Ⅳ(4)

 心細い。


 怖い。


 心から、正直に、そう思った。


 曖昧だった恐怖が明確になって、私を襲う。

 いや、曖昧だったのではなくて、目を背けていただけかもしれなかった。


 ぐるりと周囲を囲む、暗闇の塊たち。


 交わされる、理解できない悪意。


 鼓動が痛い。皮膚が粟立って、喉がひりつき、耳の奥がキリキリと締め付けられる感じがする。

 意識は逃げ場を望んでいながら、同時に逃げることを全力で拒否していた。


 どうなるのか。


 何かされるのか。


 何をされるのか。


 いっそのこと意識を失ってしまいたいぐらいだけれど、その間に何をされるかと思うと、何が何でも意識を失うわけにはいかなかった。

 現状も十分に怖いけれど、気絶した後を考えると身の毛がよだつ。


 私は、泣き言を言う心を叱咤して、意識をかろうじて保っていた。


 今のところ、暗闇たちは森の木々に寄り添って、周りを囲んでいるだけで、特に変化はない。

 交わされる声は、いろんな方向からランダムに発せられているから、いちいちドキリとさせられてしまうけれども、それでも調子そのものに大した変化はみられない。

 薄く細く、理解のできない言葉が、変わらず風の隙間を漂っている。

 全くもって好ましくない極みだが、とりあえず、状況は安定しているわけだ。


 安定? だから?


 だからどうだというのだろう。

 思わず、自分に自分で冷めた指摘をしてしまった。安定しているから大丈夫だとでもいうのだろうか。こんな恐怖にさらされ続けて、いつまで自分の神経が保つと? 数分後に全て消え去ってくれるわけでもあるまいに。

 いや、それ以前に、あの暗闇たちがこのまま何もせずに去っていく保証などないのだ。むしろ、この先何かが起きると考える方が順当ではないか。


 自分の見方の甘さに気づいて情けなくなると同時に、現状が未だ最悪ではないことを改めて突きつけられ、危うくパニックになりそうになった。


 何故、こんなことになったのだろう?

 つい先ほどまでは、光り輝く球体の中で、この上なく安らかにまどろんでいたというのに。あの、に守られた空間には、穏やかさと安らぎだけが満ちていたのに、どうして私は今こんなところにいるというの?


 ああ、そうだ。


 あの声に応えたからだ。


 の外から聞こえてきた微かな声。その声に誘われて外へと手を差し伸べたことを、私は思いだした。

 その瞬間に、私は全ての安らぎを失ったのだ。

 それに気づいて、私はがっくりとうなだれた。


 激しい後悔が、私を襲う。


 そして、絶望に包まれた。


 身を守るために何か考えなければ、どうにかしなければならないことは、頭では分かっている。このままでは、現状は良くならない。間違いなく悪化していくだけなのだ。

 しかし、そのことは百も承知なのに、もうどうにもならないとしか思えない。かわす方法も、逃げる方法も考えられない。


 いや、違う。


 ないのだ、逃げ道など。


 耐えるしかない、何をされても、いつものように。


 誰もやめてくれないし、誰も止めてくれないのだから。


 希美。


 あなただって。


 まとまりのつけられない気持ちに振り回されているうちに、記憶の底にある何かが頭をかすめた。

 今、私が忘れていることへの、その断片への隙間が、道が開く。

 そこから、真空へと空気が流れ込むかのように、何かがあふれ出そうとした。有無をいわさない、強い力で――


 ――思い出したくないもの、が。


 イ ヤ  だ 。


 反射的に、思考にフタをした。

 首をもたげてきた何かを全力で押し戻して、彼方へと追いやる。


 そして、私は、隙間を鎖で締め付けて閉じるかのように、うつむいたままで激しく顔を振った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る