第9話 ︎︎小さな獣
お茶のおかげか、緊張が
そこにいたのは殿下、ではなくネフィだった。カーテシーでヒメリア様と挨拶を交わし、入室してくる。その後ろには数人の侍従が続き、大きな鞄をいくつも抱えていた。
「リージュ様、お待たせ致しました。すぐに必要な物は一通り揃えております。それから、カーナ様よりこちらをお預かりしました」
――お母様から?
ネフィが持つ箱を受け取り開けてみると、そこには一組の装飾品が収まっていた。ダイヤが散りばめられた首飾り。その中心にはぽっかりと穴が開いて、銀色の台座だけが鈍い光を放っていた。並んだ耳飾りも同様だ。
これ、見た事ある。
確か、お母様が嫁いできた時に、お祖母様から受け継いだ物のはず。母方のお祖母様は厳格な方で、身なりも質素に整えていた。舞踏会に参加する時も、派手にならないよう気を付けていたと。
それでも、お爺様に恥をかかせる失態は犯さなかったそうだ。質素なドレスでも、生地は流行りの物だったり、華美ではないけれど、上等な装飾品を選ぶ目は確かだったらしい。
そして今、私の手の中にある物。
結婚する時にお爺様が贈った、一揃え。
お祖母様が身に付けたのは、挙式の日だけ。その後は大事に保管して、娘である私の母、カーナに譲られた。お母様も、身に付けたのはただ一度きり。
首飾りの中心には、嫁ぎ先を象徴する宝石が
じっと見つめる私に、ネフィが微笑む。
「やっと渡せると、カーナ様は仰っていました。本当なら、二年前にはリージュ様の手元にあったはずなのにって」
その言葉に苦笑いを浮かべ、そっと箱を閉じた。
「そうね……でも、殿下との挙式が実現したら、これは使われないかもしれないわ。婚約のお話し自体、破棄される可能性があるもの」
光沢のある布張りの箱を撫でながら、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。私の
顔を上げると、ネフィも何とも言えない顔をしている。侍従達は私を気にしつつも、荷物を置くと部屋から出ていった。それと同時に、ヒメリア様やネフィが荷解きを始め、他のメイドもそれに
私はそれをぼんやりと見ていた。できる事なら手伝いたいけれど、これは彼女たちの仕事だから、手を出せない。
手持無沙汰で窓の外に視線を移すと、もう月が高い。
知らず、ため息が
――殿下、今日はもういらっしゃらないのかしら。
昼間にヒメリア様からお聞きして、ずっとそわそわしていた。会いたい、でも殿下が知っているのは、五年前の私。もし、今の私を知って、幻滅されたらどうしよう。そんな思いがぐるぐると頭の中を回っていた。
何度もため息を吐き、扉に目をやる私に、ヒメリア様は根気強く付き合ってくれて、ありがたいと思う。ネフィの不在も大きかったのだろう。全くの見知らぬ離宮で、たったひとり待つのは不安で仕方ない。メイド達も優しくしてくれた。ぽっと出の伯爵令嬢に仕えるなんて、王城のメイドには酷かもしれない。
そしてまた、ため息が零れる。
すると、それを待っていたかのように再度ノックが響いた。ネフィがさっと立ち上がり対応する。来訪を告げるのは侍従。その相手に、ネフィは最敬礼を持って招き入れた。
「リージュ! 遅くなってごめん。ユシアンの邪魔が入って、仕事が長引いてしまって……本当は、夕食も一緒に食べたかったのに」
その来訪者は、部屋に入るなり駆け寄ってきて、私の膝の上に乗った。いきなり間近に迫った殿下のお顔は、輝かんばかりの笑顔だ。心の準備ができていなかった私は、思わず息を止め固まる。殿下はそんな私を面白そうに見つめ、ちゅっと口づけた。
「……!! で、殿下!」
慌てふためく私を他所に、殿下は首に腕を回し、更に近付いてくる。
「実はね、向かいの部屋からしばらく様子を見てたんだ。リージュったら、ため息吐いてばかりで……そんなに寂しかった?」
その言葉に、私は勢いよく首を振り、窓の外に注目した。よく見ると、確かに向かいにも窓がある。カーテンが閉め切られたその部屋から、見ていた?
その事実に、私の顔は一気に熱くなる。
「そ、そんな、あの、ずるいです……」
私は両手で顔を覆い、殿下の視線から逃げた。
しかし、それも無駄な抵抗。殿下は私の手に、自分の手を重ね、額を合わせる。しばらくの間、そのままでいるかと思えば、不意に髪へと手を差し入れられた。感じたことのない感覚に、声が漏れ出る。今までだって、ネフィに何度も髪を触られてきた。でも、それとは全然違う。ネフィと何が違うのかは、言い表せない。でも、殿下の手は、魔法でも使ったかのように甘い痺れを伴った。
「で、殿下、や……ぁ」
ゆるゆると攻められ、降参しようと顔を上げると、今度は口を塞がれた。これもさっきとは違う、深い口づけ。隙を逃さず、舌が侵入してくる。流れるような動きに、もしかして練習相手がいたのかと胸が騒ぐ。
押し返そうとしても、巧みにいなされた。
「ん……で、んか……まっ」
僅かにできる隙間から声を上げると、やっと開放される。最後にちろりと唇を舐め、ご満悦だ。
「はぁ……リージュ、本当に可愛い。早く結婚したいけど、こればっかりは無理を言えないよね……あと三年も待たないといけないなんて、拷問だよ」
私の首にぎゅっと抱きつき、囁く声が耳朶を擽る。殿下の声は、高いけれど少しハスキーで、不思議な色気があった。
「殿下……あの、近いです……」
私は手の行き場をどうして良いか分からず、万歳していた。きっと間抜けな格好だろうけれど、殿下に触れるのも不敬な気がしてしまう。
「いいじゃない。五年分のリージュを堪能させてよ」
殿下の言葉に、思い切って疑問をぶつけた。
「何故、たった一度しか会ったことのない私に、そこまで執着されるのですか?」
少しだけ震えてしまった声に、殿下は首から離れ私を覗き込んだ。
「……知りたい?」
優しい笑顔。
そのはずなのに、私には獰猛な肉食獣に思えた。
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