:13 狂気への渇望

side:シボ。――かんぬきシボの視点。

 

 混乱系のごう、狂気への渇望かつぼうをかけられたハヤタは、黒目がなくなり、犬歯を剥き出しにして、ふーふーと息遣いが荒くなった。

 誰が見ても上気していることがわかる。


 と、シボに向けられていた白目が、柱に埋もれたボスの脚部へと移る。

 ハヤタは夢遊病者のようなおぼつかない足取りでディグログのくるぶしへと近づいていく。


 一拍置いて、怒涛のような連撃がはじまった。


 狂気に染まった彼の猛攻たるや壮絶で、まるで体術を極めた達人が、動かぬ木人もくじんに向かって、研ぎ澄まされた技の数々を披露しているかのようだった。

 すぐそばにいたシボは、ドラムの激しい音楽を聴いているかのような錯覚に陥る。


 ハヤタは完全に我を失っていた。

 それでいて、スタミナ管理は完璧で、連撃は途切れることなく一定のリズムで鳴り続ける。 


「……すごい……わね……」

「ハハッ……ハヤタ……ちょっとこわいかも……」


 シボもそうだが、苦笑する銀髪の親友も、あまり接点のない同級生の変わり果てた姿に言葉を失っていた。


 それにしても、とシボは思う。ハヤタくんには驚かされっぱなしだ。

 亀裂谷のショートカットもそうだが、隧道の全スルーや、ディグログとの半裸のバトル等、まるで歴戦の猛者が苦悩の末にようやくたどり着くような回答を彼はいとも簡単に選んでいる、そんな印象をシボは受けていた。


