第9話 茉白は変わっても変わらない

ヒューと枯れ木を揺らす乾いた風の音とパンを包んだプラスチックが擦れる音が心地良い昼休みの空き教室。


いつも昼飯はクラスで一人で食べているが、なんだか今日のクラスの騒がしさがやけに耳障りだったので、人がいないであろうこの教室に来た。


クラスでも精神的には一人であるが、事実として物理的に他人が近くにいるというのは無意識に体力を使っていたようで、目論見通り、俺は心に平穏を取り戻すことに成功していた。


広い校内に人が沢山いる中で自分だけの空間ができたというのは裏生徒会に入った意外なメリットだった。


そんな風に考えているとガラリと、俺だけの時間の終わりを扉が告げる。


「・・・あ、やっぱりいた」


「茉白さん?」


「・・・私もここで食べていいかな」


扉に立つ茉白の手には、確かに小さな弁当箱があった。


俺が驚いて返事に困っていると、その間を肯定と捉えたのかマイペースにも茉白は俺の前の椅子に座り、体をこちらに向けてきた。


茉白は俺の困惑の視線にやっと気付いたのか、俺が使っている机の奥側に弁当を置いて昼飯の準備をしながら「あぁ」とのんびりした口調で


「なんだか今日の教室うるさくて。一人になりたかったんだよね」


「要は俺に出てけって言ってる?」


「言ってないよ。別にいても気にならないし」


「それ褒めてる?」


「・・・どうだろうね」


茉白は小さな口に小切にされた色とりどりの食材を口に運んではゆっくりと咀嚼していく。


本当に時間までに食べ終わるのだろうかと心配してしまうほどに緩慢だが、彼女の所作は優雅とは違うが、品性を感じさせる。


こちらを気にもとめない茉白の様子を見ていると変に気を使うのが馬鹿らしくなり俺も齧り掛けだったパンにありつく。


秋風の音とプラスチックの擦れる音に、箸が弁当にあたる軽い音が加わったこの空間も思いのほか悪くはないなと、ぼーっとしばらく自分の世界に耽っていると


「そろそろ文化祭だね」


茉白は唐突に、視線は弁当に向けたまま呟く。あまりの脈絡のなさに独り言かと思ってしまう。


それに文化祭まではまだ一ヶ月もあるはずで、もうすぐという表現はあまり腑には落ちなかった。


「俺らのクラスは何やるんだろうな」


「射的とか、金魚見たいなおもちゃすくいみたいな、お祭りの出店見たいなことするみたい。当番もそこまでいらないから楽だって」


「詳しいな」


基本ぼんやりとしている茉白の口から事細かにクラスのことが出てくるのは少々意外だ。


周りで何が起きていても、あまり関心はなさそうなのに。


あくまでもそれはクラスでは基本関わらないクラスメイトである俺のイメージなので実際とは異なるのだろうけど。


感心している俺に、なぜか茉白は少し呆れたように言う。


「詳しいも何も、この前HRで決めたよ。まぁ色見くんは寝てたみたいだけど」


マジか、俺の知らない間にそんなことが・・・


確か名前は覚えていないがクラスの文化祭の担当は真面目なタイプというよりも陽キャで適当なタイプの男だったはずなので仲間内でワイワイして決まったのだろうか?にしては地味な気もするが・・


その場面で俺が起きていたからと言って案が変わるわけでもないし、そもそも俺だって特に仕事がしたいわけではないので寝ていても問題はないのだ。


・・仕事。その言葉はクラスの出し物についての話だったが、芋づる式に俺の頭に浮かんだ憂鬱な考えを振り解くよう、俺は頭を軽く左右にふる。


「・・面倒なことにならないといいが」


「面倒って裏生徒会のこと?」


「あぁ。なんてったって、一応は生徒会の雑務担当だからな。面倒ごとを押し付けられないとは言い切れん」


ここにきて、裏生徒会に加入したデメリットが俺の気分を重くさせる。


文化祭なんてやる気のある奴らが前に出て、他の生徒はお客さま気分で学校を散策できるから楽しいのであって、お客さまになれない文化祭など文化祭ではない!


