六道辻の井戸
六道辻の井戸(1)
「もし」
宿直の仕事を終えて屋敷へと戻ってきた
目を開けると庭の灌木のところに一匹の蛍が止まっていた。
「
「さようにございます」
蛍はゆっくりと篁の近くまで飛んでくるとそこで姿を消した。
「ご無沙汰しております」
今度は声が家の中から聞こえた。
振り返ると、そこには着物姿の花が立っていた。
相変わらず、面妖な雰囲気を身にまとっており、その姿にはどこか色気すらも感じるほどだった。
「なに用かな」
「用がなければ、現れてはなりませぬか」
「いや、そういうわけではないが。用があったから、わざわざ姿を現したのだろう」
「さすがは篁様でございます」
花は着物の袖で口元を隠すようにして笑って見せた。
「して、どのような用件で参られたのかな」
「あら。お忘れになられたのですか」
「なにをだ」
「先日、わたしは篁様にお礼をと申し上げました」
「そういえば、そうだったな。しかし、そなたに助けられた」
あの時、篁はもう少しで鬼に首をへし折られるところだった。
それを花は、まばゆい光で救ってくれた。
「礼はそれだけで十分だ」
「それはなりません。わたしが怒られてしまいます」
「怒られるとは、誰にだ」
「
「ほう、そなたの主とな。一体、何者だ」
「ちょうど、篁様を主のもとにお招きするよう言われてきております」
「そうか。では、ゆこう」
篁は縁側から立ち上がると、太刀を左手に持って家を出た。
家人(この場合、下人のような役割の人を指す。下人という言葉が使われるのは平安中期からであるため、奈良時代より使われている家人とする)には「少し出てくる」とだけ伝えて篁は屋敷を出た。
屋敷の外では、
「篁様、牛車にお乗りください」
「牛車か」
そう呟きながら篁は花と共に牛車へと乗り込んだ。
行き先はわからなかったが、しばらく平安京の中を牛車は移動していた。
「到着いたしました」
童子が花に声を掛けてくる。
「こちらでお降りください、篁様」
そう言われて篁が牛車から降りると、そこは寺の門前であった。
「ここは」
「はい。
「すると、この寺は
「さようにございます」
「このような寺に招くとは、花の主とは坊主なのか」
「いえ、違います。ささ、中へどうぞ」
花に言われて六道珍皇寺の門を潜ったが、どこか様子がおかしかった。
辺りは霧に覆われているかのように、真っ白である。
おかしな真似をされたのではないか。
そんな気持ちが篁の心に芽生えはじめていた。
「篁様、こちらにございます」
そういって花が指したのは、六道珍皇寺の裏手にある井戸であった。
「この井戸がどうかしたのか」
「お入りくださいませ」
「はあ?」
「さあ、はよう」
「戯れておるのか」
「いえ、花は真剣でございます」
そう言われて篁が井戸の中を覗き込むと、漆黒の闇が広がっていた。
「ささ、篁様」
花はそういって、篁の尻をひょいと押した。
押された篁は、井戸を覗き込む姿勢のまま、井戸の中へと落ちていった。
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