第5話 溶ける

 それから一か月が経った。未だにアイツの言葉は胸のど真ん中に居座り続け、怒りという感情もまた、心に形を留めたまま残っている。

 あの日以来、柳君たちはあの陰キャに近寄らなくなった。ただただ教室の真ん中から隅にいるアイツをケラケラ笑うだけ。ものすごくダサい気もしたけど、一緒になって笑っているうちは何の不安もなく、安心して時間を過ごすことが出来た。

「まじアイツさ、いつもぼっちで可哀そうだよな」

「それな。まじダサいよね」

「言ってやんなよ。アイツもアイツなりに生きてるんだから」

嘲るように薄笑いを浮かべながら言う柳君や楓たち。でも、どうしてだろう。今日は上手く笑えない。

 ポチャン。心の深い水たまりに何かが落ちる音が聞こえた気がした。

「奈々未、どうかした?」

「ううん。なんでもないよ」

取り繕った笑顔を海音に見せてすぐ、また元通りの顔に戻る。今日はこの時間が不安でならない。つまらなくて仕方ない。

 心に生まれた怒りとはまた別の、不思議な感情。水たまりに色を広げた怒りは、もっと柔らかい感情に生まれ変わってスッと心に馴染み始めた。

 ひとりでなにもできない

バスボムから出てきたシンプルな言葉が水たまりの上にふわりと浮かんできた。そのずっと頭に残っていた言葉が、いつの間にか出来ていた心の空白にピタリと収まって退屈そうだった感情が少し元気を取り戻した。

 ずっと、図星だったんだ。腹を立ててたんじゃない。変に的を得たことを言うから――。私はそこまで考えて思考を辞めた。この先を考えてしまえば、そしてこの先に出てくる言葉を認めてしまえば、私がこれまで築いてきた関係とか育んできた感情とか、そういうこれまでの私の人生そのものが水の泡になってしまう。そう思ったのだ。

 私はこの水たまりの上の気持ちに蓋を被せて、またいつも通りの低刺激で退屈な日常に戻った。

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