偽ブッコローに気をつけろ!

@souon

偽ブッコローに気をつけろ!


『いや、値段設定が強気過ぎるのよっ!680円は高いって!!』

 壁面に吊るされた大型スクリーンの中で軽快なツッコミを入れているのは、オレンジ色の華やかな身体、ギョロリとした目に、大きな嘴、小脇には緑色の本を抱えた不思議なミミズク、有隣堂Youtubeチャンネルの名物MC、R.B.ブッコロー……に、そっくりの『誰か』だ。騙されてはいけない。外見こそそっくりだが、アレは真っ赤な偽物だ。

 何故そんなことを知っているかって?何を隠そう、冷たいコンクリートの床に座って、その動画を歯軋りしながら見ている僕こそが、本物のR.B.ブッコローだからだ。


 僕をこの場所に軟禁した奴らの目的は、おそらく有隣堂のYouTubeチャンネルを乗っ取ることだろう。奴らがどうやって偽物の僕を用意したかも見当がついている。これは本来は企業秘密なんだけれども、僕の『中身』は競馬を愛するナイスガイで、キュートなミミズクボディは、実は着ぐるみだ。それで、僕が脱いだ着ぐるみ……もといミミズクボディの代えを一枚盗みだし、その辺のおじさんに被せて偽ブッコローを演じさせているんだ。


 わからないのは、奴らがスクリーンにひたすら有隣堂のYoutubeチャンネルを写して、僕に見せつけ続けている理由だ。僕が出演している過去の動画はもちろん、僕の知らない間に作成されていた最新動画まで、途切れることなく、延々とだ。


 閉じられたドアの向こうから、男の声が聞こえてきた。

「どうですか、いい加減、ご理解いただけましたか」

「だから、理解って何だよ!ここから出せってば!!」

 このやりとりも、もう何度目だろう。奇妙な男は、脅迫めいたことは一言も言わない。代わりに、僕に向かって、わかったか、と何度も聞く。何が「わかった」なのか、僕をどうするつもりなのか、さっぱりわからない。

 

 男はしばし無言になり、それから少し疲れた声で言った。


「そろそろ食事を差し上げましょう。毒など入っていませんから、ご安心を」


 男の足音が遠ざかると同時に、ちょうど動画の切れ目が訪れた。室内は水を打ったように静まり返った。

 四畳半ほどのこの部屋はコンクリートの打ちっぱなしで、天井に換気口が空いている以外は窓ひとつない閉鎖空間だ。時折正体不明の黒子がやってきて、水と食料を差し入れるタイミングでだけ、唯一の出入り口が開かれる。手足が縛られていないのがせめてもの救いだと思う。


 気がつけばスクリーンの向こうでは、ゆうせかのライブ放送が始まっていた。有隣堂の皆んなが和気藹々と話しているなか、偽物の僕がお寒いギャグで滑っている。


 郁さんが苦笑いして言う。


『ブッコロー、今日はなんだか調子悪いですか?』


 そらそうだ。だって偽物なんだもん。


『ちょ、違うんすよ、あのねえ〜これは花粉が悪い!春先の嫌なことはだいたい花粉のせいですから。僕ってほら、目がでっかいっていうか、飛び出してるじゃないすか。もう地獄よ?右向いても花粉がビターン、左向いても花粉がビターン……え、なに、こんなシーンって空気になる?やっべえな来週には焼き鳥にされてっかなあ……』


 言葉の選び方、話すテンポ、声……はボイスチェンジャーでわかんないけど、僕そっくりの誰かさんは、なるほどよく特徴をつかんでいる。けれど、肝心のトークにはいつものキレがない。愛嬌がない。毒舌がない。面白くない。有隣堂の社員たちも微妙な変化に気づいているのか、スタジオの空気は冷えていて、どことなく不審そうな瞳がブッコローを取り囲んでいるように見える。いや、そう感じるのは、僕以外にゆうせかのMCが務まってたまるかチキショーッ、という自負があるせいだろうか。


 ともかく、僕が作り上げてきたチャンネルを、我が物顔で蹂躙するアイツは絶対に許せない。早く帰らなきゃ。僕の本当の居場所は、あのスクリーンの向こう側なんだ。有隣堂の皆んなだって、僕を待っているはずなんだ。


 僕は一計を案じた。謎の男に命じられた黒子が粗末な昼食を持って部屋へ入ってくるのを見計らい、僕は床の上で身体を丸めて、大声で騒ぎ立てた。


「うぐっ、いたたたたたたッおなかがっ、あ〜いたたたたた」


 黒子は慌てて僕の方へと駆け寄ってきた。食事の盆を地面に置き、僕の顔色を見ようとこちらを覗き込む。僕は素早く身を起こし、その盆を手に取ると、黒子の頭に思い切り叩きつけた。


