第8話 負けず嫌い

 次の日の放課後。私は影山が教室を出るタイミングを見計らって自分も教室を後にした。影山との距離が縮まらない。心は近づこうとしているのに、足が彼に近づくのを拒んでいるみたい。近づかなきゃ、話しかけることすらできないのに。どうして。こんなの、簡単なことのはずなのに。

 昨日、浴室で零れた一言。あれは、本当に自分を奮い立たせるためのものだったんだと今気づいた。

「今日が、勝負……」

独り言ちりながら一階と二階の間の踊り場に足を着けると、ドンと固く重たいものにぶつかった。

「ご、ごめんなさ――」

少し距離を置いて謝りながら頭を上げると、そこには何でもないようにすました顔をして立っている影山がいた。

「影山……」

「あんたか。階段でボーっとすんな。ケガじゃすまないぞ」

彼の深い叱責の声が心にすっと溶け込む。叱られているはずなのに、心がむず痒くて、ほんのりと温かくなる。

「あのさ、話があるんだけど」

この内側にある気持ちを悟られないように、少しぶっきらぼうに言うと目の前にいる影山も表情を変えないまま

「なに?」

と低いトーンで単調に返してくる。

「ここじゃあれだから、校舎裏で」

自分で言うのがすごく恥ずかしくて、声を震わせて俯きながら言う。けれど、影山はさっきと変わらない声で「わかった」と短く返して、先を歩いて行った。

 ここで一緒なんだから、一緒に行ってもいいじゃないか。そう思ったものの、言葉にはならず私はゆっくりと彼の背を追った。

 誰もいない校舎裏。グラウンドの方からは、運動部のむさくるしい声が微かに聞こえてくる。

「で、話ってなに」

特段、興味も無さそうに影山は与えられたタスクをこなすように聞いてくる。

「あのさ、真面目な話なんだけど」

ここまで来て、さらに緊張の波が押し寄せてくる。今まで、これほどまでに緊張したことがあっただろうか。中学の時に所属していたバレー部の試合に一年で初めて出た時よりも、高校入試の時よりも断然こっちの方が緊張する。

「だから、なに? 早くしてほしいんだけど」

なんでそんなにも急かすんだろうか。放課後の校舎裏に男女二人きり。する話なんて一つしかないだろう。そんな話を切り出すのに女の子が口ごもってるんだから、そっちの方から優しく話しかけてくれてもいいじゃないか。

「その、さ。私と付き合ってくれませんか?」

ようやく出たその一言。その勇気ある言葉を聞いて、影山は

「断る」

表情一つ変えず、きっぱり、はっきり、冷徹な声でそう言って私の前から去っていこうとする。

「いや。ちょっと待ってよ。なんで? 私じゃダメなの?」

予想だにしない反応に動揺して、少し声を荒げながら訊くと

「そういうの興味ない。それに、あんた自身にも興味ない。それだけ」

彼は私の方を振り返ることもなく、低い声を残したまま去っていった。

 静かに響く彼が砂利道を歩いていく音。どこか、もの悲しいその音に支配されていると、次第に熱いものが込み上げてきた。

「なんなのアイツ!」

陰キャの影山に私がわざわざ告白までしてやったのに、なんで断るの? それに、この私に興味がない? 意味分からないんだけど! あ~ぁ。やってらんない! クールぶりやがって――。

 影山に向けられた怒りは収まることを知らず、その気持ちは次第に私の負けず嫌いな性格に大きな火をつけた。

「こうなったら何が何でも好きって言わせてやる。そして今度は、こっちから残酷に振って、今日という日を後悔させてやるんだから」

吹奏楽部のけたたましい音色に声はかき消されてしまったけれど、私の心に灯ったこの火だけは、何物にも消されることなくメラメラと燃え続けていた。

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