地獄変(2)

 その鬼が飛び込んできた時、篁は閻魔と共に茶を啜っていた。


 鬼とひと言でいっても様々な姿をしている者がいる。牛頭馬頭のように頭が別の動物となっている鬼もいれば、ラジョウのように人の姿で大きな角が頭から生えている鬼もいる。この離れの部屋に飛び込んできた鬼は、顔が鳥で唐の道服のようなものを着ているという何とも奇妙な姿の鬼であった。


「失礼します」

「何だ。いまは客人が来ている」

「急な知らせです」


 鳥頭の鬼がそう言うと、閻魔は渋々立ち上がって部屋から出ていった。

 どこか妙な緊張感が漂っている。

 何か起きたのだろうか。ひとり取り残された篁は、茶を啜りながら閻魔が戻ってくるのを待った。


「すまんな、篁。ちょっと面倒ごとが起きた」


 しばらくして戻ってきた閻魔は、そう言い「困ったな」と独り言を呟いてみせた。


「どうかしたのか」

「いや……」

「私には話せないようなことか?」


 あまり踏み込んではいけない。そう思いながらも、篁は閻魔に問いかけていた。


「いや……。地獄で暴れている者がいるようだ」

「なんと、地獄に来てもまだ暴れるような者がいるというのか」

「たまにいるのだ。だが今回は……」


 閻魔は渋い表情かおをして見せる。その内容を篁に話してしまうべきか、閻魔は悩んでいるようにも見えた。


「なんだ。そこまで言ったら、全部言ってはくれぬか」

「すまん。今回は、とある陰陽師なんじゃ」

「陰陽師だと」

「ああ。現世で人を呪術を使って3人ほど殺した者じゃ」

「なんと……」


 陰陽師といえば、平安京たいらのみやこでは篁と同じ中務省に仕えており、陰陽寮と呼ばれるところで働いている者たちである。陰陽寮では、天候や星にまつわる研究や陰陽道と呼ばれるものを研究しているものたちがいた。篁にも何人か陰陽師の知り合いはいるが、人の呪い殺すような輩については聞いたことがなかった。これは噂ではあるが、陰陽師というのは朝廷に仕える者と、朝廷に仕えることは無い民間の陰陽師という者もいるという。その民間の陰陽師がどのようなことをしているかは知らないが、何やらきな臭いことをやっているという噂は絶えなかった。


「冥府で裁きを受けるまでは大人しくしておったんじゃが、地獄に行く途中で暴れだしたようだ。わしが制圧しに行っても良いのだが、まだやらなければならない仕事が残っていてな」

「そうか。ならば、私が行こう」


 篁はそう言うと、太刀を持って立ち上がった。


「しかし……」

「この茶というものをご馳走になった、礼だ」

「良いのか、篁」

「構わぬ」


 こうして篁は地獄で暴れる陰陽師に会いに行くこととなったのだった。


 地獄については何も知らない篁のために、閻魔はひとりの鬼を篁につけた。その鬼は小さな子どものような姿をしている鬼であり鬼面きめん童子どうじと呼ばれていた。


「よろしく頼むよ、篁様」


 鬼面童子はそう言うと、てくてくと歩きはじめた。

 地獄。話には聞くが、実際にその姿を見るのは、はじめてのことだった。

 冥府の門に似た巨大な門を潜ると、その先が地獄であるという。

 門の前には三つの目を持つ鬼が立っており、冥府の裁判で地獄送りとなった人間たちを門の向こう側へと送り込んでいた。


目三鬼まみつおに、通るよ」

「ああ、鬼面童子か。閻魔大王より話は聞いている、通れ。おい、人間。お前は戻ってくる時に絶対に鬼面童子と一緒に戻ってくるのだぞ。そうでなければ、この地獄の門は二度と開けられん」


 目三鬼はにやりと笑みを浮かべながら言うと、巨大な門をひとりで押し開けた。

 巨大な門は軋むような音を立てながらゆっくりと開いていく。

 地獄。それは仏教の教えでは六道の最下層とされる場所である。

 門の向こう側。本来であれば、地獄の羅刹たちが地獄へと送り込まれた人間たちに拷問などを行い、現世での罪を償わせる場所のはずだが、いま篁の目の前に広がっている地獄には誰もいなかった。

 その景色を見て最初に思い出したのは、陸奥守だった父と共に転戦を繰り返した戦場の景色だった。血の海が広がり、数多くの人が倒れている。まさにいま、篁の目の前に広がっている光景と同じだった。違うのは、倒れているのが人間ではなく、鬼たちだということである。


「これは酷い……」


 そう言った後、篁は言葉を失った。

 背後では、ゆっくりと地獄の門が閉じられていく。

 もう、後戻りは出来ない。

 篁は鬼面童子に頷きかけると、地獄への一歩を踏み出した。

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