Ⅱ(2)

 生き物がうごめくような暗闇は、光の球体によって弾かれていた。

 光はあくまで線であって面ではないので、いくらでも染み込んでこれそうなものだが、外の暗闇がを越えてくることはなかった。

 硬さをまるで感じさせない、たおやかなその光は、しかしながら破れる気配など微塵も感じさせずに、外部からの侵入を明確に拒絶していた。


 そのおかげで、球体の内部、漂う私を包む暗闇は、あくまで清廉でありながらも、暖かく、心地よい肌触りを持っていて、安らぎに満ちあふれていた。

 もしかしたら、産まれる前、母親の体内にいるときに、胎児を包む羊水とはこんな感じなのかもしれない。


 そう、さながら胎児のように、私はただひたすらに漂っていた。

 外の刺激から守られた場所。その守る力は強く、は私に恐れや不安を感じさせない。

 具体的な感覚、視覚や聴覚、触覚が、徹底して穏やかで安らかとしか感じていない。


 というよりも、五感があまり感じられなくなっている。

 まるで麻酔でもうたれたかのようだ。


 いや。


 違う、かも。


 感じなくしている、のかもしれない。


 私が。


 考えるのがひどく億劫なのだけれど、どうも、見たいとか聞きたいとか、特に思わないのだ。

 意識を集中する気になれない。

 とにかく、この穏やかで安らかな場所で眠り続けていたいとしか思わない。


 眠り続ける?

 私は、今、眠っているのだろうか?


 眠っているというならこれは夢ということになるのだろうか。

 ずいぶんとはっきりした夢だが、そうだと言われればそんな気もしてくる。

 どちらなのか分からないし、それ以前に突き詰めたいと思わない。


 そんなことはどうでもいい。

 ただ、ここにいたいだけ。


 この緩慢で曖昧で漠然とした感覚に、ずっと浸っていたい。

 どれだけ呼ばれようとも、この球体の外へ出ようとは思わないし、ここから離れる気になどなれない。


 呼ばれている?

 誰か、私を呼んでいるのか?


 微かに、そんな気がする。

 ひどく曖昧になった耳の感覚に、辛うじて響いてくる、微かな声、のような、音。

 そう、私の耳は何かを拾っているのだ。

 ただ、それはあまりにも細すぎて、薄すぎて、何を言っているのか、そもそも声なのかすら分からない。極々小さい音、ぐらいにしか認識できない。


 ならば、何故私は呼ばれていると思ったのだろう?


 頭の中を、微かに横切る小さな疑問。


 しかし、それ以上にはならなかった。

 弛緩した感覚はそれ以上のことを教えてはくれないし、ここにこうしていたいとしか考えられない。

 他に、何も、考えられない。

 だって、こんなに安心出来たのは久しぶりなのだから。最近のことが嘘のようだ。


 最近?


 最近って?


 何か、あった?


 うん、あったかもしれない。


 でも、何も、考えられない。

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