case1 田中ナオト裏2-1

「それで?? そいつを転生させたはいいけどやりたい放題のロクデナシだったって言う事かい?」


 黒い革張りのソファに座った蓮田(ハスダ)が腕を組みながら言った。ガラステーブルを挟んだ向かいに細い肩を竦めながら恐々と頷く美しい女性は、まるで女神のような神々しい装束で、ヤニで黄ばんだ壁と灰色のキャビネット、リノリウムの床に囲まれた事務所内では酷く浮いていた。


「そ、そうです……」


 女神アールテウスは形の良い眉を八の字にして蓮田を見た。


「ウチの事はどこで知ったの? 大々的に広告なんて打ってないし、多元世界の隙間にあるから来るの大変だったでしょ」


 アールテウスが居心地悪そうに身じろいだ。


「その……別世界の女神から聞いたんです。そういう会社があるって。創世神様に報告する前に何とかしたくて……」


 今にも泣きそうなアールテウスの前にコーヒーの入ったカップが置かれる。灰色のスーツを纏う筋骨逞しい男の肌は腐乱死体のように緑色で、醜い鱗に覆われていた。


「おい尾八木(ビヤキ)、女神さんに砂糖かミルクも付けるか聞けや。気が利かねえな」


 蓮田が呆れたように言うと、尾八木は恐縮したように「すんません。親……社長」と謝った。


「あ、いえ、お構いなく! ありがとうございます」


 不穏な空気に慌ててアールテウスがコーヒーを手に取る。


「最近多いんだよね。ああいう手合いに下手にデカい力やら能力やら与えてどうにもなんなくなってウチに駆け込んでくるのがさぁ」


 蓮田がコーヒーを啜りながらそう溜め息をつく。全く自分の事だとアールテウスが身を縮こませる。


「う……耳が痛いです。すみません」


 ウチは儲かるからいいケドさ。と蓮田は笑うが、女神は緊張したままだ。


「でも神サマってのも大変だねぇ。担当する世界も上手く運用できないと怒られちゃうんでしょ?」

「ハイ。停滞しても良くないのでテコ入れとして外部世界から転生転移者を招き入れたりするんですが……もうしっちゃかめっちゃかで……」

「社長、当該転生者の資料です」


 話の途中で、感情の乏しい女の声が割り込んだ。地味な事務員の制服姿だが、顔の上半分を包帯のような布で覆っていて、表情すら分からない。

 蓮田が「ありがと。板倉(イタクラ)ちゃん」と書類を受け取ってパラパラと目を通した。


「田中ナオト……19××生まれ20××没ね。ふーん。コイツ、暴行事件起こして引きこもりの末にデリヘル嬢と無理心中かよ。クズのトリプル役満じゃねぇか。良くこんな奴選んだね」

「うう……返す言葉もありません……。初めての担当世界だったので経歴を確認するのを忘れてしまって……面談した時は良い若者だと思ったものですから」

「クズってのはさ、見た目取り繕っても根っこが腐ってるから結局変わらないんだよ。まぁ、アンタの見る目がなかったって話だ」

「すいません……そ、それで依頼の方は……」


 おずおずとそう切り出すアールテウスに、蓮田が書類をテーブルに置いて言った。


「基本的にウチは取り半だから。それでもいいなら引き受けるよ」

「トリハン……?」

「回収した半分がウチの取り分って事。能力だろうが債権だろうが全部同じ取り半だから」


 アールテウスが目を丸くして蓮田を見る。明らかに動揺していた。


「そっ……んな! 創世神様からの預かり物なのに……!」


 それを見て、蓮田の眼がすう、と鋭いものに変わった。


「女神さん、俺たちはアンタが『やらかしちまった』事のケツを拭くわけだ。修羅場だろうが鉄火場だろうが依頼ならキッチリ取り立ててやる。アンタもテメェじゃどうしようもなくなったからウチに来たんじゃねぇのか?」


