第131話 未だ果てない想い。
やはり成美先生以外に使っているところを見ない数学準備室に入ると、俺はもはや慣れたもので、手前のソファーに腰掛ける。
大体先生が俺に用事を頼んでここに連れてくる時は何かしら話があるのだ。
先生は奥の方にある棚の足元に段ボールを置いて、傷んだ腰をさすりながら奥のソファーに向かう。
「お前、慣れすぎだろ」
「そりゃ何回も面倒に巻き込まれたら耐性は嫌でも付きますよ」
「・・・もう少し敬意とかないもんかねぇ」
言って先生は常備しているらしい缶コーヒーに手に取った。
「で、話ってのは?」
「話あるのは前提なのな」
「ないなら帰りますけど」
「ある、あるから!ったく、せっかちな男は嫌われるぞ」
ぐびっと一口コーヒーを飲んだ先生は言った。
「同好会合併の件、お前がやるんだって?」
「まぁ」
「確認だが、合併に向けて動くんだよな?」
「・・・」
正直、あの井伊の主張に俺自身反論できなかった。
井伊は言っていた。
別に作品を書く事自体は同好会に所属しないでもできるじゃないかと。
なんならアイツらは「文芸部」と言う肩書きから解放されたことで書くことの楽しさを思い出した、そんな風にも聞こえた。
であれば、アイツらにとっては同好会はそこまで大切ではないんじゃないのか。
そんな気すらしてきた俺は、先生の質問には答えられなかった。
「おいおい、沈黙は肯定と捉えられるぞ・・・」
ため息をつくと、先生は足を組む。
「まぁここだけの話、私はどっちだって良いんだ。・・・あの禿頭のこと嫌いだし」
禿頭とは、川霧にこの件を押し付けてきた教員のことだろう。成美先生は元からあの先生のこと嫌いそうだったし、それも関係あるのかもしれない。・・・それはそれで子供っぽすぎる気がするが。
「ただ、なんというか。大丈夫なのか、お前は」
「大丈夫?」
「気を揉んでいるんだろうと思ってな。生徒会選挙に、茉白が生徒会に入れなかった
こと。色々と重なったからな。だからこそ、お前が文芸部の奴らに罪滅ぼしをしたいって無理をするんじゃないのかと心配なんだよ」
心配、とはっきりと口にすることが、なんだか成美先生に不釣り合いな感じがして俺は少しだけむず痒くなる。
というか先生は文芸部の件を知っている様な口ぶりだ。川霧にでも聞いたのだろうか。確かあの頃は川霧は生徒会の方で忙しかったし、不思議ではないのだが、俺が思っているよりもこの先生は裏生徒会を気にかけていたらしい。
「で、大丈夫なのか?」
「そうですね。特にまだ何もしてないですし」
なるべく平静を装って俺はそういった。
「でも期限があるだろ?何に悩んでるんだ」
「いや、別に悩んでもないですよ」
俺はうっすらと笑いながら答える。
それを見て成美先生はまた息を吐いて、背もたれに重心をかける。
「嘘が下手なんだよ、全く。まぁ教師からすれば楽でありがたいがね」
「なんで悩んでるって決めつけるんですか」
「そりゃお前がらしくないことするからだろ。私が知ってる色見和樹は教師に向けて笑わない」
「もっと自分の言動の分析をした方がいいですよ」
「“あんな風”には、笑わないってことだ」
また一口、先生はコーヒーを飲む。成美先生はどうやら俺が迷っていると決めつけたいそうだ。この人は頑固なので俺は”しょうがなく”その体に乗っかって話に乗ることにしよう。
ありがた迷惑の前に、俺は嫌味な口調で言う。
「なら、先生が『心配』だなんて言うのもおかしいから悩んでるんですね」
先生は優しい笑みを浮かべる。
「・・・あぁ。お前にはいつも悩まされるよ。そんなのだから内心点が低いんだ」
軽口を言い返せたことに満足げな先生は真剣な顔つきになると俺に問いかける。
「で、今度はどんな問題で悩んでるんだ」
俺は少し考える間、窓の向こうに見える木の葉を見る。
それは風に吹かれるままで、上に下にと忙しなく動いている。
その様子をじっと見ていると、やがて一枚、二枚と葉っぱは風に煽られて落ちていった。
「問題というか、なんというか。自分が何をしたいのか、わかんなくなって」
