Ⅳ(3)

 そう、雨も声も不快で不安なものだったのだから、二つとも止んでしまって、ほっとするところなのに。

 ちっとも気が抜けない。

 事態が良くなるような気がまるでしないのだ。


 むしろ、予兆のような、これから何かが始まるような、そう、これからが本番のような、そんな予感がする。


 そして、その予感は、間違っていなかった。


 木の横に何かがいた。


 私の目がそれていた間にか、私が気づかなかっただけなのかは分からないが、今、確かに、木に寄り添うように何かがいた。


 思わず腰が引ける。


 それは、まさしく“何か”だった。


 他に形容の仕様が無い。

 輪郭は、深いフード付きのロングコートをまとった風体で、一応人間らしい感じなのだが、それ以外はとても人とは思えない。


 そもそも実体なのかどうかも怪しかった。

 黒い泥水の凝り固まったものとでも言おうか、暗い雨雲の練り集まったものとでも言おうか、そう、間違いなく固体ではないのに、それに匹敵する質量を感じる。


 しかも、うごめいている。

 “何か”の動作の話ではない。それはただ木に寄り添うだけで、全く動いていない。

 うごめいているのは、その肉体というか、構成要素というか、成分というか、泥水か雨雲のようなもののことだ。


 その密度か濃度かにムラがあって、そして、非常に緩慢ではあるが、それは確かに変化している。

 もの凄く遅い脈動、例えば心臓から打ち出される血流をスローモーションで表現したかのような、そう、あたかも生命活動を感じさせる、まるで生き物のように感じさせるうごめき。


 それを見て、気づいた。

 あの感じは、先ほどまでの世界で、光の球体の外に満ちていた暗闇に似ている。あの、とても遅い躍動感のあった、圧迫感のある暗闇と。

 そして、唐突に確信した。


 あれは、あの暗闇が凝縮したモノだ。


 背筋に悪寒が走った。同時に胃もむかつき、嫌悪感で小さく身震いした。

 先ほどのあの暗闇はまだ、何となく気持ち悪い程度のものだったが、凝縮された“何か”は明確に気持ち悪かった。異様な生命感が強調されて、一層不気味になっている。

 そして、何故だか分からないが、絶対に私に好意を持っていないことが理解できた。

 あれは、疑いなく、私に悪意を持っている。


 そう、凝縮された暗闇からは、悪意が感じられた。


 そして、それは先入観でも妄想でもなかった。


 話始めた。さっきと同じように。


 それは、姿を見せなかったときに、風の隙間に潜むように、雨の合間を縫うように漂っていた、あの声だった。

 あの、あざ笑いを含んだ、意味の分からない言葉。

 あれは、今、目に映る、暗闇の塊から発せられていたのだ。


 と、いうことは。


 私が戦慄したのと、私の後ろから声が発せられたのは、ほぼ同時だった。

 しゃがんだままで、反射的に声から一歩遠ざかりながら振り向く。


 その瞬間、左右から応える声。


 さらに、続けて右斜め後方。


 右斜め前方。


 左斜め後方。


 前方。


 左斜め前方。


 絶え間なく続く、声。


 囲まれている。


 声がする毎に心臓を捕まれたかのように動転して、そして振り返った先には、同じ暗闇の塊が姿を現していた。

 どれもこれも、同じように、フードをかぶったような輪郭をして、緩慢に脈動しながら、木のそばに寄り添ってたたずんでいる。

 身動きすることなく、ただ、薄く小さな声を交わし続ける暗闇の数は、ざっと十数人、いや二十人近く。四方八方、どちらにも存在した。


 そして、それらは等しく暗闇ではあったが、少々背が低いものがいたり、やや細身のものがいたりして、若干の差があった。その個体差には、私が今、集団に囲まれていることを強く思い知らせる力があった。

 そのくせ、一様に、その暗闇たちは私に真正面を向けてはおらず、フードも手伝って顔が見えなくて、まるで完全に私のことを無視しているかのようで、孤独感も強調された。

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