大嶽丸(8)

 狩衣に烏帽子姿という男装をした鈴鹿は、血の涙を流しながら篁に微笑み掛けて来た。

 姿かたちは鈴鹿なのだが、中身は違っている。鈴鹿は鈴鹿ではなく、立烏帽子たてえぼしという名の天の魔焰まえんなのである。

 立烏帽子は両手に構えた二本の剣を振り回すかのようにして、篁へと襲い掛かってきた。

 動きは大嶽丸と比べると断然に立烏帽子の方が速かった。

 左手に持った大通連だいとうれんで斬りつけて来たかと思えば、すぐに右手に持っている小通連しょうとうれんでも斬りつけてくる。

 ただ、ひと振りごとの重みは大嶽丸とは比べ物にはならなかった。やはり、身体は鈴鹿の身体なのである。

 篁もやられているばかりでは、いられなかった。立烏帽子の攻撃を捌きながら、隙をついて鬼切無銘で斬りつける。

 立烏帽子は大通連と小通連を上手く振り回しながら、篁の攻撃を巧みに流していた。


「なかなかやるではないか、篁。だが、その程度では我は殺すことはできぬぞ」


 笑いながら立烏帽子が言う。

 ふたりの太刀と剣が交錯し、間合いが一気に詰まる。


「篁様、お願いがございます」


 鈴鹿の唇が動き、鈴鹿の声が聞こえる。それは間違いなく鈴鹿のものであった。

 顔つきもどこか穏やかなものになり、立烏帽子の邪悪さは消え去っていた。


「鈴鹿なのか?」

「はい、鈴鹿でございます。篁様にお願いがございます」

「なんだ?」

わたくしに構わず、立烏帽子を殺してください。どうか、立烏帽子を殺してください」

「しかし……」


 篁が戸惑いを見せると、鈴鹿は優しい笑みを浮かべた。

 一瞬、鈴鹿が両手に握っている剣の力が緩む。


「篁様に会えて、鈴鹿は幸せでした」


 鈴鹿の顔が近づき、篁と鈴鹿は唇を重ね合う。

 それが別れであるということは、篁はわかっていた。


「篁様……お願いいたします」


 唇を離した鈴鹿はそう言うと目を閉じ、一歩後ろに下がった。

 ちょうど、その距離は篁の太刀が届く距離だった。


「愚かなり、愚かなり、鈴鹿」


 再び鈴鹿の唇が動いた時、それは立烏帽子の声になっていた。


 篁は鬼切無銘を水平に振った。鬼切無銘の刃は、鈴鹿の首に届くギリギリのところで避けられてしまった。


「愚かなり、愚かなり、篁」


 立烏帽子が笑う。


 しかし、篁は手を止めなかった。そのままの勢いで太刀を返す。鬼切無銘は、鈴鹿の胸の辺りを水平に斬り裂き、鈴鹿の着ていた狩衣が破れた。破れた個所からは、形の良い乳房が零れ出る。

 普段の篁であれば、ここで動揺してしまっていたかもしれない。しかし、いまの篁はどこか別人のようだった。


 鬼切無銘を構えなおした篁は一気に間合いを詰めて、鬼切無銘を振り下ろす。

 立烏帽子は大通連でそれを受け流そうとしたが、篁の振り下ろす速さについていけず、肩口から腹の辺りまで一気に袈裟に斬り下ろされた。

 鮮血が飛び散り、鈴鹿の着ていた狩衣が真っ赤に染まる。

 それでも篁は手を止めなかった。

 斬り下ろした太刀を跳ね上げるように、今度は下から上へと斬り上げる。

 ちょうど肋骨の下辺りから切先が入り込み、そのまま心の臓を目掛けて鬼切無銘が鈴鹿の身体を昇りあがる。


 鈴鹿は口から大量の血を吐き出して、膝から崩れ落ちた。赤黒く染まった狩衣の腹のあたりは大きく膨らんでおり、斬り割かれたために臓物が飛び出してきてしまっていることがわかった。


「まだ続けるか、立烏帽子」


 篁はそう言いながら、鬼切無銘の切先を鈴鹿の首に突き付けた。


「馬鹿なことを言うな、篁。我はこの程度では死なん。先ほど、首が無くても生きていたことを忘れたか」

「そうだったな」


 篁はそう言うと、鬼切無銘を振り上げて鈴鹿の首に撃ち下ろした。

 転がった首は血を流すわけでもなく、まるで山肌を転がる岩のようにコロコロと転がった。


「まだわかっておらぬようだな、篁。そんなことでは、我には勝てぬぞ」


 立烏帽子の笑い声。その笑い声は、鈴鹿の身体の奥から聞こえてきていた。

 篁は、その声が聞こえてきた場所へ鬼切無銘を突きおろす。


 びくり、と鈴鹿の身体は痙攣し、そのまま動きを止めた。


「無駄じゃ。無駄、無駄」


 今度は別のところから立烏帽子の声が聞こえてくる。

 再び篁は鬼切無銘を鈴鹿の身体に突き刺そうとしたが、そこで手を止めた。


「よせ、篁」


 どこかから声が聞こえてきたのだ。その声は立烏帽子のものではなかった。

 懐かしい声。その声には、確かに聞き覚えがあった。

 影が揺らいでいた。

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