第7話 再会~昭和四十八年の東京
「社長、どうも車がパンクしたようです。直ぐにタイヤを交換しますので、このままお車の中でお待ち願いますか?」
「君、出来るだけ早くしたまえ。レストランに少し遅れただけで女房がキイキイと煩いからな。本当に参るよ、アレには・・・」
「はぁ二十分もあれば何とか、新しいタイヤと交換できると思いますが」
「二十分か・・・じゃぁ、気分転換にそこの公園で散歩してくるわい」
「お気をつけて社長」
間もなくこの社長は、噴水池のところまで歩いてくると、例の変な女に遭遇した。
あまりにも異様な雰囲気だったので、目をそらしたが、何となく気になり、また見てしまうと妙な感じが伝わってきた。
そして再び見ると魅力的にも思え、勇気をもって声を掛けてみることにした。
「あなたは、ここで誰かを待っているのか」
「・・・」
「何か変だな。それとも…いやそんな・・・それはないな」
「・・・」
この社長が変な女に一言二言話しかけていると、近くの工事現場で働いているいわゆる、土方のオッチャンが横から口を出してきた。
「おい、アリスまたちょっと頼むよ」
「ちょっと待ってね。オッチャン、わたし今別のお客さんから声を掛けられているところなのよ」
「そうか、したらよ。三十分くらいしたらまた来るわ。その時頼むよ。アリス」
「分かったわ」
そう言うとオッチャンは、握りしめた百円札を腹巻にしまってどこかへ行ってしまった。
「君は、アリスと言うのか・・・ひょっとすれば・・・有坂・・有坂上等兵ではないか?・・」
「はい。中隊長殿お久しぶりであります。敬礼」
「敬礼。やはり有坂上等兵だったのか・・・やっとやっと、やっと本物に会えた。夢のようだ」
「相変わらず貧乏のどん底で齢も重ね、ご覧の通り、顔や身体はボロボロでありますが、正真正銘の自分であります。中隊長殿」
「では、ここでアリスの名で春を売っているのか」
「そうであります。自分のお客さんは皆、お金が無く、寂しい思いをしているから、半分は人助けをしているようなものでありますが」
「どうして一度も手紙を書いてくれなかったのだ。ずっと待っていたのに」
「一人で生きることにしたのであります」
「本心は、わたしが嫌いだったのか?」
「逆であります。中隊長に迷惑をお掛けすることになり、それが嫌なのであります」
「迷惑?なんだ、それは」
「自分は、生まれてずっと差別の中で生きて来たのでありますが、中隊長殿には差別の意味すらご存じありません。自分のようなドブ川の中で生きている人間と共に暮らすことなど決してできない事なのであります」
「では、あの島で暮らした三年間は、いったい何だったのか。あれは嘘だったのか」
「嘘ではありませんし、自分は幸福の絶頂にありました。寧ろあのままで一生を終えることを望んでいたのでありました」
「ではなぜ?」
「中隊長殿には、普通の人のように幸せになって頂きたかったのであります」
「アリス。そうではないのだ。わたしは、貴様さえよければ、すべてを捨てる覚悟でいたのだ。わたしの幸せは、差別など気にしない。貴様と一緒にいる事なのだ。田舎の身内には、それを言う為に帰ったというのに・・」
「・・・しかしもう遅すぎであります。自分は既に五十で有ります。見た通りのポンコツであります」
「それを言うな。わたしは齢をとっても貴様を本当の女房のように思っている。あの時誓ったではないか。忘れたのか?わたしは貴様を一生大事にすると」
「・・・中隊長殿、忘れはしません。忘れることなど・・・・」
「泣くな。・・・では、今からでも遅くない、わたしと一緒になってくれ」
「嬉しいであります。でも、もう一度言いますが、自分と一緒になることは、中隊長殿の今までの人生を全て捨ててしまうことになるのでありますよ」
「構わない。貴様に比べたら、わたしの女房など犬以下だ。これから社長を退任そして離婚上等・・・それこそわたしが望んでいたことだ。善は急げと言う。これから女房と会い、離婚を宣言し、会社を辞める。明日同じ時間ここで会おう。それからの人生は楽しいぞ。そうだ、これから来るあのオッチャンには断ってくれ。そしてこのお金は、宿泊代と何か美味しいものを食べて待っていてくれ」
中隊長は、財布を取り出し、有坂に大金を渡したその時、汽笛のような笛がケタタマしい音を立てて近付いて来た。
そして二人は、いつの間にか現れた数人の警察たちに囲まれた。
「有坂澄人とその客だな。お前らを売春法違反で現行犯逮捕する!!今度は、暫くいて貰うことになる。覚悟はできているな、アリス」
翌朝の新聞には、大手建設会社社長が公園で行方不明の記事が大きく掲載された。そしてその新聞の夕刊には、行方不明の大手建築会社社長、実はその公園で捜査員に誤認逮捕されていたと報じられたが、妙に鼻の利く週刊誌記者が、その事件を掘り下げ、オカマの立ちん坊と大手建設会社社長の関係が間もなく取りざたされたのだった。
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