Ⅴ(7)

「だから、そっ、そう! いっそのこと眠っている間に仲直り出来ちゃわないもんですかね? ゴメンねって言い合ってるんだし、それがお互いの夢の中に届いてっていうか、ほら、ユングの言ってる集合的無意識で、その共通の場で」


「は?」


 語順だけでなく、内容まで支離滅裂になってきた小暮へ、反射的に進藤は短く応えた。

 それから、目を伏せて小さなため息を一つ吐く。


 小暮が口走った集合的無意識とは、心理学者のユングが提唱した概念だが、それは、個人的無意識よりも深い層にあって、人類に共通した形式と内容を持つ、個人の経験とは独立して働く無意識のことだ。

 ユングは確かに夢解釈の大家ではあるが、進藤の認識では、夢がそんなご都合の良い場所などとは言っていないはずだった。


 もっとも、進藤とて分野違いなのだからよく分からないのだが。


「……お前な、集合的無意識ってそんな都合のいいものじゃないだろうが」


 確か、と声には出さずに一言続けて、進藤は小暮へと目を向けた。

 それは冷たさがなくなって幾分角の取れたものになっていたが、その意味するところは同意や納得ではなく、呆れた上に同情が混じっただけである。進藤の中では、彼の医師免許への疑いすら生まれていた。


「です、よね。はは……」


 苦し紛れに口走ったことにまで冷静に言い返されて、小暮は完全に追い詰められた。

 それ以上何を言えばいいか、もう思いもつかないらしい。引きつった笑い顔のままで硬直している。


 と、そこに、唐突に間延びした声が割り込んできた。


「ん~、でもそんなことがあったらいいよね~」 


 助け舟の主が、三人がけのソファの毛布の塊から顔を突き出す。


「うわっ! な、中川先生だったんすか?」


 中川はそのまま思い切り身体を伸ばして、頭をかきながら起き上がった。そう、中川は手術が終わった後、そのソファを占拠して眠っていたのだ。


「中川先生?」


 フォローに入った中川に、反射的に進藤が問いかけた。


「うん、僕はね~、分からないことについては都合よく考える主義なんだよ~。夢と希望は大切でしょ?」


 大きなあくびをしながら、鷹揚に中川が応える。

 それから、進藤へと目を向けて、


「こんな商売していると、特に。ね?」


と付け加えて、にやりと笑う。


 中川の目配せを受けて、進藤が黙り込んだ。


 中川の助け舟は、半分は文字通り小暮を助けるための、まあ冗談であったが、半分は本気だろうと進藤は受け取った。


 日々向かい合っている世界と折り合いをつけるために、心のどこかにそういうものを持っていることは必要なことでもある、と彼にも思えるのだから。


「……そうですね」


 間を空けてから、進藤が短く応える。せっかく中川が取り持ってくれたのだから、場を納めるのが普通だろう。

 それから、彼はかすかに口の端をゆがめた。


 それは、苦笑のような微笑みだった。


 場の空気が変わったことを感じ、小暮の肩から力が一気に抜ける。

 その姿を見ながら、中川がまたにやりと笑う。


 その二人に目を留めながら、進藤は二人の少女のことを思ってみた。

 彼女たちだけしかいない夢の中の世界で、二人が和解する姿を思い描いてみようとしてみた。


 そう、お互いに許し許される姿。


 そして願わくば、何より許せないだろう自分自身をも。


 しかし、やや柔軟性の欠ける彼の想像力では大いに不足だったらしく、まるで場面が浮かんでこない。


 いや、本当に、だったらいいんだけれどなと、今度は本気の苦笑を浮かべながら、進藤は胸のうちで一人呟いた。

 彼にしては、いつになく感傷的といってよかった。


 そして、だからこそ、素直に後悔できた。


 俺はもう、友紀子に何も言えないし、聞けないから、な。


「お、もう夜が明けるみたいだよ~、お二人さん」


 中川の声に引き戻されて、進藤は窓の方へと視線を向けた。


 カーテン越しに、窓の外が白んできていた。

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