 蓮田の雰囲気がガラリと変わった。低い声には底冷えするような冷たい殺気が滲んでいて、冷や汗が出るほどに酷薄な雰囲気を纏っている。

 アールテウスはあまりの恐ろしさに声すら出なかった。

 蓮田はしばらく哀れな女神を鋭い視線で射抜いていたが、ふと、その目を緩ませて笑みを浮かべた。


「ま、新人女神サマをあんまり脅しちゃ可哀想だからな。今回は初回サービスで四割にしとくよ。それ以上はまからねぇが」

「あ、ありがとうございます! よろしくお願いします!」


 アールテウスは安堵の涙を浮かべながら、何度も頭を下げた。


「社長、いいんですか?」


 アールテウスが帰った後、カップを片付けに来た尾八木が訝しげに言った。


「いいんだよ。あの女神サマ、いい得意先になりそうだしな。あの分じゃまたおんなじ事繰り返すだろうよ」


 からからと笑う蓮田に、尾八木が「おっかないなぁ」と苦笑した。

 無数に存在する多次元世界の隙間、黒い湖を臨む巨大なスラム街。通称、黒龍城塞。追放された者や名もなき者が蠢くその場所は、あらゆる欲望と力が溢れている。

 その一角に『ロータス回収代行サービス』の看板がひっそりと掲げられているのだが、どんな物でも必ず回収すると評判を受け、多次元の神々からの依頼がひっきりなしに舞い込んでくる。

 多次元世界を司る神々と言えば聞こえは良いが、蓮田に言わせれば『唯の雇われ管理人』なのだ。

 彼らはそれぞれに仕える上役から預かった世界を上手い事運用しなければならないのだが、たまにそれが失敗してしまった者が現れる。先程駆け込んで来た女神アールテウスがまさにそれである。


「社長、タバコは外で吸ってください」


 板倉に淡々と言われ、蓮田は咥えかけたタバコをしょんぼりと箱に戻す。

 暗い黄色地に白のピンストライプのスーツがトレードマークの飄然とした雰囲気の壮年の男こそ、ロータス回収代行サービスの社長であり、曲者キワモノ揃いの黒龍城塞でも屈指の実力者なのだが、人間の擬態を好んでいるせいかここの住人にはあまりそうは見られない。

 また、ある次元の人間からすれば絶対にお近づきになりたく無い稼業の人にしか見えないらしい。


「双子共はどうした?」


 蓮田は隅の小さな台所で洗い物をしている尾八木を仰ぎ見た。

 ロータス回収代行サービスの社員は、事務員の板倉、回収員の尾八木の他にあと二人、ロンとツァイという双子の回収方の社員がいる。コピーみたいに似ているので、どっちがどっちだか分からない事もしょっちゅうだった。


「ロンとツァイは別件のキリトリです。ほら、一昨日の」

「ああ、力持ったまま飛んじまった奴か。じゃあ暫く掛かるだろうな」


 飛ぶ、とは多次元の別の世界に雲隠れする。という事である。この場合は追跡にも時間を要する為に費用も割高となる。


「じゃあ久しぶりに俺が行くか!」

「えっ! 社長がですか!」


 尾八木が泡だらけのスポンジを持ったまま驚いたように言った。


「なんだよ。俺じゃ不安か?」

「いや、不安とかじゃ無いですよもちろん。親父……社長直々にキリトリなんて久しぶりだと思って」

「たまにゃあ外に出ねえとケツに根っこが生えちまうからな。それに別嬪のご新規様だからよ。社長の俺が直々に出向いてやろうじゃねぇか」


 よっと、と蓮田はソファから立ち上がり、事務所の出入口にさっさと歩いて行く。歩きながら「おら、尾八木。ちんたらしてんじゃねぇ。行くぞ!」と言うと、慌てて濡れた手を拭った尾八木が続く。


「じゃあ板倉ちゃん。留守頼んだよ。お土産何がいい?」


 板倉はパソコンの画面を見つめたまま「ェゾ縺九o縺ハウスの暗黒臓物羊羹でお願いします」と間髪入れずに答えた。

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