第10話 ︎︎鼓動

 私を見つめたまま、殿下が手を振るとメイド達が一礼して静かに部屋を出ていく。最後尾はネフィだ。私はすがるように視線で助けを求めるけれど、微笑みだけを残し、扉は無情にも閉じられた。


 しんとなる室内には、私と殿下だけ。しかも密着していて、どこに視線を向ければいいのか分からない。せわしく目を泳がせる私に、殿下はくすりと笑う。


「ふふ、リージュってばドキドキしてる。ちゃんと伝わってるよ。ほら、リージュも感じて?」


 図星を突かれて動けずにいる私の手を、殿下がそっと取った。そのまま自分の左胸に誘導すると、服越しにドクドクと早い鼓動が伝わってくる。


「僕が君に惹かれた理由だったね」


 胸に当てられた手の甲を撫でながら、殿下はぽつりと呟いた。


「僕はね、えるんだ。人の過去が。これが母から継いだ、僕の力。知っての通り、僕の母は魔力を持っている。先視さきみの力だ。それで国を導いている。父も祖母から受け継いだ力があって、感情が色で視えるって言ってた」


 殿下の声は、決して大きくはない。それでもみ込むような力がある。


「だから君の過去を知ってる。どれだけ勉強したのか。男社会のこの国で、男に負けないよう、どれだけ頑張っていたか」


 そうか、初めて会ったあの日。殿下は私の過去も知ったのか。


「ただ、負けず嫌いなだけです。過大評価ですわ」


 私が自嘲気味に笑うと、殿下の眼差しが鋭くなる。


「何言ってるの。言ったよね、視えるって。今だって、先の事を絶えず考えてる。僕との婚約がなくなったら……絶対ありえないけど、もしそうなったらって」


 睨みつけるようにして言葉を紡ぐ殿下は、本当に十三歳なのかと思うほどに大人びていた。私の本心も、正しく理解している。


「フェリット伯爵邸にある蔵書は、ほとんど君が集めた物だよね。これは伯爵にも確認を取ってる。フェリット伯爵家は陞爵しょうしゃくで大きくなった家系だ。領地の経営状態も把握してる。伯爵を継ぐのは従兄弟だ。それらをかんがみれば、君が使える金銭はそれほど多くないと予想がつく。それでも、高価な書籍を購入し、知識を蓄えている。しかも、その貴重な知識を、教会学校で教えている。そうだよね」


 本当に、どれだけ調べたんだろう。いや、視えたのか。殿下の言うように、書籍は高価だ。羊皮紙や装丁、インクやペン。時間のかかる写本。そのひとつひとつが高価なのだから、結果として書籍になるとその額は膨れ上がる。そして、それを納める場所も必要。


 そんな書籍を、私は幼い頃から集めていた。領地経営に役立てたい。男性に負けたくないと。


 そして、十六を過ぎてからは教会学校にも通っている。子供達に教える事は、自分の復習にもなるし、民の職に就く幅を与えられる。ひいてはこの国のためになると考えたから。


 世界的に見ても、民衆の識字率は低い。この王都や、他国の首都のような大規模な街になると、商人が多く集まるため奉公人も字が読める。仕事に必要だからだ。でも、そもそもそんな大店おおだなに務められるのは、中流階級以上の子弟に限られている。


 農村では、商人に逆らえないのが現状。字も書けないし、計算もできないから商人の言い値で買い叩かれるのだ。


 そんな人達を少しでも減らしたい。その思いで、私は王都から少し離れた村まで足を運んでいる。こんな所も、貴族社会から浮いている要因かも。


 俯く私の頬を、殿下はそっと包み込む。


「リージュ、君は素敵な人だよ。知識欲も、奉仕の精神も、今の貴族達は忘れてしまった。頭の中は金の事だけ。宰相がその筆頭だ。奴は賄賂わいろで宰相の座を手に入れた。公爵なんだ、金だけは持ってるからね。国王暗殺の情報も入ってきてる。あいつらを排除するためにも、僕には君が必要なんだ」


 懇願こんがんするように、意志を瞳に込める。その眼差しには、真摯で確固たる決意を感じた。


 でも。


「殿下、買い被りすぎです。私なんて、貴族の末端に過ぎません。王妃なんて、務まる器ではないのです。それに、ただ勤勉なだけでそこまでご執心なされるのも、私には理解しがたくて……」


 濁す私に、殿下はきょとんと首を傾げる。


 私、何か変な事言ったかしら。


「だって、僕の力が覚醒したのって君に会ったからだし。さすがの君も知らなかったかな? ︎︎力の解放の条件」


 そう言って、いたずらっぽく笑った。

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