俺がついため息が漏れてしまう。


その様子を見た茉白はご飯を飲み込み終わると


「でもまさか色見くんが人助けなんてね」


意外だ。と言外に伝えてきた。


「なんでだよ、俺は優しいだろ。ほぼ初対面のお前の日直だって手伝っただろ」


まるで恩に着せるような嫌な言い方になってしまったが、事実俺は意地悪なわけでも不必要に誰かの不幸を願ったりするほど悪趣味でもない。


俺が不幸を祈るのは、わざとらしく大声で下世話な話をするやつとか見せつけるようにいちゃつくカップルくらいだ。


ほら、俺優しいじゃん


俺は自分の優しさを再確認していると、茉白はしばらく考え込んだ様子の後にゆっくりと口を開く。


「・・・優しいってのは朝日さんみたいな人を言うんだよ」


「いやいや、あの事件の時だって朝日さんは何もしてないぞ」


「そんなことないよ。川霧さんの気持ちを汲み取った上で私に力を貸してくれたんだもん。」


「それなら俺だって」


「色見くんは違うよ。だってあの時は川霧さんを言い負かそうとしてただけでしょ?」


「・・・」


あの時の心境を思い出し、俺は言葉に詰まる。


確かにあそこで俺が茉白の相談を受けると言ったのは、茉白を助けたいからとかではなく、ただ威圧的な川霧に苛立ちを覚えたから。そして俺は冷ややかに正論を諭す川霧に劣勢と見るや否や、朝日の優しさに漬け込んだ。


それを指摘され、反論の余地をなくす。


優しいと思っていた自分の醜い正体をいとも容易く指摘され恥ずかしくなってしまう。


「でも、感謝はしてるよ。それもホント」


付け足すように、呟く茉白の顔はいつもと変わらなかったが、それが嘘でないことは俺から見ても明らかだった。


今度は別の恥ずかしさが込み上げてきて、俺はつい顔を逸らしてしまう。


チラリと見るその横顔からは、やはり感情は読めない。


感情を探し当てるように、横目で茉白の顔色を伺っていると、不意に目を走らせた茉白の視線と盗み見ていた俺の視線がぶつかる。


「なに?私、顔に何かついてる?」


「いや、無表情だなって思って」


「・・・そんなに無表情かな」


「そりゃもう」


むすっとしているわけではないので近寄り難いわけではないが、それでも初対面で茉白に話しかけるのは覚悟が必要そうだ。


ってか真顔の自覚ないのかよ・・


言われてもなお無表情の彼女は


「・・なんだろ、ぼーっと取り止めもないことを考えるのが好きなんだよね。で、そっちに集中しちゃってるから口調も顔もあんまり動かないのかも。なおざりになっちゃうっていうか」


「へぇ、何考えてるんだ?」


俺の不思議そうな顔に、茉白は同じように返す。


「さぁ?私も覚えてないよ。だってどうでもいいことだもん。癖みたいなのだし」


なんだそりゃ


それなら何にも考えていないのと同義じゃないか・・・


「やっぱり表情豊かな方がいいのかな」


「人によるんじゃないか」


はぐらかす様に言うと、茉白はその空気を感じてか、もしくは鈍いのか


「シキミくん的には?」


思わず「ぶっ!」と飲んでいた水を吹き出しそうになる。


なんでこうもこの子は空気が読めないのだろうか


「・・まぁ、表情はあったほうが可愛いんじゃないか」


知らんけど、と付け加えるが如何せんモゴモゴとした口調になってしまって、死にたくなる。


なんだよこの辱めは・・


「そっか」


呟く彼女は自分の膝あたりを見ているため前髪でその表情は読み取ることはできない。


見えなくてもきっと、いつもの表情であるはずだけれど。


茉白はいつもの感情の見えずらい声で、またしても突拍子もなく呟く。


「文化祭、困ったことがあったら言ってね。力になるから」


「そりゃ助かる。真っ先に頼りにするよ」


俺が茶化すように言うと、茉白は短く肯定する。


「うん」


「・・・あのなぁ。またそうやって安請け合いすると痛い目に」


「違うよ」


少しばかり力強い茉白の声で遮られる。


短く息を吸う彼女の顔はまだ見えないけれど、その綺麗なくるみ色の髪は光を受けながら大きく揺れる。


「全然違う。助けたいから、助けるんだよ」


子供のようなワガママを口にしながら彼女は顔を上げると・・


「ね?」


可愛らしく、微笑んだ。




俺はその表情につい目を奪われてしまう。


息をするのを忘れるほどに


時間が止まってあの顔が目に焼き付いて離れない


「・・・ふっ」


小さな笑い声。堪えようとしたが無理だった、そんな声が聞こえ我に戻ると茉白は俺に背を向けていた。


そして、華奢な肩は小刻みに上下していた。


「・・・ふふっ」


「な、なんだよ」


「だって、顔、赤いから」


そう言って確かめるように小さく首を捻ってこちらを確認する茉白の口調は意地悪を言うようだった。


からかわれた。その事実を認識すると、気づいていなかった頬の暑さを感じ、より一層暑くなってしまう。


「さ、帰ろっか」


そう言って一足先に廊下に出る彼女を追うようにして俺も席を立つ。


俺の数歩前を歩く彼女はただ前だけを見て、何も言わず歩く。


今の彼女はどんなことを考えては忘れているのだろうか。


俺には、わからない


ここは一つ、悪戯ついでに・・


「別に、お前はお前で無表情のままでもいいと思うぞ」


「それ褒めてる?」


「・・・どうだろうな」


けれどその足取りはマイペースで、どこか楽しげだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る