〜番外編〜 レファスの追憶 (レファス視点)

 荘厳な宮殿の一画。


 庭師が丹精を込めて手入れしたその庭園を、初夏の爽やかな風が吹き抜け、中庭の回廊を歩いていた僕の元に洗い立ての新緑の香りを運んできた。


 その香りに誘われるように庭園へ目を向けると、朝露に濡れた木々が朝日に照らされてキラキラと眩しく輝いている。


 ——天界——

 浄化の光に満ち溢れ、あらゆる生命体の上位種である天界人の暮らす国。


 その国の中心に位置する場所に建てられたこの宮殿は、天界人の王が住まう宮。レファス宮。


 朝の会議へ向かうため、僕がその中庭を望む回廊を歩いていた時のこと。


「レファス様! あの者はただの霊界人ではありませんか! 王家に相応しくはございません! 今からでもお考え直しを!」


 神秘的な朝のオーラをかき消すような、苦言を呈する声が回廊中にこだました。


 僕は今日も宰相であるギラファスの小言を聞き流しながら、宮殿の長い廊下を急ぎ足で進む。


 実はギラファスは未だに、僕たちのこの婚姻について反対し続けている。

 結婚して数年……既に妻は、国民に王妃として認められ、もうすぐ子供も生まれるというのにだ。


 初めの頃はここまであからさまな言い方はしていなかったのだが、子供ができたと知ると今のように声高に反対するようになった。

 その日から、毎日、諦めもせず、こうして小言を言ってくる。


 ギラファスは『王家第一主義』と言ってもいいほど、王家に忠誠を誓っている。だから、自分が決めたこの婚姻に反対するなんて思いもしなかった。


 『王家第一主義』……そう、僕の認識が甘かったのだ。


 ギラファスは『僕個人』ではなく、『王家』を大事に思っている。

 なので、ギラファスにとって霊界人である妻は、王家に入り込んだ異物に見えるのだろう。

 これまでも、妾にしてはどうかと散々聞かされて怒りを抑えるのに苦労した。


「レファス様、聞いておられるのですか? いくら王家の血を引くとはいっても所詮は霊界人。とても王族の能力スキルに目覚めることなど出来ないでしょう」


 聞き流している間に、生まれてくる我が子のことにまで話が及んでいたようだ。

 ギラファスに、これ以上のことを言わせてはならない。


「ギラファス!!」


 歩みを止め、怒気をこめた一喝でその口を封じると、斜め後ろを付いてくるギラファスをふりかえり、彼に鋭い視線を向けた。


「口を慎め、……言葉が過ぎるぞ……」

「……申し訳ありません……」


 歯切れ悪く答えるギラファスは、『納得などしていない』といった態度ではあったが、一応は謝罪の言葉を口にした。


 そのまま押し黙ってしまったギラファスに少し違和感を感じたが、その時はそれで軽く流してしまった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「あ、パパ! 来てくれたんだ?」


