蜘蛛と羅城門(3)

 えたような臭いがした。何ともいえない臭いである。

 篁にはこの臭いに覚えがあった。間違うはずもない。これは、常世とこよのモノが放つ臭いであった。


 気配を消すようにして暗闇の中で篁は立膝をついた状態で構えていた。


 しばらくすると、気配がした。誰かが羅城門の中へと入ってきたようだ。

 床板の軋む音が聞こえ、その音はだんだんと梯子の方へと近づいてくる。どうやら、二階に上がってくるようだ。


 息を殺し、篁はじっとその人物が二階へと上がってくるのを待った。


 姿が見えた。女である。髪が長く、どこか妖艶な顔をした女だった。その女が梯子を上って二階へと姿を現した。

 上半身が見えた時、女の小ぶりな乳房が見えた。どうやら、女は着物などの衣類を何も身に着けてはいないようだ。

 そして、梯子をのぼりきった女の全身が見えた時、篁は息を呑んだ。

 上半身は若い女の姿なのだが、下半身は蜘蛛のような形をしている。


 やはり、あやかしか。篁は腰に佩いていた太刀へと手をのばした。


 腕は2本だったが、足は6本生えている。合計8本。そして、その足の6本すべてに毛がびっしりと生えており、節の形などをみても蜘蛛の足そのものであった。

 蜘蛛女は何かいつもと違うことに気づいたようで、辺りをキョロキョロと見回しはじめた。

 そして、闇の中に潜んでいた篁と目が合った。


「誰じゃ」


 蜘蛛女が甲高い声で叫ぶように言った。

 篁はその言葉に、ゆっくりと立ち上がる。


「小野篁と申す」

「篁じゃと……。不吉な名前じゃ」


 蜘蛛女はそう言うと、口の中から牙のようなものを2本突き出してみせた。


「私の名は不吉なのか?」

「そうじゃ、不吉じゃ。平安京たいらのみやこでその名を聞いたら逃げろと言われているくらいじゃ」

「では、なぜ逃げない」

「そんなもの信じておらぬ。たかが人間に何が出来るというのじゃ」


 蜘蛛女が吐き捨てるようにいうと、篁は笑った。


「何がおかしい」

「別に」

「笑っておるではないか」


 少し怒ったような表情で蜘蛛女がいう。顔だけ見ていれば、普通の女子おなごに見えてしまうから不思議なものだ。


「すまぬ。ひとつ、聞かせてくれぬか」

「なんぞ」

何故なにゆえに、内裏へ忍び込んだ」

「それは……」

「言えぬことか?」


 篁は優しい口調で蜘蛛女に言う。

 蜘蛛女は篁の言葉に無言でこくんと頷いた。


「では、別のことを聞こう。とある姫が病に臥せっておられる。それは、お前の仕業かな」

「わ、は何もしておらぬ」

「左様か。これは困ったのう」


 篁は腰の太刀から手を放して、懐から扇子を取り出すと、その扇子をもう一方の手のひらにペシペシと叩きつけた。


「何が困るのじゃ」

「私の役目は、その病に臥せった姫の原因を断つことであった。噂では、内裏に現れた蜘蛛のあやかしが原因であると……」

ではないっ!」


 蜘蛛女は叫ぶように言うと、牙をむき出し、顔に8つの目を出現させた。


「おのれ篁、黙って聞いていれば好き勝手なことを言いおって」


 いまにも飛び掛からんばかりとなった蜘蛛女は篁を8つの目でにらみつける。

 しかし、篁は冷静であった。


「お前の仕業ではない、ということはわかった。落ち着かれよ」


 畳んだままの扇子を蜘蛛女の顔に突きつけるようにして、篁はいう。


「では、あの牛飼童の件はどう説明する」

「あれは……あの牛飼いが悪いのじゃ。自業自得じゃ。我が人の姿でいたところを襲おうとしおったから、懲らしめてやったに過ぎぬ」

「そうであったか」


 篁はその言葉を聞いて妙に納得した。あの牛飼童であれば、やりかねないと思ったのである。


「ひとつだけ、忠告しておこう。どんな理由があろうとも内裏には近づかないことだ」

「しかし……」

「なにか理由があるのか」


 篁に尋ねられると、蜘蛛女は目を伏せて床を見つめた。8つあった目は2つに戻り、牙もいつの間にか引っ込んでいた。

 蜘蛛女は、すこし考えるような仕草を見せた後、重い口を開いた。

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