第4話 離れない声
『一人でなんも出来ない奴の言うこと、聞く気ないから』
家のベッドの上で、あの時の陰キャの言葉が脳内でリピート再生される。
「なんなのよ、アイツ……」
お腹の底にある熱いものが、あれからずっと居座り続けている。大概のことはすぐに忘れる。思い出も、感情も。なのに、このムカムカした感覚は三時間経った今でも、私の心にどっぷりと鎮座している。
「はぁ~。もういい、寝る」
寝れば全部忘れられる。これまで、嫌なことも全部寝れば忘れてしまえたから。今回もきっと。私はそれを信じて、ゆっくりと入眠した。
目を開けると日はすっかり傾いていて、微かにカレーの香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。晩ご飯はどうやらカレーのようだ。私は、まだ少し重たい目を擦って、よたよたと一階に降りた。
「おかえり~」
「ただいま。晩ご飯、もう出来るから」
「う~ん」
仕事帰りの母にだらけた返事を返して、私はソファーの上にだらんと座った。真っ暗なテレビ画面に明かりをつけると、すぐにバラエティー番組が流れ始め、大きな笑い声がリビングに響いた。
「奈々未。学校、どう?」
「どうって、いつも通りだよ。楽しくやってる」
嘘はない。だけど、本当の意味で楽しめているのかは分からない。考えてみれば、小学生の時の方が楽しかった気がする。それもそうか。試験も追試もないもんな。そりゃ楽しいわ。小さく笑うと、母も安心したように笑って
「そう。良かった」
と小さく零した。
「よし、完成。食べましょう」
「う~ん」
テレビの画面をまっすぐ見つめたままダイニングチェアに座り、形式だけのいただきますを小さく口にして母の作ったカレーを食べ始めた。
「んま」
カレーを口に含んだ瞬間、その言葉が溢れた。程よいスパイスの香り、仄かな辛さ、それに助長させられるお米の甘さ。全部が口全体に広がり、自然と笑みがこぼれる。こうして母とご飯を食べているときは、本来の自分でいられている気がする。これも気のせいかもしれないけど。
「よかった。そういえば、もうじきテストじゃない? 大丈夫そう?」
この幸福な時間を遮断するように、母はご飯を頬張りながらそんな残酷な質問をしてくる。
「大丈夫だよ。赤点は、きっとないから」
「最初のテストなんだから、気をつけなさいよ?」
「は~い」
また気の抜けた返事をしてカレーをまた口に運ぶ。二口目には、さっきまでのおいしさを感じなかった。カレーは初見殺しなのだ。一口目以降はどうしても飽きが来てしまう。だから私は、そこを少しでもリカバリーするように緑茶を間に挟みながら、数分で一皿を平らげた。
「ごちそうさま~。じゃ、お風呂」
「いってらっしゃい」
幸せなバスタイム。バスボムのローズの香りが浴室中に充満する。いつもなら鼻歌が零れるくらいリラックス出来るのに、今日は何故か落ち着かない。ずっと頭の中にアイツの声が反響する。
なんで消えないの、この感覚……。
いつまで経っても心の真ん中に居座り続けるこの感覚は、まるでお湯に入れる前のバスボムみたい。固くて、ちょっと重くて、香りも一点に集中しているだけ。それならこの感覚も、心の底に沈めてしまえば、溶けて滲んで、立ち上る湯気と一緒にどこかに消えてくれるんだろうか。
でも、それが怖くてどうしてもできない。どうして恐れているのかは分からない。ただ、本能的に手の上にあるソレを心に沈めることはできなかった。
「あ~! わかんない!」
アイツのせいで全然リラックスできなかった。むしろリラックスするどころか、心がムズムズして、お腹が熱くなって、さっきより苦しい。私はこの感情を胸に残したまま、自室に直行した。
さっきした昼寝のせいで今日は全然寝付けない。ただただ暗い天井を見つめて、時間が流れているのを感じる。
『一人でなんも出来ない奴の言うこと、聞く気ないから』
少しでも気を抜くと流れてくるアイツの声。この日、何回聞いたか分からないアイツの声のせいで更に寝付けず、その日は大晦日以来のオールで学校に向かった。
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