朱雀門のあやかし(4)

 その翌日、篁は清原きよはらの夏野なつのに呼び出された。

 清原夏野は、篁の所属する弾正台の弾正だんじょうのかみ、すなわち長官であり、弾正台の最高権力者である。


「お主が小野篁か」

「はっ」


 弾正尹と弾正少忠では、顔を上げることも許されぬほどの身分の差があった。

 しかし、清原夏野は篁に顔を上げさせ、自分と同じ席につかせた。


「昨晩の朱雀門での報告は受けておる」

「何か問題でも」

「いや、問題などはない。よくやった」

「はっ」

「して、篁。その時の女の顔などは覚えておるか」

「はっきりと見たわけではありませんが、もう一度見ればわかるかもしれません」

「なるほど」


 篁は昨晩の一部始終を弾正台に報告していた。もちろん、自分が鬼を召喚したという話には触れてはいない。


「とある奥方がな、昨夜から具合が悪いといって床に臥せっておる」

「はあ……」

「すまぬが、その奥方の見舞いに行ってきてはくれぬか」


 なぜ自分なのだろうか。

 篁はそんな疑問を覚えたが、長官である清原夏野の言葉に逆らえるわけもなく、見舞いの品を取り揃えて、その屋敷へと向かった。

 その日、病に臥せっているという奥方の屋敷に見舞いに来ていたのは、篁だけではなかった。

 白い水干を着た男。歳は篁よりも少し上のように見えたが、化粧でもしているかのように色白で、身体は小さく細身であった。


刀岐ときの浄浜きよはま陰陽寮おんようりょうの者にございます」


 その男は屋敷の奥に通される前、そう篁へと挨拶をした。

 篁は刀岐浄浜に対して、弾正台の小野篁だと名乗り、役職までは口にはしなかった。

 陰陽寮。それは、占いや天文、時、暦を司る朝廷機関である。普段、陰陽寮の者たちがどのような職務についているのかまでは、篁は知らなかったが、どこか不気味な存在だと常々思ってはいた。


 しばらく待たされたのち、篁と刀岐浄浜は臥せっている奥方の寝る部屋に通された。

 床の間は御簾みすによって目隠しがされているが、そこにはどこぞの婦人が寝ているということだけはわかった。


「こちらは、弾正台の清原夏野より見舞いの品にございます」


 篁は頭を低くしながら言うと、見舞いの品をそっと置いた。

 その際にちらりとだけ、御簾の向こう側にある女の顔を盗み見ることを忘れなかった。

 綺麗な顔をした女だった。どこぞの公卿の妻であるという情報しか持ち合わせてはいなかったが、かなり整った顔立ちをしている。

 しかし、その頬には小さな傷痕があるのが見えた。刃物でつけられたようなものにも見えたが、それが矢傷であるということは、数多くの戦場に出ていた篁だからわかったことだった。

 矢傷。すぐに思い当たる節があった。昨晩、朱雀門で戦った、あの物の怪である。あの時、篁の放った矢は女の顔を射貫いたように見えたが、すり抜けていってしまった。もし、あの時の矢が当たっていたとするならば、ちょうど頬のあたりかもしれない。

 篁はそのことに気づき、動けなくなってしまっていた。


 まさか、そんなことがあっていいのだろうか。

 あの化け物が、このように美しい方だというのか。

 なにかの間違いではないだろうか。


「こちらは、陰陽頭おんようのかみからの見舞いの品にございます」


 篁の脇に寄り添うように現れた刀岐浄浜は、篁と同じように頭を低くして見舞いの品を置くと、篁の腰にそっと手を当てて、後ろに下がらせた。


「間違いないか?」


 刀岐浄浜は篁にだけ聞こえるぐらいの小さな声でいう。


「なにがじゃ?」

「わかっておる。わしはすべてわかっておるのじゃ」

「どういうことだ」

「あれは生霊いきりょうと呼ばれし者。昨晩、彼女の顔を見たのじゃな」

「うむ……」


 篁は刀岐浄浜の問いに曖昧ながらも頷く。


「よい。それだけがわかれば良いのじゃ」


 刀岐浄浜はそれだけ言うと、篁と共に部屋から出た。


 屋敷からの帰り道、篁が弾正台に戻るために歩いていると、背後から声を掛けられた。

 振り返ると、そこには牛車がおり、白い水干を着た童子が牛の綱を持ちながら歩いていた。


「篁殿、乗られよ」


 牛車の上から声を掛けて来たのは、刀岐浄浜であった。

 どうやら、なにか話がしたいようだ。

 それを悟った篁は、刀岐浄浜の牛車へと乗り込んだ。


「さて、何から話そうかな」


 刀岐浄浜は何か勿体ぶったような言い方で篁に言う。


「先ほどの話は本当か」

「生霊のことか。篁殿が、あの女を見たというのであれば、間違いはないだろう」

「そもそも、生霊とは何なんだ」

「簡単にいえば、人の身体から抜け出た魂のことよ。抜け出た魂は生霊として、相手を呪いに行くことできる」

「なんと、恐ろしい」

「その思いの強さによっては、相手を呪い殺すということもあり得るのじゃ」

「しかし、昨晩見た者はあの奥方に似てはいたものの、もっと恐ろしい顔つきだったぞ」

「それは生霊となったものは、次第に鬼と化すからの。鬼と化していけば、もとの身体に魂は戻れなくなってしまうこともある」

「そうなのか。では大内裏で三人死んだという噂も……」


 篁は藤原平から聞いた話を思い出して、口にした。


「まあ、そんなところだろう。三人も殺せば鬼となる。理由はどうであれ、鬼となった生霊を使う者を見逃すわけにもいかん」

「しかし、あの奥方は、どこぞの公卿の……」

「それは我々陰陽寮の者には関係のないこと。鬼と化した者を逃すわけにはいかんのじゃ」


 刀岐浄浜はそう言って、持っていた扇で自分の膝をぴしゃりと叩いた。


「あの女については陰陽寮で処分するとして、篁殿の鬼はどうしたものかのう」


 その言葉に、篁は腰に佩いた太刀に手を伸ばそうとした。


「冗談じゃ。本気にするでない。篁殿が鬼と主従関係を結んでいることはわかっておる。それを悪事に使わぬ限り、陰陽寮は動かん」


 刀岐浄浜が笑いながら言う。

 篁は力を抜いて、手を太刀から遠ざけた。


「別に悪事を働くつもりはない」

「そう言ってもらえると助かるな。我々もあんな化け物は相手にしたくはない」


 それで篁と刀岐浄浜の話は終わった。

 篁は牛車を降りると、そこはすでに弾正台の門前であった。


「後のことは、任されよ」


 それだけいうと刀岐浄浜を乗せた牛車は陰陽寮の方向へと去っていった。


 後日、とある公卿が失脚した。

 失脚の理由は語られなかったそうだが、篁には清原夏野より「よくやった」との言葉と少なくはない褒賞が与えられた。

 その後、あの奥方がどうなったかは、篁も知らない。

 ただ、あの屋敷は取り壊され、また別の屋敷が建てられる準備がされていた。

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