 いったいどれだけの時間ゲームをすれば、彼のような境地に至れるのだろう。

 そして、そこにはいったいどれほどのトライ&エラーがあったのだろう。

 まるで想像がつかなかった。


「無事ここを抜けられたら、ちゃんとお礼、言わなくちゃ……」


 シボはひとりごちた。

 そうだ、プロセスはどうであれ、知っている知識を総動員してシボ達を先導してくれたことには変わりない。


 現に、身体を張ってディグログのくるぶしをしばいてくれている。

 私もぼーっとしてられない、とシボは腰にあった刀を抜くと、彼の隣でくるぶししばきに参加した。


 そうして三人による攻撃音が広大な空間に響き渡った。 

 刃物で斬りつける者二人。徒手空拳でしばく者一人。

 いったい、どれくらいの時間が経ったろう、突如としてボスの巨体が白くて淡い光に包まれる。 


「ちょっ⁉ なになに⁉ なにこれ⁉ ヤバくない⁉」

「なに……かしら……もしかして――」


 もしこれがボスの攻撃なら、そう思うとシボはぞっとしなかった。

 持っていた刀を握りなおし、真正面に構えなおす。


 と、やがてボスの全身が強い光を放ちはじめ、正視できないほどになる。

 ややあって、光は炭酸水の泡のように弾けると、大気中に霧散した。


「え……消えた……?」


 親友と一緒に辺りを見回すも、もうどこにも黒い鬼はいなかった。  


 直後、ステータス画面が空中に現れ、経験値が狂ったように上昇をはじめる。

 すぐにステアと目を合わせる。彼女もその意味がわかったようで、じょじょに目を大きく見開いた。

 そして――


「やった……やったよ! シボ! あたしたちついにやったんだ! 倒したんだ、あのくるぶしを!」

「いやディグログよ」


 と訂正した、そのときだった。

 ふーふーと歯の隙間から息を漏らす少年が、ぐるりとこちらを振り返った。

 黒目のない不気味な眼光が、シボをまっすぐ捉える。


「喜ぶのはまだ早いわステア! まだ私たちにはやることが残ってる!」

「そだね。次は狂ったハヤタを何とかしないと」


 ヨダレを垂らしながらゆっくりとこちらに向かってくるハヤタ。

 彼はもう冒険者というより、月夜に狂う狼男のそれだった。


「ひとまず私がおとりになるから、その隙にステアは――」

「いーや、囮役はあたしがやるね」

「えっ⁉」


 見ると、ステアは持っていた剣を仕舞い、腕まくりのしぐさをした。


「誰のための守護騎士だと思ってんの!」

「ステア……」

「任せといて」


 ステアの満面の笑みに、シボは思わず頬をゆるめる。

 いつの間にこんなにも頼もしくなったのか、とシボは思う。最初の頃は無理やりゲームに連れてきていたのに。あの頃のビクビクした彼女はもういない。


 さっそく反対側にいたステアは囮になるべく、両手でぱんぱんと音を鳴らしはじめた。


「ほーら、ハヤタこっちだよー。ラブホで見せたおっぱいだよー」


 あろうことかステアは、大きく開いた胸元をハヤタに見せるよう、すこしかがんでみせた。

 それにより、ここからでも彼女の豊満なバストの一部がよく見える。


「ちょっ! ステア⁉ ラブホテルって⁉ あなた向こうでいったい何を⁉」

「ヘヘヘ。まあ、色仕掛けってやつ? だってハヤタなかなか首を縦に振ってくれなかったんだもん」


 ため息とともにがっくりと肩を落とす。きっと彼女のことだ、自分の為に一肌脱いでくれたのだろう。あとで説教しないと。


 とにかくいまは親友の貞操のほうが心配だった。放っておくと、ほんとうにヤられかねない。

 シボは、同級生の胸に夢中になっているハヤタの背後に音もなく近づくとバックスタブを意識。


 するとスルスルと自分の腕が少年の首をロック、そのまま締めに入った。

 これが彼の言っていたバックチョークか、とシボは思う。すごい。ほんとにあった。そして、まだまだ自分は知らないことだらけだ。


 ぐぷぷ。と少年がカニのように泡を吹きはじめたので、あわてて力を抜いた。同時にバックスタブをやめるよう意識。


 シボの腕から解放されたハヤタはがくんと膝から崩れ落ちた。

 急いで彼の首筋に手をやって生存を確認する。


 とくん、とくん、と弱々しいながらもはっきりとした拍動があった。どうやら息はしているようだ。ものすごく大きな安堵が押し寄せる。


 シボは親友と二人で、地面に横たわる半裸の級友を見下ろした。

 かすかに寝息を立てる少年は、先ほどまでの狂気はどこへやら、半目で眠りこけている。


「これで……あってるのよね……?」

「あってるんじゃない? ハヤタも無事、止まったみたいだし」


 なにぶん初めての経験だったので、二人とも半信半疑だった。

 にしても、だ。


「にしても、タイムを縮めるために、ただそれだけの為に、ここまでするかしら? ふつう」

「すごいよね。知識量もそうだけど、執念? あたしらとはダンチだ」

「でも、なぜかしら。オグリアスさんとはまったく別種な、軟派な攻略スタイルに見えてしまうのは……」

「わかる。ふざけてるようにしか見えないよね」


 もう一度、足元のアホ面へと視線を戻す。薄目を開けて、時折、びくっと痙攣もする。とてもじゃないけれど、さきほどまでディグログと対等に戦っていた少年には見えなかった。


 思わず笑みがこぼれる。

 二人でくすくすと笑いあう。

 笑みは、やがて爆笑になっていく。

 シボは久しぶりにけたけたと声を出して笑った。


 RTA走者、知れば知るほど不思議な人種だ。目じりの涙を指で弾きながら、彼女はつくづくそう思った。


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side:ハヤタ――早田モハヤの視点。

 

 透き通った女性の声があまりにも近かったので、俺は目を覚ました。


 どうやら俺は横になっているらしい。左の頬に、ぷにゃりとした柔らかい感触がある。ふむ、これは俗にいうふとももという部位だな。

 ということは、俺はいま誰かに膝枕をされているのか。


 場所は、地下の巨大な空間、隧道のボスエリアか。だとするなら、ボス討伐はうまくいったということか。


 正面には銀髪ショートのキサラギさんが長い脚を横に流し、ぺたりと座り込んでいる。


 ん、待てよ。

 俺が枕にしているこれは間違いなく人のふとももで、そして正面にキサラギさんがいるということは……。

 俺はもう一人の女性のふとともを枕にして横になっているということになる。

 

 念のためもう一度言う。

 俺はもう一人の女性の太ももを枕にして寝っ転がっている。


 マジか。

 俺は寝相が悪いふりをして、すこし顔を傾けた。そして薄目で見上げる。


 と、そこにはやはり黒髪ロングをストンと落として談笑する委員長がいた。


 マジか!!