「先のことで悩むなら過去を振り返ればいい」
「自分のことを自分で決めた気になってただけで、意外に周囲に流されてだとかそんな原動力で動いてるって気づいて、俺は何がしたいんだろうと」
俺の言葉を聞くと成美先生は意外そうに目を丸くしていた。
「意外だな。お前は『自分の道は自分で決めます』みたいなタイプかと思ってたんだが」
おどけたような声真似をする先生。きっと重苦しくならないよう、配慮しているのだと思う。どこまでも、今日の先生はらしくない。
俺は自嘲する。
「俺もですよ。ただ、それは理想であって、俺じゃなかった。俺は自分の中にあるやる気だとかで動いてたわけじゃないんだって、川霧とか朝日を見てて痛感しました。近くでいるとアイツらは眩しすぎる」
そう。この自覚の予感は、選挙のあたりからだ。
これまでは、自分の人生を歩みながらその視線に映るのは常に“遠くにある”他人だった。
人がどんな話をしていて、どんなことをしていて、何を考えているのかを想像して、そんなことを考える人生だった。
自分はいても、自分のそばに人がいないせいで、自分がどんなものなのか向き合うことがなく、勝手に自分に期待していたんだ。
だからきっと、続く失敗に俺は凹んだ。
想像の自分はもっと上手くできるはずなのに、現実の俺はどうしても失敗して、その差に苦しくなっていたんだ。
しかも近くには俺の理想を形にしたような人間がいる。これが苦しくないわけがないんだ。
そんな最低で低俗な感性を持つ自分にも、苦しくなる。
「自分が何をしたいか、ねぇ」
俺の言葉を反芻しながら先生はゆっくりと缶のフチをなぞる。
「先生は、自分が何をしたいかわかりますか」
「えっ、私か?・・・この歳になると、もう日々は消耗品だからあんまそんなこと考えないが・・・」
「なら、俺くらいの頃は?」
そういうと、先生は優しく微笑む。けれどそれは少しでも力加減を間違えればダメ
になるガラス細工じみた美しさだった。
「わからなかったし考えたこともなかったよ。考えるようになったのは、もう少し後だ」
「もう少し後?」
「大学の頃だな」
先生はコーヒーに口をつける。さっきまでとは違って、流し込むような印象を受ける。
やがて先生は手元の間を見つめながら続けた。
「私はそれがわからなくてな。だから教職を取ろうと考えたんだ。やりたいことがわからなくてもいいようにな」
「そのあとは見つかりましたか?」
長い沈黙。
俯きがちなその顔には、深い影が落ちていて俺には表情が窺えない。
大学の頃の話から時が止まったような先生は、ゆっくりと、そして唐突に話し出す。
「一つ上の先輩だった」
「はい?」
「何がしたいかわからなかった頃の私は、ひとりぼっちで未来への焦燥感みたいなものから目を背けながら生活してた。そんな時、その教職をとってる時に出会った奴がいてな」
その口調は自嘲的で、どこまでも温かかった。
俺は悟る。
きっとこれは成美未果の学生時代の恋話であり、成美未果が成美先生になるまでの話だと。
「周囲に意味もない敵意を振り撒いてた私に話しかけてくる変な物好きだと思ったんだが、話すうちに仲良くなって、一緒にいる時間が増えたんだ」
昔話をするには儚い雰囲気で成美未果は続ける。
「ただ、年次が上がるごとに私は教師に対してモチベが下がってきたんだ。いやでも待遇の悪さとかは耳に入るからな。まぁアイツが子供大好き、教えるの大好きってタイプだったってのもあるな。こんな奴らと一緒に仕事できるのかって不安もあった。それをいうとアイツは『お前にしか救えない子は絶対いるはずだ』って口うるさく言ってきて、何回も教師になりたくないっていう私を説得したんだ」
成美未果は足を組み替え、間を置いてから自分の手を重ねた。
「本当にこれでいいのか、だなんて迷ってた頃のある日。忘れもしない、デートの日だった」
成美未果は一呼吸息を吸って言う。
「アイツは死んだ」
