第10話 アリスの告白

それから更に長い年月が経ち、アリスは八十六歳になろうとしていた平成二十年のある朝の事だった。

その日は、いつもよりアリスは、元気よく見えた。

車椅子に深く座り、手を蠅のように擦りながら、珍しくひと言、ふた言を喋り、中隊長を喜ばせていた。

「美味いかアリス。今朝は採れたてのエビが手に入ったから、コックに調理させたが、白ワインでも少し飲むかい?」

「はい」

アリスは、笑っていた。

「中隊長殿、自分は、海を見ながら・・獲れたばかりの・・・エビを食べ、ワイン・・を飲んで死ねるなんて、こんなに幸せで良いのでありますか」

「何を言う。まだまだ人生はこれからだ。わたしは、あと二年で百歳になるが、もう十年は、わたしと一緒に生きよう」

「中隊長殿、自分も・・そうしたいのですが、そろそろ・・・お別れであります。もう少ししか生きる力が残っていませんので、・・どうしようかと・・・ずっと迷っていたのでありますが、自分は中隊長にお詫びしたいことがあります」

「お詫び?そんなことはどうでも良いではないか」

「いいえ聞いてください。中隊長殿」

「自分はあの時ですが・・あの戦闘機がちゃんと飛べなかったのは、・・・実は自分が・・エンジンに細工していたからであります」

「・・・どうして?」

「中隊長殿を・・・人殺し・・・にしたくなかったのであります」

「・・・・」

「中隊長殿。長い間・・・自分は・・中隊長殿を騙していたのであります」

「それは違うぞ。わたしはそのおかげで人殺しの罪を背負わなくても良い人生を送れたし、何よりも敵に撃ち落されなかったのだからな。貴様のお陰で今自分たちが生きて幸せを享受できているのではないか。だからもういい。それはもういいのだ。それより貴様は、ひとりで死ぬことは許さん。わたしは・・・わたしは、貴様を失ったら寂しくて生きて行けないではないのだ」

「ち、中隊長殿、・・・自分は・・・死ぬのではありません。これから旅を・・旅をするのであります」

「旅?どこへだ?」

「さぁ・・・神様の前には、・・オカマ・・は行けないし、・・・・仏様も・・お困りでしょう。・・・自分は、・・・そ、そこに行けば、みんなが幸せになって・・・生きられるそんな国・・」

アリスは中隊長の腕の中で静かに眠ったような姿で息を引き取った。

「・・・アリス・・・アリス・・・」

中隊長は、呼んでも答えないアリスをゆっくり抱えて海を一緒に眺めた。

それは亡くなった恋人を抱えた映画のラストシーンのようにも見えた。

中隊長は、アリスを抱きかかえながら、暫らくすると、モヤモヤしている自分の気持ちが、ひとつの確信に至ったのを覚えたのであった。

それは、アリスはきっと誰も行ったことのない不思議な国に旅立ったに違いないという事であった。

そこでは、戦争も無く、貧困も差別も無い、そしてオカマでも幸せに暮らせる、そんな不思議な国に旅立ったのに違いないという事であった。

中隊長は、最後にアリスの髪を撫でながら耳元でこう呟いた。

「アリス、先に行って待っていておくれ。わたしも間もなくアリスの不思議な国を訪ねていくからね」

その後、海の上を小さな雲がふたつ流れて行った。


Over the hill or here or there wonder where

丘の向こうか、ここか、あそこかどこにあるのだろうか

When clouds go rolling by、They roll away and leave the sky

雲が素早く過ぎ去る時、彼らはどこかへ行って、空を置いていくの

Where is the land beyond the eye、That people cannot see

視界の先にある国はどこにある、人間には見えない

Where can it be、Where do stars go

どこにあるのだろう、星はどこへいくのだろう

Where is the crescent moon、They must be somewhere in the sunny afternoon

三日月はどこだろう、晴れた昼下がりのどこかにいるに違いない

Alice in Wonderland、Where is the path to Wonderland

ふしぎの国のアリス、不思議の国への道はどこにあるの

Over the hill or here or there、I wonder where

丘の向こうか、ここか、あそこか、どこにあるのだろう


~~~~~~~~~~~アリスと中隊長に敬礼~~~~~~~~~~~~終わり

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Alice in Wonderland(不思議の国のアリス) 伊藤ダリ男 @Inachis10

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