだねられているはず。それをこのような男に任せると!? 殿下のお言葉が真実であるのならば、何故私は知らされていないのです! 大司教である私が信じられませぬか!?」


 吠えるイオハ様にも、教皇は冷静に対する。興奮するイオハ様に静かな声で語りかけた。


「それは君の方が分かっているのではないかね? 私が知らぬとでも?」


 たったそれだけの問いに、イオハ様は青くなる。その様子から、どうやらよろしくない事をしでかしているのだと窺い知れた。


「そ、それは……何の事やら……」

 

 言葉を濁すイオハ様に、教皇は語気を強めて言い切った。


「寄付金の横領、貴族との癒着、部下への強制猥褻わいせつ並びに暴行。なんとまぁ……罪状の見本市のような人だね。残念だよ。私の見る目が無かった。勿論、ただで済むとは思っていまい?」


 指折り数える教皇に、イオハ様は崩れ落ちた。辺りではこそこそと隠れる貴族が見える。おそらく、話しに上がった癒着の当事者だろう。動かなければ難を逃れたのに、小心者なのか片っ端から騎士に捕えられていた。イオハ様も同じように手に縄をかけれている。


 それを見届けると、教皇はこちらに向かって進んできた。玉座の前にひざまずき、こうべを垂れる。身分としては国王に並ぶ教皇だけれど、今は大司教の詫びも含まれていると思われた。


「国王陛下、王妃陛下、ご無沙汰しております。殿下方もお変わりないご様子。王国の安泰と繁栄をおよろこび申し上げます」


 陛下もそれを受け入れて、笑顔で対応している。


「聖下、お顔をお上げください。大司教の罪は、貴方のものではない。貴方が民のために、どれほど尽力されているのかは存じております。教会も規模が拡大していますから、目の届かぬ所も出てまいります。かくいう私も、この様ですから」


 苦笑いしながらも、陛下のおもんぱかる心遣いは、イオハ様に対した時とは雲泥の差だ。その体格から教皇に良い印象が無かった私でも、見方ががらりと変わった。

 

 そこにクムト様の茶々が入る。


「尽力してる割には太ってるよね。普通痩せない? 町の噂じゃ悪い事してるって言われてるよ~」


 見世物小屋のガヤのようにはやし立てるクムト様。教皇はむっとした表情で振り返る。


「しょうがないでしょう!? 毎日毎日、来る日も来る日も机仕事ばかり! おまけに残業に次ぐ残業で運動なんてできやしません! いくら清貧に身をやつそうとも、食べれば食べただけ身について、この有様ですよ……昔は細かったのになぁ……」


 お腹の肉を摘まむ教皇は哀愁が漂っていた。それを更に笑うクムト様。ついには『黙らっしゃい!』と叫び、鼻息も荒くこちらに向き直った。


「こほん……騒々しくしてしまって申し訳ございません」


 そう謝辞を述べる教皇に、陛下はにこやかに微笑む。


「気にせずに。私共も、アレの性分は知っております故」


 クムト様をアレ呼ばわりした陛下に、教皇も頷いていた。その様子は嫌味ではなく、仲がいいからこそのものに見える。王妃様や妹君も一緒になって笑っていた。


 そのなかで唯一、殿下だけが私の前に出て警戒している。さっきは気軽い感じでクムト様の事を話していたけれど。


「殿下? どうなされました?」


 私がそう問いかけると、殿下より先にクムト様が発言した。


「あーちゃん、そんなに警戒しなくても、ボクはお前さんの番に手を出したりしないよ~」


 あ、あーちゃん!?


 それは殿下の事、でいいのかしら。ちらと殿下の様子を窺うと、唸り声さえ上げそうなほどだ。そして吠えた。


「うるさい! お前は節操ないから信用無いんだよ! リージュに手を出してみろ……切り刻んでやる……」


 恐ろしい殿下の言葉にも、クムト様はどこ吹く風と余裕な態度だ。手をひらひら振りながら、けたけたと笑っている。


「あはは、も~物騒だなぁ。いくらボクでもそれくらいの分別はあるってば」


 そして視線を私に向けると、えくぼが深まった。


「初めましてだね、リージュ。ボクはカレムレート・セヴァン。一応賢者だよ。気軽にクムトって呼んでね」

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