蜘蛛と羅城門(2)
中務省の仕事を終えて大内裏を篁が出たのは、日が沈んだ頃のことだった。
賀陽親王からは、仕事を早めに終えても良いという許可を得ていたのだが、どうしても書かなければならない記録があったため、そちらを片づけていたところ、こんな時刻になってしまっていた。
すでに南東の空には大きな満月が上っている。
そんな月の姿を眺めながら、篁は歩き続けた。
朱雀門を抜け、そのまま真っ直ぐに朱雀大路を南下する。
普段であれば、自分の屋敷のある方へと途中で辻を曲がるのだが、きょうは真っ直ぐ朱雀大路を歩いていた。
朱雀大路を歩けば、真正面にその姿を見ることはできた。
巨大な城門。周りには篝火が焚かれており、闇の中に門扉が浮かび上がっているようにも見えた。
羅城門。その巨大な城門は
大蜘蛛と藤原乙姫が言っていたが、おそらくそれは
篁は腰に佩いた鬼切無銘にそっと手を添えながら、朱雀大路を歩き続けた。
大内記になってからは、普段から帯刀しているわけではなかった。弾正少忠の頃とは違い、大内記は文官なのだ。職務で太刀を使うことも無いし、中務省の内部では帯刀することは許されてはいなかった。
羅城門が近づいてきた。見上げなければその全貌を見ることが出来ないくらいに門は大きい。辺りには人気もなく、どこかで野犬が鳴いている声が聞こえていた。
内裏に忍び込んだ土蜘蛛は何のために、姫を病に臥せらせたのであろうか。
ふと、そんな疑問が頭に浮かぶ。
たとえ、あやかしであったとしても何の理由もなく相手に手出しをしたりはしないはずである。その姫に思い当たる節は無かったのだろうか。
篁と両面宿儺の因縁のように、祖が関係している場合もあるため、本人に思い当たる節がないという場合もあるはずだ。
そのようなことを考えながら歩いているうちに、篁は羅城門の門扉の前に辿りついてしまった。
羅城門はひっそりと静まり返っていた。
梯子を上がり、二階部分に入ると篁は闇の中へと目を凝らした。
特に何の気配も感じられないし、あの常世のモノ独特の臭いもなかった。
本当に、羅城門に大蜘蛛の巣があるというのだろうか。篁は疑いの目を向けながら、ゆっくりと足音をなるべく立てないようにして、羅城門内を移動した。
しばらくすると目が闇に慣れてきた。そこには、見覚えのある風景が広がっている。
かつて、ここで篁は鬼と戦った。その鬼は地獄から抜け出してきた獄卒であり、篁はその鬼の頭の角を一本折ることで服従させ、主従関係を結んだ。それがラジョウだった。
そんな思い出に篁が浸っていると、どこかから声が聞こえてくることに気づいた。
小さくどこかくぐもった男の声である。
「誰か、誰かおらぬか」
その声をはっきりと聞き取った篁は、声のした方へと足を向けた。
歩みを進めていくと、声が徐々に大きくなって来る。
それを見た時、篁は唖然として足を止めた。
天井からぶら下がる大きな白い塊だった。その塊の中に閉じ込められるようにして、水干を着た来た中年の男の姿が見えた。
「助けてくれ。やつが戻ってくる。早う、出してくれ」
男は手足の自由を奪われてしまっているようで、身体を一生懸命に動かそうともがきながら篁に言う。
「やつというのは?」
「蜘蛛じゃ、大きな蜘蛛」
「なるほど」
篁はそう言うと、腰に佩いていた鬼切無銘を抜き、男の体を包み込むようにして存在している白い塊を斬った。
「あなや!」
男の体は支えを失い、勢いよく床の上へ落ちた。
「痛え……」
顔から床の上に落ちた男は、自由になった手で顔を撫でながら起き上がった。
格好から見て、男は
牛飼童は
「いやあ、助かったよ。あんたが来てくれなかったら、あいつの餌になっていたところだ」
「それで、蜘蛛はどこへ」
「どこへ行ったかはわからないけれど、夜になるとどこかへ行っちまうよ。きっと、他の餌になる人間を探しに行っているに違いない」
「それは、朝までには戻ってくるということか」
「まあ、そんな感じだな……って、まさかあいつを待つのか」
牛飼童は驚いた様子で言う。
「馬鹿なことを考えるのは、よせ。あんな化け物、ほっとけばいいんだよ」
「しかし、放っておけば、また犠牲が出るかもしれぬ」
「そうかも知れないけれどさ。あれを見ていないから、そう言えるんだよ。こんなところに長居は無用。俺はさっさと逃げさせてもらうよ」
牛飼童はそういうと、駆け足で羅城門から出ていった。
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