余談、大嶽丸と鈴鹿御前と立烏帽子
TAKAMURAの連載をはじめるようになってから、平安時代についての勉強をかなりしています。正直なところ、以前は平安時代にはあまり興味がありませんでした。
室町後期から安土桃山時代、それと幕末という歴史好き層が最も厚い部分に関しては大好きで色々と調べたりしていたのですが、どうしても平安時代に関しては手が伸びずにいました。
そんな私が小野篁という人物を知ったのは、京都を旅行した時でした。
旅行のガイドブックの隅に書かれた「現世と地獄を行き来した公卿」という小さな紹介文に惹かれ、六道珍皇寺を見学しに行ったりもした。まさか、この時は自分が小野篁を主人公にした小説を書こうだなんて思ってもみないことでしたね。
平安時代というのは、調べてみると、かなり面白いことに気づかされます。平安時代というと貴族社会で平和でおだやかといったイメージが強いのですが、実際はもっと殺伐としており、平安京などは盗賊が跋扈する治安が悪すぎる都だったそうですし、穏やかに思える貴族たちも殴り合いの喧嘩をしたり、場合によっては斬り合いに発展することなどもしばしあったようです。
さらには当時は一夫多妻は当たり前でしたので、女性たちによる派手な喧嘩などもあったとか。源氏物語とか読むとわかりますけれど、もうドロドロですよね。
平安時代について書かれた「今昔物語」の中で私の好きな話として、清少納言の夫であった橘則光(のちに離婚)が夜中に女性宅に逢瀬しにいこうとして賊に襲われたが三人の賊を返り討ちにしてしまうという話があります。
そんな話が多く残されるほど、賊が出るのは当たり前だったし、夜中に女性宅へ逢瀬しに行くのも当たり前だった平安時代ですから、魑魅魍魎が跋扈していてもおかしくはないですよね。
先日、本屋で夢枕獏先生の「陰陽師」の文庫最新刊が平積みなっているのを発見しました。20年くらい前に読んでいた記憶があったのですが、まさかまだ続いていたとは、驚きです。パラパラとめくって立ち読みをしましたが夢枕節は健在でした。
※陰陽師でもっとも有名な夢枕節は「ゆこう」「ゆこう」「そういうことになった」。知る人ぞ知る小説「陰陽師」の流れ。
さて、今回の話「大嶽丸」では、大嶽丸、鈴鹿御前、立烏帽子の三名が登場しました。その中のひとりである大嶽丸は、平安時代の日本三大妖怪とも呼ばれる鬼神です(あとの二人は、
鈴鹿山に住んでいたとされる鬼神・大嶽丸は、薬子の変の際に坂上田村麻呂によって討たれるといった話がありますが、実際には薬子の変の際に坂上田村麻呂は鈴鹿山へは向かってはおらず、鈴鹿山にある鈴鹿関を守ったのは坂上田村麻呂の次男である坂上広野と篁の父である小野岑守でした。
今回の「大嶽丸」ではその史実である坂上広野と小野岑守の話と大嶽丸の伝説を混ぜ合わせて創作しています。
大嶽丸の伝説は、鎌倉時代から室町時代にかけて作られたとされている御伽草子に書かれている「田村の草子」という創作物語に載っているそうです。田村の草子は、坂上田村丸(モデルは坂上田村麻呂)が主人公であり、帝からの命を受けて大嶽丸を退治するという物語ですが、そこで大嶽丸討伐に加担する天女として鈴鹿御前が登場したりします。
田村の草子に描かれている大嶽丸は最強の鬼神で、空を飛ぶことが出来て、黒雲に紛れて姿を隠し暴風雨を起こして雷電を鳴らし、火の雨を降らせて数万の田村丸の軍を数年に渡って足止めしたという最強の鬼神の名に恥じないバケモノです。
私の描いた大嶽丸はかなりコミカルな感じなので、田村の草子の大嶽丸とは大違いですね。
なお、「田村の草子」では、大嶽丸を退治した田村丸は鈴鹿御前と結ばれて娘をもうけるといった話になっています。
大嶽丸に関しては、色々な伝承があるので興味のある方は調べてみると面白いかもしれません。
さて続いては鈴鹿御前と立烏帽子についてです。
このふたりは同一人物だとする説が有力です。といっても、創作上の人物なのですが。
平安時代の鈴鹿山(鈴鹿峠)というのは物騒なところだったようです。今昔物語にも商人が盗賊に襲われる話が出てきます。また、それ以外にも色々な伝承が残されているようで、鈴鹿山は鬼の住処であるとされていたようです。
そんな鈴鹿山に住んでいたとされる鈴鹿御前と立烏帽子ですが、物語によっては正体は天女であるとされていますが、ふたりを盗賊(山賊)であると書いている物語もいくつかあるようです。
また鎌倉時代に
こういった話が色々と重なって、鈴鹿御前という人物が作り上げられたのだと推測します。
では、鈴鹿御前と同一人物であるとされている立烏帽子はどうでしょうか。
立烏帽子って変な名前ですよね。
鎌倉時代に書かれたとされている「保元物語」では立烏帽子という盗賊が捕縛されたといった記述があるそうです。おそらく立烏帽子というのは、その盗賊の格好を書いたのだと推測が出来ます。烏帽子というのは、ご存じの方も多いと思いますが、貴族などが頭にかぶっているあの長細い帽子です。あれの最上級のものが立烏帽子らしいのですよ。だから、それを被っていた盗賊のことを立烏帽子って通称で呼んだんじゃないのかなって思っています。
そんな盗賊がどうして天女である鈴鹿御前と同一とされたのか。
そこらへんについては、前記した「田村の草子」が関係しているようです。田村の草子の物語を創作していくうちに鈴鹿山の盗賊=立烏帽子=女盗賊=鈴鹿御前といった形になっていったのではないかという説が濃厚です。
創作された人物なんだから、矛盾点がいっぱいあってもいいじゃんってスタンス、私は嫌いじゃないです。
今回の「大嶽丸」では、この三人によって篁がピンチに陥るという話を書かさせていただきました。
物語は大体、西暦828年から830年頃に掛けての史実を背景に書いていっています。ですので、篁の父である小野岑守の死も史実通りにしてあります。
ここから先、篁がどうなっていくのか、温かい目で見守っていただければと思います。
いつも読んでくださっている皆様には、感謝しかありません。
ありがとうございます。引き続き、物語を楽しんでいただければと思います。
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