第4話 殴りたいこの笑顔
「ヘイ起きなっ!」
「起きろー」
うざったい姉と妹に起こされ、目が覚める。
……なんてことはなかった。
そんないつも通りは、既に僕から去っていた。
僕はまどろみの中で、その二人がもう二度と僕を起こすことはないのだと素早く理解した。
うざくて嫌いだったが、しかしもう会えなくなったと思うと、寂しさが、まあほんの少しはある。
「起きて──」
だから、これは幻聴だ。
僕はこれから、一人で朝を迎えるんだから……
「──起きてください」
……ん?
脳から睡魔を追い払って感覚を集中してみると、聞こえるのは知らない声で、僕の身体を揺するのは一人分の、たった二本の腕だけだ。
まさか、これってあいつらの夢じゃない?
え、だったら──
「お前誰だよっ!?」
叫びながら起きるのは二回目だな、などと関係のないことを考えながら、勢いよく身体を起こす。
視界が非常に悪い……顔に何か掛かってる?
手で触って確かめてみると、どうやら黒子が着けてるような薄い布が顔の前に掛かっているらしい。
それを確かめた手にも、手袋を着けているような感覚があるし、服もちゃんと着ている。
じゃない、僕を起こしたやつ。誰だ?
「──ご主人様」
声がしたのは、僕のすぐ隣だった。
手を少しでも動かせばぶつかるくらいの距離に、横座りしている、一人の女性がいた。
布越しなので、姿がよく見えてなかったようだ。というのも、僕のことをご主人様と呼んだその人物は、全身を黒のファッションで包んでいたのだ。
それも──猫耳と尻尾の付いた、メイド服で。
「申し訳ございません、私には、名乗る名前というものがありません。ですから、どうか、ご主人様が名付けていただけませんか?」
その女性は、髪が黒く瞳が赤いところを除けば、服装どころか顔や体格まで、記憶にあるかの糞女神とほとんど同じ見た目をしていた。
彼女の言った台詞が全て、耳を通り抜けていく。
「……ごめん」
謝った。
──殴った。
✝ ✝ ✝
いや、弁解させてくれ。
僕はあの糞女神が大っ嫌いなんだよ。
次会ったら殴ろうとか考えてるレベルで。
だから、顔を見た瞬間僕の理性はプッツンした。先に断ったのを褒めてほしいくらいだ。
今も、地面に頭をめり込ませる作業に全身全霊で取り組んでいるから、どうか許してほしい。
「頭をお上げください!」
「はい、すいません……」
言われた通りに顔を起こす。
こういうのは拒否しないのが吉だ。
「ご主人様、私は怒っておりません」
「そ、そうですか……?」
「はい」
真っ直ぐ目を合わせて、有無を言わせぬ首肯。
いや、そんなに言われたらどうしようも……。
「でも、こう、償いはさせてほしいと言うか……」
「でしたら、私を名付けてください」
それは、さっきも言ってたような気がするな。
名前……そんなの僕が付けていいのか?
「ご主人様は、私のご主人様なので」
はあ、成る程。いや分かってないけど。
てかそもそも、この人誰だよ。僕のことをご主人様とか呼んでるけれど、雇った覚えがないぞ。
まあいいや、あとで聞こう。
「じゃあ、
本当は
「ありがとうございます。ご主人様から直々に名付けていただき、光栄でございます。この瞬間から、私はご主人様に従順な眷属、レイとなりました」
眷属って……はあ、そうですか。
なまじ見た目が糞女神だから、あまり喜べない。
そもそも、なんで僕をご主人様と呼ぶんだろう。
「あの、あなたは誰なんですか?」
僕がそう聞くと、その女性……今はレイか。レイさんは一瞬目を見開き、すぐに戻った。
「私は、昨夜の黒山羊でございます」
「えっ」
あっ、確かに黒山羊くんがいない。
え、何がどうなったらこうなるの?
