第5話 中隊長との約束

「了解であります。自分は中隊長と同郷でありますが、生まれたところは過疎地でありまして、深山に囲まれた小さな貧乏部落であります。親の顔は一度も見ることなく、生まれてすぐに親戚の家に引き取られたのでありますが、その親戚の家から火が出て皆焼け死に、自分だけ奇跡的に助かったそうであります」

「・・・・」

「その後その家の火消しをした消防団の家に引き取られましたが、そこは、子沢山の上に奥さんが意地悪く、自分の食事は朝の粥のみでありました。腹が減ってとても耐えきれず、八つになる時にたまたま通りがかった行商の人の後をついて行き、その部落を抜け出したのであります」

「・・・・」

「その後、旅の途中にこの行商人から置いてきぼりを食い、それから十くらいまでの二、三年間は、 物乞いをしながら生きてきたであります」

「わずか十歳で・・しかも一人で物乞いしながら・・本当に生きのびられるものなのか」

「中隊長、明日死ぬかもしれないと思えば、子供だったとしてどんなことでもできるはずであります。腹が減ったら何でも食えるのであります。野菜の切れ端上等であります。魚の骨の塩ゆで上等であります」

「・・・・で、その後はどうした」

「はい。物乞いしていたある夏の日、清流で素潜り漁するおじさんと出会い、そのおじさんは優しい人で、自分を弟子にして下さったのであります」

「おお、やっと良い話になってきたな」

「はい。ニジマスやヤマメを手づかみし、沢山の取り立ての魚と交換にお金やお米を手に入れることになったであります」

「良かったじゃないか。良い人と巡り会って」

「そのおじさんから文字や計算も教えてもらったであります。それが楽しくて仕事の合間は、ずっと勉強し、暫くすると読み書きができるようになったであります」

「それで陸軍に入隊したのか」

「入隊する前は、海の漁師になっていたのであります。優しいおじさんは、間もなく病気で亡くなり、自分一人で川魚を獲り続け生計を立てていたのでありますが、突然やって来た兵隊さんたちに殴られ蹴られた挙句、無理やり敵国のスパイとして仕立てられたのであります」

「・・・・」

「身内のひとりもいないことを知ると兵隊さんのひとりが自分の後見人となり、漁村に連れられてきたのであります」

「それから・・」

「自分の素潜りの腕を買われ、干物用の魚を獲る漁師になったのでありますが、数か月もすると突然海に出てはいけないと言われ、今度は、陸軍飛行教導師団の整備隊へ入隊することになったのであります。丁度十五になった頃でありました」

「それでは、貴様の最初の相手の男は、整備隊の中の人物なのだな」

「最初の男は、寺に物乞いへ行った時に風呂に入れてくれた住職であります。自分はまだ八歳くらいでありました。いきなり身体を弄ばれ、抵抗しようにも力も気力も入らず、只々耐えることでありました」

「・・・」

「それから、暫くその住職の相手をして暮らしていたので有りますが、その住職は次に来た物乞いの子に夢中になり、自分はそのまま寺を追い出されたのであります」

「・・・そうか。・・・・。その坊主にはきっと天から災いが降(くだ)ったはずだ。・・・それからは・・どうした」

「人の往来の多いところに立ち、自分を売ることを始めたのであります」

「・・物乞いは?」

「物乞いも、自分を売るのも相手次第でありました。一杯の粥を食えることも、風呂に入いれることも、出会いの運次第で決まるのでありました。そしてその相手は、皆どこか寂しく皆、貧乏だったのであります」

「…もういい。そんな話は・・」


中隊長は、話を遮ったものの、アリスは、そのまま話し続けたのであった。

「次は、川漁師の優しいおじさんに抱かれたのであります」

「え?川漁師のおじさんは、文字や計算を教えてくれた人ではなかったのか」

「その通りでありますが、その他にも肉体ひとつで生きる術を丁寧に教えてくれたのもその優しいおじさんでありました。自分はそのおじさんが好きでありました」

「そうか・・・それは良かったな・・・」


中隊長は、有坂上等兵にすっかり同情してしまった。

そしてもしも自分たち二人が永遠にここで暮らす以外に方法が無いとすれば、今度こそ有坂を幸せにできる人は自分しかいない・・・そうなれば、それはそれで良いのではと思ったのであった。


「有坂上等兵。わたしは貴様を一生大事にすることを固く約束するぞ」

「中隊長殿とても嬉しいであります」

中隊長と有坂上等兵は、見知らぬ南国の島で戦争を忘れた二人だけの暮らしを本格的に始めたのである。

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