第6話 嵐の山
黒山羊モードのレイの速さはとてつもなく、ものの数分で嵐が渦巻く山の
幸い、見える範囲に雪は積もっていなかった。
この辺りが温暖な地域だったからよかったけど、もし違う場所だったら確実に雪が積もるだろう。
もしそうなっていたら、嵐じゃなく吹雪になっていたかもしれない。そんなことになれば、きっと僕は登れなかったから、本当によかった。
僕、寒いのは嫌いなんだよね。
「レイ、このまま上に登れる?」
「大丈夫です。行きましょう!」
流石山羊と言ったところか、レイは僕を乗せて、ピョンピョンと跳ねて山を登っていく。
背中に乗っている僕の乗り心地のことなんて、ちっとも考えちゃあいない動きだったが。
山の頂が目に見える程になってくると、段々と僕らも嵐の影響を受け始めた。
厚い雲に覆われて、辺りは夜のように暗い。
自然の暴威に、生命は全て潰えていた。
泥土と岩石が露出した山肌を、レイの蹄が跡を付けながら踏み付け、抉っていく。
激しい雨風が僕らの身体を打ち付け、落雷の音は空気を裂いて響き、鼓膜から脳を揺るがす。
幸いにも落雷は直撃していないし、レイの足腰もその程度では音を上げないので順調に登れていた。
嵐がもうほとんど目と鼻の先まで来た時、豪雨と暴風と落雷の音に紛れて、何か別の音がした。
空を裂く雷轟のような、金切り声に近い叫び。
「ッ……!? レイ!」
「分かってます!」
レイと同時に、空を睨む。
渦巻く雲の中、美しく羽ばたいて宙を舞う、今の黒山羊レイよりも更に極大な──
「──
嵐を物ともせず、それが己の力だと示すかのように、銀鱗の竜は悠々と空を泳いでいた。
ああもう、ドキドキするなぁ。
「あははっ! 野生動物の危機察知能力を捨てて、人間の好奇心を取った甲斐がありました!」
レイが、愉悦と興奮を
今、黒山羊ではなく人の姿をしていたら、きっと僕と同じ表情を浮かべていたことだろう。
「ショウ様! アイツぶっ殺しましょう!」
……気のせいだったかもしれない。
怖いよ。いつからメイドじゃなくてバーサーカーにキャラ変したんだよ君は。
「面白そうではあるが、最悪死ぬんじゃないか!?」
「何をおっしゃいますか、不死身である貴方が!」
……あ、そうだった。今の僕は、吸血鬼だった。
じゃあ、いっか。危惧すべきことは何もない。
「レイ!
「畏まりました、ショウ様!」
叫ぶと同時に、レイの肩の、僕が座る両脇から、カラスのような巨大な翼が一瞬で生えてくる。
「こんなことできたの!?」
「今初めてしました!」
そんなこと今やるなよ。どんだけ戦いたいんだ。
そんなツッコミは飲み込んでおいた。
僕だって、とやかく言える吸血鬼じゃないし。
レイの翼が振り下ろされ、空気を打つ。
勢いよく上昇する中、背中の上に足の裏を着けてしっかりと踏み締め、膝を曲げた。
厚い雲に突入する瞬間、僕は全力で跳び上がる。
竜は、既に僕らを捉え、こちらへ向きを変えて、恐ろしい速度で飛来してきていた。
「どうも失礼! ぶっ殺しに来ました!」
僕は宙に身を放り出したまま、嵐雲をかき分けて僕に突撃してくる竜を迎え撃つ。
両腕から血を吹き出して、
「ッ……!」
僕の全力の攻撃を、だが竜は銀鱗で容易く弾き、行きがけに右腕を噛み千切って通り過ぎていった。
その際、広げられた竜の翼が僕の身体を強く打ち据え、全身に新しい関節を作りながら錐揉みする。
ダメージはまったく入らなかったようだ。形だけ真似しても、効果は抜群にならなかったか。
「クッソ……!」
僕は竜に悪態を吐く。でも、別に怒っている訳じゃない。よくあるゲーマーのリアクションだ。
……いいなぁ、楽しいなぁ。前にしてたオープンワールドゲームを思い出す。
僕は、フィールドにそのままで存在しているボスを見ると、いつも取り敢えず突っ込んでいってた。
命の遣り取りをしているのに、オープンワールドゲームをしている気分になるだなんて。
吸血鬼って最高で、最低だ。