 窓辺のロッキングチェアに座り、大きなお腹を撫でていた妻が明るい声で迎えてくれる。


 ここは王妃宮。

 王宮の中で最も閑静なこの場所は、妻にとって今一番必要な『穏やかな環境』が整っている。

 母体にも胎教にも申し分ない……ということは理解しているのだが、唯一の不満があるとすれば『僕のレファス宮からは少し離れている』というところだろうか。


「私は嬉しいんだけど、公務が忙しいんじゃないの? 無理してない?」


 妻がコテンと小首を傾けながら僕の心配をしてくれる。


 教育係からは王妃らしくないと言われているが、僕はこの妻の可愛らしい仕草を大変気に入っているからそのままで良いと思っている。


「大丈夫だよ、たとえ忙しくても来るけどね」


 愛おしさが溢れ、僕は彼女を後ろから優しく抱きしめるとその頬にキスをした。


「ンフフ〜。もうすぐこの子も生まれるし、こういうの幸せっていうんだね〜」


 妻がくすぐったそうに首をすくめながら、陽だまりのような笑顔を僕に向けた。


「そうだね、僕も幸せだよ。……どう? 体調に変化はないかい?」


 ふと、彼女がその大きなお腹を撫で続けていることに気がつき、心配になったが、僕は何気ない風を装ってそう問いかけた。


 心労をかけないよう彼女には黙っているが、霊界人の出産にはリスクが伴う。


 霊界人は、天界入国の際に魂に刻まれる能力スキルによりその存在を安定化させるのだが、稀に出産時のストレスでその安定性が揺らぐことがある。


 そんな事態にならないためにも、出産時には僕も付き添うつもりではいるのだが、やはり心配は尽きない。


「ん〜、大丈夫だよ? ちょっとお腹が張ってるけど、いつものことだし」


 そう言って、彼女は大きくなったお腹を優しく撫でた。


「え!? 大変じゃないか! 早く横になって!」

「も〜、大丈夫だって言ってるでしょ?」


 慌てる僕に向かって『心配性なパパね〜』と言いながら、彼女は再びお腹を撫でる。


「いいから横になってて? 僕の方が落ち着かないから!」


 リスクのことを知らないから当然だが、妻は『仕方ないわね〜』と呑気な感じでベッドへ向かう。


「もう、いつ生まれてもおかしくないんだからね?」


 彼女は僕の心配をよそに、『ハイハイ』と軽い返事をしてベッドに横になった。


「少し眠ると良いよ。僕は君が眠るまでここにいるからね」

「ンフフ、じゃあ、頑張って起きていないとね?」


 本当に彼女は嬉しいことを言ってくれる。でも君は、いつも通りすぐ眠ってしまうんだろうね。



 ◇◆◇◆◇



 グッスリと眠ってしまった妻の頭をそっと撫でると、彼女を起こさなないよう、僕は静かに部屋を後にした。


 溜まっているであろう仕事を処理するために、執務室へと足を向けたその時……


「……レファス様」


 不意に声をかけられた。

 その声は、ここには寄り付きもしなかったはずの人物のものだ。


「……どうした? お前がここに来るなんて初めてじゃないのか?」


 振り向いた視線の先には、宰相ギラファスの姿があった。

 ここには、頑なに来ようとはしなかったのに……どういうことだ?


「……王妃様と、間も無く生まれるであろう次代様にご挨拶致したく……」


 あれほど妻を王妃として認めようとしなかったギラファスが? 一体、何を考えている?


 僕はその真意を探るように、ギラファスの顔をジッと見つめた。しかし、その顔からは、何も読み取ることができなかった。

 もともと表情の乏しい人物ではあるが、それにしても、今日は一段と表情が読めない……


「……あいにく、今、眠ったところだ。また日を改めるがよい」

「御意……」


 ギラファスは一言だけ発すると静かに立ち去って行った。


「……フィオナ」

「はっ、ここに……」


 存在感を消して控えていた使徒を呼ぶと、目で合図を送る。

 フィオナはこちらの意図を正確に把握して軽く頷くと、素早くその場から立ち去った。


「ギラファス、一線は超えてくれるなよ……」



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇



「痛ーい! 痛い、痛い、痛い、痛い、痛ーい、痛ーい!!」

「頑張って、もう少しだから。ほら、僕と呼吸を合わせて? ヒッヒッフ〜、ヒッヒッフ〜」


 妻が産気づいて、もうすぐ七時間が過ぎようとしている。

 痛みに弱い妻のために、ずっと『ラマーズ法』という『呼吸法』を試しているのだが、彼女にとっては、どうも効果は今一つのようだ。


「王妃様、頑張ってください。お子様も同じくらい苦しんでおいでなのですよ!」

「さあっ、力んでください! そうです! その調子です!」


 妻は、助産師の言葉を信じたようだ。真っ赤な顔で必死に力んでいる。


 そして、……その時は急に訪れた。


「オギャッ、オギャ、オギャ〜、オギャ〜、ーー」

「王様、王妃様、おめでとうございます。元気な女の子でございます」

「おめでとうございます。翼もきちんと揃っておりますよ」


 室内に響く元気な泣き声。急に現れた眩い存在感……


 そんな神秘的な現象に只々圧倒されてしまった僕は、何をどうすれば良いのか分からず、その様をぼんやりと眺めることしかできなかった。

 そんな僕を置き去りに、助産師はテキパキと我が子に適切な処置を施すと、真っ白なお包みに包まれた我が子を妻の元へと連れてきた。


 妻が、嬉しそうに我が子をその胸に抱いた。


「うふふ、良かった。ちゃんと翼があって……」


 妻がポツリと呟いたその一言が、僕の胸に染みた。


「お疲れ様。それに、ありがとう……本当に、ありがとう」

「ふふっ、……はい、パパも抱いてあげて?」


 母となり、慈愛に満ちて一段と美しさの増した妻から、手のひらに乗りそうなほど小さな赤ん坊を腕の中に託された。


 フニャフニャとして柔らかく、壊れてしまいそうで抱いているのが少し怖かったが、腕の中に感じるその温もりに『父親になった』という実感が湧いた。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 その日の晩、皆が眠りについた頃、寝室のバルコニーから聞こえた大きな物音で、僕は目が覚めた。