「黒山羊って……え、でも」
「やはり、無自覚だったのですね……反応がおかしいと思いました。ご主人様に血を吸われ、私は眷属となり、この肉体と知性と力を授かったのです」
「眷、属……」
……そう言えば、吸血鬼が血を吸った相手は吸血鬼の眷属になるなんてのは、よく聞く話だ。
え、じゃあデカい山羊も対象内ってこと? 正直言って、まったく意味がワカラナイ。
「そういうことです」
「そういうことですか……」
「……ところで、ご主人様」
「あ、はい」
「お名前を聞いてもよろしいでしょうか?」
ふむ、確かに、ずっとご主人様じゃ面倒臭い。と言うか、小っ恥ずかしい。
「僕は
「成る程……素晴らしいお名前です」
親のネーミングセンスまで褒めてくれるらしい。
「では、ショウ様と呼ばせていただきます」
「あ、はい。よろしくお願いします」
と、レイさんが突然眉をしかめる。
「何か気に触ることでも……?」
「いえ、そうではなくて、それです」
え、何、どういうこと? どっち?
「私はショウ様の眷属でショウ様は私の主人です。私に敬語を使う必要などありません」
「はあ……でも、いいんですか?」
「私の意思など必要ありません」
……ううむ、すごい忠誠心だ。盲信とも言うが。しかし、眷属……どこか変な気分だ……。
「分かりま……じゃない、分かった」
「はい」
上手くタメ口で話せるか不安だったけど、なぜか何の抵抗を感じることもなく、さらっと敬語を外すことができた。
すると、花開くように微笑むレイさ……レイ。
申し訳ないが、某糞女神を思い出すからやめれ。
「あー……その猫装備、外してくれない?」
「これですか? では仰せのままに」
猫の耳と尻尾が外され、多少苛立ちが減った。
しかし代わりに、何かよく分からないものが。
うぅ……なんか、気持ち悪い。知らない感情だ。
これはなんなんだ……? 僕の知っている、経験済みの感情の中で一番近いのは……
「……物……?」
「え」
気が付けば、僕はレイの背中に座っていた。
四つん這いにさせ、その細く綺麗な背中にどっかと腰を降ろし、靴を履いた右足で頭を踏みにじる。
「え、あれ……」
「なっ……身体が勝手に……。くっ……!」
レイの苦しそうな声が、足の下から聞こえた。
ここで、僕は正気を取り戻す。
「わ、えっ!? ごめんっ!」
「いえっ!! 大丈夫ですっ!!」
「えっ!?」
謝りながら立ち上がろうとして、止められる。
なんで止めるのか理解できないんだけど……。
「そ、そのままでお願いします……!!」
「え、いやでも」
「いいんです!! 理由を言わせないでください!!」
レイは熱の籠もった息を吐いて、静かに言った。
その声はまるで、悦びに打ち震えているかのようだった。
……理解しました。そして、了解しました。
そういう
それに、さっきから困っているのが、僕がレイに対して罪悪感を感じないことだ。申し訳ないという気持ちが、微塵も浮かんでこない。
これが、さっきの気持ち悪さの正体だった。
レイが、人間とは思えない。
いや、実際に人間ではないのだけど、少しでも、労ろうとか、仲良くしようとか、尊敬しようとか、そんな風な感情が湧き上がってこないのだ。
終始、自分の所有物のような感覚しかない。
眷属……なんか、結構厄介かも。
と言うか、吸血鬼になってから性格が変わった気がする。
眷属になる前のレイと戦っていた時も、どこか変な感じがしていた。悪魔と戦った時なんて、完全に戦闘狂みたいな心境になっていたし。
正に血に酔った獣──いや、鬼のようだった。
レイに座っている今も、彼女とは逆に、僕の嗜虐心に近いナニカが、ずっとくすぐられている。
……やだなぁ、これじゃ僕が変なやつみたいだ。
僕は気晴らしに、右足に込める力を強くした。
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