「原因は道路に飛び出た子供を庇うだなんて作り話みたいな理由だった。意味がわからなかったさ。私よりも自分と向き合って、人のために生きようとしていたアイツが、どうして死なないといけないんだ。当時ありもしない永遠を信じていた私は一気に闇に突き落とされた気分だったよ。・・・今でも夢に見るさ、あの待ちぼうけた昼下がりを」
そこまで一気に言うと成美未果は最後の一口まで飲み干した。机に置かれた缶は甲高い音を立てる。
「でも、だ。不思議と同時に見つかったさ、自分が何をやりたいかが」
成美未果はおもたげな顔を持ち上げ、俺を見る。
目があうと、クマだらけなあの顔でまた微笑んだ。壊れかけの笑顔で、彼女は声を絞り出した。
「教師になろう、そう思った。でもそれは別に子供や教育のためじゃない。アイツとの繋がりを感じたいっていう私利私欲だ。でも、もし私が教師になって、誰か生徒を救えたらなら、アイツだって報われる。そう、夢を抱いた」
「・・・それで、その夢は」
「叶えられなかったさ。教師になって数年後かな、自分には無理だと悟ったよ。そしてその時に夢から覚めて、今に至るってわけだ」
ふぅ、と短く息を吐いた成美未果は少しばかり感傷気味に遠くを眺め、やがて姿勢を正し俺をみる。
「要はだ、色見」
その声はいつものひょうきんモノな成美先生のものだった。
「自分と向き合え、大人になれ。そんなこと難しいってことだ。自分の思いも、大人ってのも気づいたら向き合ったり、なってるもんだから」
「それじゃあ何の解決にもなってないですよ」
「そうかもな。でも、夢を捨てるな。理想を忘れるな。それはきっとお前たちじゃないとできないことだからな」
自分一人でなんでもできる自分。我が道を生きやりたいことはなんでもやる自分。
そんな、叶わない理想。
理想は叶わないから理想なわけで、そんなの抱くだけ徒労なのではないだろうか。
そう思いながら、けれども理想によって傷つけられたこの傷を、否定したくないのもまた事実なのだ。
「色見。後悔のない選択肢なんて、ありゃしないんだ。少しでも悩んだなら、それは結局後悔もセットでやってくる。」
なんと身も蓋もない言葉だろうか。ただ、その着飾らない言葉が、ありのままの言葉が、俺には染みるように感じる。
そんな恥ずかしさを隠すように、前にも言った憎まれ口を叩く。
「でもそれなら、間違う先を考えても同じことでは」
「もちろん考えたら良い結果になるとは限らないさ。・・・実際に、私にもそう言う経験はあるし、今でも思い出すさ。それ自体を美化するつもりもない。辛いからな。辛いのは、幾つになっても嫌さ。ただ、そういう取り返しのつかない傷ができたからと言って、泣くだけが人間じゃないさ」
先生は楽しげに目を細める。その目尻が光って見えたのは、きっと見間違えだ。
「取り返しがつかないって終わったってことでしょ。なら抱く感情は『諦め』だ」
俺がむくれてそう言い返すと、先生は芝居がかった様子で肩をすくめる。
「はぁ。これだからぼっちは」
すると先生はやはり少しだけ紅くなった瞳で俺の見据える。
「確かに終わったら泣いてしまうかもしれない。でも、同時に今までの思い出で笑顔にもなれるさ。そう言うのの積み重ねだよ」
そう言って俺に腕を伸ばしデコピンをした。
けれどそんな痛みも、骨を伝う軽い音も聞こえなくなるほどに、俺の中で痛快な何かが走るのを感じた。
俺が笑顔になる時、思い出す風景はどんなだろうか。
真っ先に浮かぶのは、あの場所で、あのメンバーでどうでもいいことで笑い合う、そんな取り留めない風景だった。
俺は小さく笑って立ち上がる。
「どうだ、結局お前は何がしたいか見つかったか?私の初恋話を聞かせたんだ、高くつくぞ?」
「そうですね多分、俺はきっと」
俺は先生の方を振り返ると、
「一人は嫌なんだと思います」
そう言って笑った。
先生はその様子を見ると優しげに笑ってから、俺の背中をたたく。
「行ってこい」
俺は強く、地面を蹴った。
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