「レ、レファス様っ、大変です! 王妃様が、王女様が!」


 ギラファスの監視に付けていた使徒のフィオナが、全身に切り傷を負いながら室内に飛び込んできた。


「っ、フィオナ!? 何があった!? と、とにかく王妃宮に行くぞ!」


 部屋を飛び出し、荘厳な宮殿の廊下を王妃宮目指してひた走った。途中、フィオナから事情を聞きながら……


「宰相に動きがありましたので尾行しておりましたが、王妃宮へと立ち入ろうとしたので、偶然を装って声をかけたのです」


 その瞬間、激しい攻撃を受けた、とフィオナは語った。

 不死鳥であるフィオナは、多少の傷なら瞬時に治してしまえる。傷つけようとするなら、殺意を込めたかなり激しいものでなければ到底無理だ。


 そのフィオナが、これほどの傷が癒えずに残る攻撃とは……


「護衛騎士たちが守りを固めておりますが、時間の問題かと!」


 ギラファスは、天界人の中でも王家に次ぐ家門の出。一般天界人とは一線を画す神気、神力に溢れた高位の者だ。

 本気で力を振るえば、宮殿ごと全てを破壊することができる力を持っている……急がなければ!


 急ぎ駆け付けた王妃宮には、至る所に激しい争いの痕が付いていた。

 入り口付近には、死んでこそいないが大勢の護衛騎士が倒れ、うめき声をあげている。


「っ! ギラファスは!? 奴は、奴は何処だ!?」


 そこにいなければならないはずのギラファスの姿が見えず、嫌な予感が脳裏をよぎる。


「っ、うっ、申し訳ございません……力及ばず、宮中への侵入を許してしまいました……」


 起き上がることも出来ない状況の、満身創痍になった護衛騎士が告げた。

 その言葉を聞いた瞬間、僕は明かりが落ちて先の見えない王妃宮の入り口へと飛び込んだ。


「レファス様! 危険です、お待ちください!」


 護衛たちの呼び止める声を無視して、妻の寝室を目指した。


 本来なら、国王として自身の安全を第一に考えなければならないのだろう。

 しかし、愛する妻と生まれたばかりの我が子が危険に晒されている。

 そんな時に、ジッとなどしていられない。


「フィオナ、辺りを照らせ!」


 後ろをついて来るフィオナに、不死鳥ならではの炎を使わせて周囲を照らさせた。

 ……いつもの通路が、やたらと長く感じる。


 妻の寝室の方から、扉が強引に開けられたような破壊音と、侍女たちの悲鳴が聞こえてきた。


「……っ!? ギラファァァス!!」


 声の限りに叫ぶと、僕はひたすら駈け走った。

 妻の寝室へ辿り着くと、天井付近まである大扉は、周囲の壁ごと派手にもぎ取られており、その傍らで、一人の護衛騎士がうめき声を上げながら倒れていた。


 見るからに重傷を負っている護衛騎士にフィオナは素早く駆け寄ると、不死鳥固有スキル『復活の光』で治療に当たり始めた。

 すぐ近くには、腰を抜かしている二人の侍女も確認できる。


 状況を把握した僕は、危険を承知で明かりの落ちたその室内に飛び込んだ。

 そこで私が目にしたのは、妻から我が子を奪い取るギラファスの姿だった。


「ギラファス!! 貴様いったい何をしている!?」

「お願い!! その子を返して!!」


 ギラファスは、乱雑に我が子を片手に抱えながら、ゆっくりとこちらへ視線を向けた。


 まだ、起き上がることの出来ない妻が上体を起こして必死に訴えている。

 妻の叫び声と我が子の鳴き声が、やけに大きく室内に響いて聞こえる……


「レファス様、自分は……我輩は、王家に異物を入れぬよう、何度もお願い申し上げた……」


 低く呟くようなギラファスのその声にゾッとした。

 瞬時に、これ以上ギラファスを刺激してはいけないことを悟った。


 慎重に間合いを測りながら、ギラファスとの距離を詰める……


「ギラファス……冷静になれ。その件については話し合いで解決出来るはずだ……」

「話し合い?」


 僕の言葉にピクリと片眉を動かしたギラファスが、ニヤリと笑った。


「それが出来ないから、このような事態になっているのでは?」


 不意にギラファスが片手を振った。爆音が上がったかと思うと、壁に大穴が空いた。