 気を失った黒子を部屋の真ん中に寝かせて、服を奪い取り、ミミズクボディの上からかぶる。ちょっと、いや、かなりキツイ。羽根とお腹周りがつっかえてなかなか入らない。頭のサイズもだいぶん違うから、頭巾がギチギチになっている。じゃあミミズクボディを脱いでから黒子の服を着れば良いじゃないかって?やだなあ、そしたら黒子服を脱いだときに本物だって信じてもらえないかもしんないじゃん。

 そう、僕は、黒子に扮してこの建物から逃げ出して、偽物のいるゆうせか収録現場に踏み込んでやろうと考えているのだ。時間はかかったけれど、ついでにすこしばかりタイトすぎてみっちりしているけれど、全身を黒子服に収めた僕は、さっき黒子を殴るのに使った盆とお皿を適当に整えて、食べ終えた膳に見えるように繕った。

 おそるおそる部屋のドアをあけ、廊下に出る。何にも起きてませんよ〜僕は膳を下げる黒子ですよ〜と心の中で唱えながら辺りを見渡す。


 ともかく建物の構造を理解しなければ逃走計画は始まらない。だが、僕が軟禁されていた建物の作りは心配したよりも遥かに簡単で、なんなら部屋のすぐ近くに1Fまで通じるエレベーターと階段があった。こんなに簡単に逃げられるところに閉じ込めて大丈夫?犯人頭悪くない?などと考えながらエレベーターのボタンを押す。

 ドアが開いて、さあ乗ろう、としたのだが、そこにはすでに先客がいて、スーツの男が一人、目を丸くして立っていた。


「ちわ〜っす、お疲れ〜っす、お先失礼しま〜っす」

 と、ごく自然にすれ違ってエレベーターに乗ろうとしたのだが、男は僕の肩をキツく掴んで引き留めた。

「どこへ行こうというんです?」

 その声は、ドア越しに何度も聞いたあの声だった。


 僕は咄嗟に男をエレベーターの奥へと突き飛ばし、一目散に階段を目指した。理由は全くもって不明だけれど、僕の変装は一発で見破られてしまう代物らしい。なんでだろう。


 さて、こうなったら時間との勝負だ。男が追いかけてくる気配を背中に感じながら、4Fから1Fまで飛ぶように駆け降りた僕は、ロビーと玄関をすり抜け、ビルの外に飛び出した。奇妙な感覚だった。このビルも、目の前の街並も、初めて見る場所のはずだ。なんたって僕は軟禁されていたのだから、犯人が僕にとって身近な場所を選ぶはずがない。それなのに、まるで何度も来たことがある場所のように、次にどこへ行けば良いのかが感覚でわかる。僕は迷いのない足取りで道路を渡ると、右手に曲がった。タクシーを拾うなら駅前の方が都合がいいからだ。そうだ、あっちに駅があるのを僕は知っている。


 駅でタクシーを拾って乗り込んだとき、例の誘拐犯がこちらに向かって走り寄ってきたので、僕は転がるように車に乗り込んだ。危なかった、悠長に考え事をしてる暇なんてないんだ。

 

「待ってください!まだわからないんですか!貴方は――」

 

 男はタクシーに縋り付いて、窓ガラスを叩きながら何ごとか叫んでいる。ザンネーン、鍵閉めちゃったから中には入れませ〜ん。余裕をぶっこいた僕は男に向かって変顔をして見せた。こうして見ると男は普通の、どこにでもいるような中年に見えた。僕はほんの少しがっかりした。誘拐犯なんだから、もっと悪の組織然としたヤツを想像してたんだけどな〜。敵役としてはちょっと地味すぎない?


「運転手さん、有隣堂伊勢佐木町本店まで」

「お客さん、あの男の人は?」

「良いんです、行ってください」


 運転手は不審そうにしながらも、僕を乗せてタクシーを走らせた。見慣れた街の風景が窓の外を横切っていくのを眺めながら、僕は少しばかり不安になった。

 僕の偽物はトークこそ心許ないが、見た目は僕にそっくりだ。皆んな僕こそが本物だと気づいてくれるだろうか。

 ここが正念場だ。本物のキレッキレトークを見せつけて、皆んなの目を覚ますんだ。僕は覚悟を決めて、タクシーを降りた。

 

