第6話 最適解

 それからまた退屈な日常を過ごして、やっとの思いで迎えた一週間後の金曜日。この日も大学の講義が終わり、俺は急いで講義室を飛び出した。至福の時間に向かって速足で正門を出たその時、

「わっ!」

物陰から突然、大きな声が聞こえてきた。

「うわっ! って星川さん。どうしたの」

一週間前にも同じような感覚に襲われた。不意を突かれると完全に思考が止まる。しかも、今回のは身体にも良くない。でも、心は不思議と嬉しくなっている。

「今日はシフト一緒だなと思って、せっかくだったら一緒に行きたいなって」

眩しい笑顔に心臓を撃ち抜かれる。それとほぼ同時に、周囲からの鋭い視線に気づく。星川さんは大学の天使なのだ。どの男子も星川さんと付き合うのを夢見て、どの女子も嫉妬じみた羨望を抱くほど、彼女は学内の注目を集める存在なのだ。

 そんな人と俺は今話をしている。平々凡々以下の俺が、分不相応な高嶺の花と一緒にバイトに行くと話してる。ダメだ。もしこのまま、俺の感情に任せて一緒に行ってしまえば、完全に学内で噂になってしまう。もちろん星川さんに都合の悪い噂が。そんなことを考えると星川さんと一緒に行ける歓びより、今後、星川さんに振りかかるリスクへの不安が勝り、俺は星川さんの願いを拒む言い訳をつらつらと並べた。

「ごめん。俺、制服持ってきてないんだ」

「大丈夫です。私、先輩の家の外で待ってます」

「いやでもさ、荷物も重いだろうし。一旦、家に帰ってゆっくりしてきた方が」

「大丈夫ですよ。私、弓道をしてるので腕の力には自信があるんです」

星川さんが弓道。頭に浮かぶ道着姿の星川さん。弓を持ち、凛とした表情で弦を引く。放たれた矢は、風を切って的のど真ん中に的中する――。

 妄想が膨らみ過ぎてしまった。ここは、何とかして逃げ切らねば。

「バイトの時間に間に合うように、俺けっこう走るよ? 全速力じゃなきゃ遅刻しちゃう」

全然そんなことない。というか、家を知っている星川さんにすぐにバレてしまう嘘を吐いてしまった。すると、星川さんは負けじと

「大丈夫です。私、全力で追いかけます」

そう力強く言い放つ。その健気な瞳が、ちっぽけな嘘を吐いてしまった俺の心にグサッと突き刺さる。申し訳ない。だけど、ここはどうしてもだめなんだ。

「でも、えっと。そうだなぁ、んー」

言い出したものの、次の言い訳が思い浮かばない。必死に頭をフル回転させて続く言葉を探している時、視界の中の星川さんが小さく俯いた。

「私と一緒じゃ迷惑ですか?」

「あ、いや。そう言うわけじゃ――」

「すみません。突然、変なこと言ってしまって……。それじゃあ、バイトでまた会いましょう」

今にも消え入りそうな声。涙を零してしまいそうな悲愴感に満ち満ちた表情。残念そうに返される踵。

 いいんだ。これが最適解だ。チクチクと痛む胸をそうやって癒すけど、全く効果がない。どんな風に言い聞かせても、星川さんの悲しそうな表情が頭に張り付いて、消え入りそうな声が耳に残って、心を蝕む。

「星川さん」

気づいたとき、俺は周りの目など気にせずに大きな声を上げてしまっていた。

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