 その大穴からは、ロマンチックな庭園と美しい星空といったこの惨状とはおよそ似つかわしくない光景が覗いている。


「命まで奪うつもりはない……とはいえ、レファス様。いま一度、よくお考え下さい」


 言い終えると、ギラファスは自身が開けた大穴から外へと飛び出した。


「待てぇっ!! ギラファス!!」

「いやぁぁぁぁ!! 返してぇ!!」


 妻の絶叫を背後に聞きながら、私はギラファスの後を追って外へ飛び出した。

 そこで私が見たものは、逃亡用のペガサスに、サッとまたがるギラファスの姿だった。


 ギラファスの使徒であるペガサスが、その背に主人を乗せて飛び立った。


 このまま行かせてはダメだ!


 僕は危険を承知で、そのペガサスの足にしがみついた。

 しかしペガサスの、掴みどころのないそのストンとした足に、長くしがみついてはいられなかった。


 さほど高度はなかったが背中から地面に落下してしまい、一瞬息が止まった。

 翼を打ち付けたことで体が痺れ、身動きの取れなくなった僕は、仰向けに倒れたまま、為す術もなく、弧を描きながら飛び去るペガサスを睨むことしかできなかった。

 その時……


「待ってぇ! 待ってぇ、お願い……お願い……」


 息も絶え絶えな妻の声にハッとした。

 無理に上体を起こして振り返ると、妻がよろけるような足取りで飛び去るペガサスの後を追いかけている。


「だ、ダメだ!! 動いちゃダメだ!!」


 まだ、絶対安静にしなければならない身だ! でないと……


 僕は強引に体を起こすと、ペガサスを追いかける妻を追いかけた。

 そして、妻の腕を捕まえて引き止めた。

 それでもなお、追いかけようとする妻を、僕は背後から抱き抱えて止めた。


「離して、パパ! あの子が! あの子が連れていかれるっ」

「だ、大丈夫だ! 命の危険はないはずだ。落ち着くんだ」


 妻の存在感が急激に薄まるのを感じ、サッと血の気が引いた。


「追いかけなきゃ……追いかけなきゃ……追いか……」


 僕の声が届いていないのか、ブツブツと呟く彼女の存在感が、……存在そのものがどんどんと薄まってゆく。


「だ、ダメだ、返事して! 僕の声を聞いてっ! 返事して!」


 必死に呼びかけながら僕は妻を抱きしめた。

 彼女が消えてしまわないように願いながら……


 フッと、この手に抱きしめていたはずの妻の感覚が無くなった。


「えっ、……あ、……アッ!?」


 その身を半透明に変えた彼女が僕の腕をすり抜けて、フワリと空へ浮かび上がった。


「戻って来い! いっ、行くな! あ、アッ、アルガーラァァァ!!」


 その様を信じられない思いで見つめる僕の目の前で、透き通り、宙に浮かんだままの彼女は、ゆっくりと夜空に溶けていった……



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 あれから、どれほどの時間が経ったのだろう……

 結局、ギラファスには逃げられ、娘も魂を連れ去られてしまったままだ。

 絶望的な状況だが、それでも、君の残してくれた娘を救うために、僕は『疑似体』を開発した。


 普段は研究室ラボ内に保管してあるその『擬似体』。

 娘の『心臓』を担ってもらうにあたって、拒絶反応を抑えることを目的として開発されたこの人工体は、その特性上、宿った魂に限りなく近い姿に変化する。


 今回、『心臓候補』としてそこに宿ったのは、間違いなく別人だ。しかし、そこには忘れることの出来ない人がいた。

 君に瓜二つの容姿を持つ存在が……


「パパ? どうしたの?」


 はるか昔によく聞いたフレーズに、封印したはずの記憶が溢れ出した。

 帰って来た! 帰って来てくれた! 僕の愛しい人……


「アルガーラ!!」


 思わず飛びついた僕の腕の中で、ガッロル君の慌てふためく様が伝わってくる。

 もちろん、頭では違うと分かっている。


 分かってはいるが、今だけ……今だけは許して欲しい。

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