 有隣堂伊勢佐木町本店の6Fでは、今まさにYouTubeライブの配信が行われている。僕は、緊張に張り裂けそうな心臓を精一杯宥めながら、スタジオのドアを勢いよく開け放って言った。


「皆さんたいへんお待たせしました。本物のゆうせかはここからですよ」


 キマった。キマったついでに、思いっきり格好をつけてウィンクしようとしたができなかった。僕着ぐるみだからね。瞼ないから。

 突然乱入してきた僕を見て、有隣堂広報担当の郁さんが眉を顰めて僕に問うた。

 

「えっと、すみません、どなたですか?ファンの方……でしょうか?すみませんが、ここは関係者以外立ち入り禁止でして」

 

 その言葉でようやく気がついたのだけれど、テンパっていた僕は、うっかり黒子の服を着たまま登場してしまったのだ。一体何事かと、有隣堂の社員たちは、不安そうに互いの顔を見合わせている。そんな中、僕の偽物だけが、まっすぐに僕を見つめていた。


「おっと失礼、今脱ぎますね」

 

 大慌てで借り物の黒子服を脱ぐ。いてててててて、やっぱりキツイよこれ、筋痛めちゃう。乱暴に袖を引っ張ってようやく身体から黒い布地が取り払われる。あースッキリした。


 その時偶然、スタジオの窓ガラスに映る『僕』の姿が目に入った。そういえば、自分の姿を見るのは久しぶりだ。あの閉鎖空間には、鏡はおろか、窓ひとつなかったから。


 そこには、僕が頭の中で思い描いていた『僕』とは似ても似つかない『誰か』がそこにいた。


 地味な赤茶色の身体、真っ白な顔、つぶらな瞳、ツノが三本、そして、胸元には青いジッパー。あれ?おかしいな、僕ってこんな姿だったっけ。もっと派手で、目はギョロっとして、嘴は大きくて……いや、初めからこうだったような気もする。そうだ、ブッコローはこんな見た目だ。そうに違いない。

 

 見ろよ僕の胸にはジッパーがついているだろう。だから、誰でも僕の真似ができるんだ。皆んながブッコローだと思ってるソイツは偽物だ!と、皆んなに向かって言おうとして、僕は口篭った。今、目の前で僕をキョトンと見つめている『贋物』には、どこをどう見てもジッパーなんてついてなかったからだ。なあんだ、簡単に見分けられるじゃないか。どうして皆んなは、こんな出来の悪い偽物に騙されてしまったんだろう。

 

 あれ?どうしたのかな。皆んな黙ってる。僕の姿を見ても驚かない。本物のブッコローが現れたって言うのに。全く、僕が大御所なら怒って帰っちゃってますよ〜?最近僕の扱いが乱暴なんじゃない?


 ……あれれ?頭が割れるように痛い。なんだか、考えたくもないことが次々と心の中に浮かんで来て、怖くて、不安で、仕方がない。岡崎さん、間仁田さん、郁さん、そんな目で見ないで、誰か、僕の名前を呼んでくれ。

 立ち尽くす僕の肩を、スーツの男の冷たい手のひらが叩いた。

「ご理解いただけましたか?トリさん」



 収録が終わり、皆の緊張が解けた頃を見計らって、郁は震える声で言った。

「なんだったんでしょうね、昼間の」

 昼過ぎに、唐突に収録現場に乱入してきた謎のトリは、窓に映る自らの姿をみた途端に叫び出し、大暴れした。後からやってきたスーツの男が取り押さえて、平謝りしながら去っていったので、大事には至らなかったが、ブッコローも、有隣堂社員たちも、ただただ呆然としてそれを見ていることしかできなかった。

 ブッコローがぽつりとつぶやいた。

「さあ、何者かはわかんないっすけど、なんだか泣き出しそうな顔をしてましたね、あのトリも、スーツの男の人も」



 自社ビルへの帰り道、運転席の男は涙声で言った。

「ねえトリさん、もうやめましょう。あの部屋に閉じ籠るのも、有隣堂のYouTubeを見るのも、全部やめて、何もかも忘れてしまいましょう。貴方には貴方の良さがあるじゃないですか。ブッコローみたいになれなくなって、良いじゃないですか。黒子も、プロデューサーも、貴方には必要ありません。貴方はYoutubeのMCじゃなくて、カクヨムのマスコットなんですから、ただそこにいてくれるだけで良いんです」

 しかし、助手席で蹲るトリの耳には届かなかったようだ。

「僕ハブッコロー、軟禁さレている……僕はブッコロー、軟禁されテいル……ボクハ」

 消え入りそうな呟きだけが、車内に低く響いていた。

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