「ばん」
ぶつかった衝撃による回転で、偶然にも後ろの竜の方を向いた僕は、美しい銀翼を見ながら呟いた。
「────!」
竜の口から
「僕を丸呑みしなかったのは賢明な判断だったね。でも残念、僕は血だけでも、遠距離で操れるんだ」
今頃竜の口の中では、赤色の刃が踊ってるはず。ただまあ、その程度の出血で済んでいるのは、ちょっとだけ想定外だったけど。
身体の内側も硬いとか、どんな化け物だ。
「ショウ様!」
重力に引かれ、身体が下に落ち始めた時、やっと追い付いたレイが僕を背中で受け止めてくれる。
よかった、落ちたらどうしようかと思ったよ。
左手でレイの毛を握る。右腕は、未だ再生させていない。右腕を動かすイメージで血を操るからだ。
竜に食われた腕と血で、口腔内を傷付け、顎を封じられれば御の字。あわよくばそのまま殺したい。
が、やはり僕の人生は、いつも上手く行かない。
突然、視界が真っ赤に染まる。すぐに視界は暗くなり、全身が焼け爛れ、融ける感覚が僕を襲う。
恐らく、かなり高温な炎に包まれたのだろう。
思考がブラックアウトし、しかしすぐに戻る。
急激に下がっていく視点の中、竜を見る。
牙の隙間から、炎が舌のようにはみ出ていた。
喰われた右腕と血も、焼けてしまったようだ。
う〜ん、やり直しか。
下を見ると、まだ再生し切れていない焼け焦げた人型の
これ、レイか。大丈夫か? 死んでないよな。別に死んでてもいいけど。てかなんで人の姿なんだ?
まあいいや、どうにかして助けてみよう。
さてどうしようかな。吸血鬼って空飛べたっけ。
レイみたいな翼が出せないかな〜、なんて……
「……あ」
そんなことを考えていると、肩甲骨の辺りから血が体外に飛び出し、黒い翼に変形した。
……意味分かんねぇ。元が血なのに明らかに質感が羽毛のそれだ。てかコウモリじゃねぇのかよ。
しかし、これなら飛べそうだ。
レイの首を、血鋼を纏わせた足で掴む。
人の姿で助かった。黒山羊だったら持てなかったかもしれない……って。
……ああ、人の姿に戻っていたのはこのためか。 先を読み過ぎだろ。天才か。アホの子のくせに。
レイのアホ。
……さて、悪口を言ってすっきりしたので、竜に再戦を挑むとするかな。今度の僕は空を飛ぶぜ。
まだ慣れない翼で空気を打ち、竜に突撃し返す。
真っ直ぐ戦ったところで勝てないのは分かってるので、弧を描くように飛んで、側面から接敵する。
竜が翼を打ち下ろした瞬間、血鋼で巨大な刃を作り、それを持って自分ごと皮膜に向かって落ちる。
重力と僕の筋力と血鋼の鋭さのコンビネーションで、軟らかい皮膜部分に、ようやく攻撃が通った。
竜の左翼が使い物にならなくなり、空を飛ぶことができずに、ふらふらとした軌道で墜ちていく。
だが山の頂上の少し窪んだ地形にぶつかる瞬間、竜はふっと消えた。……いや、消えたのではない。
急激に身体が小さくなったのである。
レイを抱いて、僕もそこに降り立つ。
「……起きてるだろ」
「なんで分かったんですか!?」
死体が人の匂いを嗅ぐ訳がねーだろ。
「くっ……不覚」
「アホで安心したよ」
さて、竜はどこにいったかな〜っと。
「──……ねぇ」
「ん」
探すまでもなく、目の前にいた。
それは、白いワンピースを身に着けた、銀の髪と瞳を持つ小さな女の子だった。
少女というより、幼女。
可愛い。
「……私に何の用?」
「いや、なんかいたから戦いたくて」
「アホなの!?」
「レイ、言われてるぞ」
「お前もだよっ!」
むっ。僕はアホじゃないぞ。……レイよりは。
「もう……急に跳んできて攻撃してくるし……食べても焼いても死なないし……口と羽痛いし……」
グチグチと呟きながら膝を抱え出した竜幼女。
「先の二人よりもよっぽど害悪じゃん……」
え……今この子、何て言った?
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