大嶽丸(4)
どこかから鈴の鳴る音が聞こえてきた。
それは篁だけに聞こえたのではないようで、その場にいた全員がその方向へと顔を向けた。
唸るような低い声。その声には怒気が混じっているのがわかった。
「鈴鹿、おめえ裏切りやがったな」
大地が揺れた。
そこに現れたのは、偉丈夫と呼ばれる篁が見上げなければならないほどの大男であった。
髪が長く、縮れた髭が顔の下半分を覆い隠すかのように生えている。着ているのは熊かなにか大きな獣の毛皮で拵えたものであり、その毛皮の間から丸太のように太い腕が伸び出てきていた。
「大嶽丸じゃ」
「大嶽丸じゃ」
女童たちは騒ぎながら鈴鹿の後ろへと回り込んで隠れようとする。
「黙れ、
「黙るのは、貴方の方ですよ、大嶽丸」
鈴鹿は睨みつけるような目で大嶽丸のことを見た。
その顔を見た大嶽丸はにやりと笑って見せる。
「怒った顔も美しいのう、鈴鹿御前よ」
「馬鹿なことをいうでない」
「
大嶽丸は大きな声で笑って見せた。
大嶽丸の人相は人のようで人ではない感じであった。眼は大きくぎょろりとしており、その眼球は黄色く濁っている。鼻は潰れたように平べったく、口は耳の辺りまで裂けており、その間からは鋭い牙のような尖った歯が見え隠れしていた。
同じ鬼神でも両面宿儺とはまた違った顔立ちをしているのだ。
これは興味深いことだ。篁は大嶽丸のことを見上げながら、そんなことを考えていた。
「お前は誰じゃ」
そこでようやく篁のことに気がついたらしく、大嶽丸はそのぎょろりとした目で篁のことを見た。
「小野篁と申す」
「知らぬ。興味は無い」
「鬼切丸を取り返したのが私だとしてもか」
「なんとっ!」
篁は嘘をついた。挑発するつもりでついた嘘であったが、大嶽丸はその篁の嘘を信じたようで顔を真っ赤にして怒りだした。
「許せん、許せんぞ、篁。お前だけは絶対に許さん」
「何を言うか、大嶽丸。あの鬼切丸は元々は坂上家に伝わる宝刀であるぞ。それを盗んだのはお前の方であろう」
「おのれ、篁。盗むだけでは飽き足らず、
怒り心頭といった様子の大嶽丸は腰に帯びていた大きな剣を抜き放つと、剣先を篁へと突き付けた。
「お前だけは絶対に許さん。その減らず口を後悔するんだな、篁」
「その言葉、そのままお返しいたそう」
冷静な篁はゆっくりと腰に佩いた鬼切無銘を抜くと、自分に突き付けられている大嶽丸の剣先を逸らした。
「妙な太刀を持っておるな、篁」
先ほどまで激高していたとは思えないような口調で大嶽丸が言う。
「なんぞ、その太刀は」
「知りたいか」
「ああ。教えてくれ」
「だったら、その剣を収めよ。さすれば教えてやってもよい」
「わかった」
よくわからないが、大嶽丸は篁の言葉に従いその剣を再び鞘に収めた。
篁はその様子を見届けると、自分も鬼切無銘を鞘に戻す。
「それで、その太刀は何だ」
「鬼切無銘という名の太刀よ」
「聞いたことないぞ、そんな名の太刀は。我は剣や太刀については詳しいのじゃ。鬼切丸もずっと欲しかった太刀じゃった。坂上田村麻呂が持っていた頃は、奴には手も足も出なかったが、その息子である広野麻呂が持ったと知って我は奪うことに決めたのじゃ。ところが、広野麻呂もなかなか強くてな。返り討ちに合ってしまったわ」
そう言って大嶽丸は豪快に笑う。
どういうつもりで、このような話を自分に聞かせるのだろうか。篁は大嶽丸の考えが読めなかった。
「そこを立烏帽子に救われた。立烏帽子は冥府へ行こうとしていた我の手を引っ張り現世へと戻したのじゃ」
大嶽丸の語りを篁はじっと聞いていた。少し後ろにいる鈴鹿がどのような顔でこの話を聞いているのか篁は気になったが、振り返って顔を見るわけにもいかず、そこは我慢した。
「立烏帽子は我に命を与える際に、鈴鹿も生み出した。我には力を与え、鈴鹿には美を与えた。鈴鹿と我は一心同体。いや、立烏帽子も含めて一心同体なんじゃ。だから、我を斬ろうとすれば、鈴鹿も立烏帽子も斬ることになる」
そこまで言うと、大嶽丸は一度篁から目を逸らし、その後ろにいる鈴鹿のことを見て、また篁へと戻した。
「それで、その太刀は何だ」
「鬼切無銘。冥府の閻魔より授かった太刀よ」
「閻魔……だと」
大嶽丸の顔つきが変わった。怒りと憎しみが混ざりあった
咄嗟の判断で、篁は鬼切無銘を抜き放ちながら後ろへ飛びのいていた。
風を感じた。
篁の顔ギリギリのところを大嶽丸の剣先が通過していく。
鞘に入った剣の抜き打ちだった。
あと少し反応が遅れていれば、篁の首から先は胴体から離れてしまっていただろう。
「おのれ篁、やはり我はお前を許さん」
憤怒の表情のまま大嶽丸は叫ぶように言った。
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