大嶽丸(9)

 西の空が朱く燃えていた。

 白装束に身を包んだ篁は父の遺体の入った棺を担ぎ鳥辺野を目指した。

 篁の隣には、弟の千株の姿もある。

 父は土葬することとなった。天皇や皇族といった身分の高い人間は火葬されるが、それ以下の者は土葬、場合によっては風葬という死体をその場に放置して自然に帰るのを待つというのが当時の葬儀であった。

 土葬を篁に提案してきたのは、東寺の僧である空海であった。空海は漢詩を通じて父、岑守みねもりと交流があったそうだ。かつて岑守は嵯峨天皇のもとで侍読じどく(天皇の側に仕えて学問を教授する学者)を務めていたことがある。それに漢詩集である凌雲集りょううんしゅうや史書である日本後記の編纂へんさんに関わったりしており、文武両道に優れた人物であった。


 日が暮れ、夜の帳が下りる。辺りに人家は無いため、漆黒の闇が訪れる。

 気がつくと、篁は闇の中にひとり残されていた。

 先ほどまで周りにいたはずの千株や空海の姿は何処にもない。

 闇の中に、白い霧が漂っている。


 ここは居てはならぬ場所だということに篁は気づいた。

 すぐに自宅へ帰ろう。そう考えて、歩きはじめる。

 足元に盛られていた土が動いたような気がした。いや、気のせいではない。確かに、土は動いている。どういうことだ。篁がその土に目を奪われていると、突然、足元の盛り土の中から腕が出てきて足を掴まれた。

 一本だけではない。二本、三本と次々と土の中から手が伸びてくる。

 この世のものとは思えぬ青白い色の腕。足を掴んだ腕は、徐々に上に伸びてきて、腕や肩などにも掴みかかってくる。


「やめろ、やめてくれ」


 篁は慌ててその腕を振り払おうとする。しかし、腕はしっかりと篁の着物を掴んでおり、簡単には離れてはくれない。

 さらに掴んでくる腕は増え、ついには篁の被っている烏帽子にまで手が伸びて来た。

 篁は腰に佩いていた鬼切無銘を抜き放ち、掴みかかってくる腕を斬り落とす。

 なんなんだ、これは。


「篁よ、篁」


 どこからか声が聞こえてくる。

 聞き覚えのある声。


「篁よ、あの岩を射貫いてみよ」


 顔をあげると、そこには父が立っていた。

 父の指さす方向には、人間と同じくらいの大きさの岩がある。

 篁はえびらに入った矢を手に取ると、肩から下げていた木の外側に竹を貼り付けた伏竹弓ふせだけのゆみを構えた。


 子どもの頃から父に武芸の手ほどきを受けて来た。裸馬に乗ることも、矢で獣を射ることもできた。生まれつき身体は大きい方で、周りの子どもたちより頭一つ大きかった。そのため、相撲をしても負け知らずだった。

 父が陸奥守むつのかみとなった時、父に従い京を離れて陸奥国へと向かった。陸奥周辺の蝦夷えみしたちには、朝廷も手を焼いており、父の武人としての腕が買われて討伐令が下されたのだ。

 負け知らずだった。陸奥国の各地を転戦し、次から次へと蝦夷たちを打ち破っていった。戦場では負け知らずで、小野の旗が掲げられるだけで蝦夷たちは潰走していったほどだった。


 呼吸を止めて狙いを定めた篁は引き絞った弓から矢を放った。

 放たれた矢は一直線に岩へと向けて飛んでいく。


「あなやっ」


 岩に矢が刺さると同時に声がした。

 驚いた篁が岩をじっと見つめると、それは岩ではなく父であった。

 矢は父の心の臓を射貫いており、父は口から血の泡を吹きながら倒れ込む。


「ち、父上」


 篁は弓と矢をその場に投げ捨てて、父のもとへと走り寄ろうとする。

 しかし、地から伸びて来た青白い腕たちに足を掴まれ、父のもとに行くことは阻まれてしまう。


「父上っ!」


 地に這いつくばりながらも篁は父のもとへと行こうとする。

 掴んでくる腕を振り払い、何とか父のもとへと辿りついた篁は、父を抱き起そうと手をのばした。


「篁さま……」


 父だとばかり思っていたのは、鈴鹿であり、鈴鹿の胸の真ん中には篁の放った矢が深く突き刺さっている。


「おのれ、篁。許さんぞ、許さんぞ」


 鈴鹿の顔は変貌していき、鬼となる。牙を剥き出し、目からは血の涙が流れ出す。額の皮膚が膨らんだかと思えば、その皮膚を突き破り血塗られた二本の角が伸び出てくる。

 異様なほどに伸びた腕が、篁に向かって伸びてきて首を絞める。

 呼吸が出来なくなり、篁は何とか鈴鹿の腕を外そうともがく。

 しかし、鈴鹿の細腕は見た目と違ってかなり力強い。


「篁、許さん。我は絶対にお前を許さん」


 鈴鹿の細い指が首の皮膚に食い込んでくる。


は許さんぞ!」


 物凄い力が指に込められ、篁の首の皮膚を鈴鹿の爪が突き破る。その指先は首の筋繊維まで到達し、さらに奥へと入ろうとする。


「情けなし……」


 また、どこからか声が聞こえた。やはり、聞き覚えのある声だった。

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