 いや、でも、なぜ⁉

 こういうえっちぃイベントはキサラギさんの領分ではないのか。

 だが、まあ、そうだな。せっかくの機会だ、もうすこしだけ気絶させてもらうことにしよう。


 俺はゆっくりと目を閉じ、覚醒をなかったことにした。


「わかるもん」とキサラギさんの声。「ハヤタ、ぜったいビックリするって」

「なぜ?」


 すぐ上から委員長の声。信じられない。明日死ぬかもしれない。 


「なぜって、そりゃ決まってるじゃん。あのかんぬきシボに膝枕されてんだよ? 驚くでしょ、ふつう」

「これは……そういうのじゃないわ」

「じゃあ、どういうのよ?」

「首を絞めちゃったから……その罪滅ぼし?」

「いやいや、膝枕は膝枕だから。どう足掻いたって好意の示唆になるんだって。ハア、これだから箱入りのお嬢様は……」


 なるほど、この膝枕は委員長の罪滅ぼしの現れらしい。

 ならば。その罪の意識が滅せられるまで、たっぷりと堪能させてもら――


「あっ」


 しまった。下を向いた委員長と目が合ってしまった。


「起きてたのね?」

「起きてました」  


 即答と正座を同時にする。さようなら、ふとももの感触。お前のことは一生忘れない。ガチで。


「いつから起きてたの?」


 問われ、焦る。

 今起きたところと答えれば傷は浅い。だが、それは嘘だ。どうする。


 助け船を求めてキサラギさんのほうへ目をやると、ギャルJKはニヤニヤしているだけで、てんでダメだった。くそっ。やはりここは正直に言うしかないか。


「ひざまくら、つみほろぼしの、やつだから」

んでんじゃねーよ」


 ギャルの鋭いツッコミが胸に痛い。


「韻も踏んでるわ」

「サイアク」

「えええっ、そんな理不尽な……」

「ね、言ったでしょ、シボ。ハヤタはえっちだって」

「そうね。たしかに」


 委員長は同意するも、口に手をあててどこか楽しげだ。これは挽回のチャンスか。


「いや、これはですね、なんと言いますか、起きるタイミングを逸したと言いますか――」

「はいはい、えっちえっち」


 まずい、このままではえっちぃキャラとして二人に永久に認識されてしまう。

 なんとか払しょくしなければ。


 そうだ、ここのボスを攻略した立役者は俺なんだ。そこをアピれば、ワンチャン頼りがいのあるキャラに昇格されるかも。

 そう思い、俺はいい顔といい声を心がけて言う。


「でも、ここでこうしてるってことは、俺たち、やったんだな」

「膝枕の無断延長を?」


 うーん、キサラギさん厳しい。ここのボスよりも精度の高いホーミング追及こうげきに、冷や汗が止まらない。

 もう逃げられないのか。

 そう思った矢先。


 キサラギさんが委員長に向かって目配せをして、プッと噴いた。


「冗談だって、ね、シボ?」

「ええ。ハヤタくんのおかげで、ここのボスを倒すことができたわ。ありがとう」

「ハヤタ、グッジョブ!」


 委員長からは真摯なお礼を、キサラギさんからは笑顔のサムズアップをいただけた。

 どうやら二人して俺をからかっていたらしい。


 ふぉっ、と人生で一番でかいため息が出た。

 よかった。どうやら、膝枕の無断延長の件はこれにて終幕らしい。

 ……助かった。

 

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「うっそ……すごっ……」

「これは……圧巻ね……」   


 女性陣二人がそう声を漏らすのも無理はない。 

 ボスエリアのさらに先、教室ほどの広さの宝物庫には、お宝が所狭しと展示されていた。

 大小さまざまな剣はもちろん、盾、鎧、足甲が整然と並び、まるで美術館の様相を呈していた。

 あ、ちなみに、これらはディグログ討伐隊の方々の遺品、という設定だ。


「あっ、あれって……⁉」


 言って、キサラギさんが走りだす。


「これってもしかして【極黒きょっこく】シリーズ⁉ うっそ、うまい人の配信で観たことある!」


 彼女が手に取ったのは、まっ黒な鎧【極黒の鎧】だ。極黒シリーズはその見た目のかっこよさもさることながら、防御力が異常に高く、終盤をゆくプレイヤーに絶大な人気を誇る。


「さっそく着てみよーっと」


 彼女が鎧を持ち上げると、入手と装備の処理が同時に行われたようで、着ていた鎧が極黒の鎧に瞬時に切り替わる。

 が――次の瞬間。


「うわっ、重っ」


 キサラギさんはバランスを崩し、うしろにあった宝箱に倒れ込んでしまった。  


「ちょっ、なんで⁉ ってか、めっちゃ重いんだけど⁉ ほんとにこんなん装備できんの⁉」

「いや、無理だけど?」

「は⁉」

「装備するには」と委員長。「筋力のステータスが圧倒的に足りてないのね」


 そういうことだった。

 委員長が背丈ほどもある大剣【あお血族けつぞくの刃】を持ち上げようするも、びくともしなかった。その剣もまた大人気の装備で、うすぼんやりと光る青い刃が見る者を魅了した。


「まあ、装備できなくても、手に入れられるものはぜんぶもらっておく。売ればいい金になるし」


 言いながら俺は、宝物庫のお宝を片っ端からステータス画面に収納していく。


「それに、隧道の入り口でも言ったけど、のちのち必要になる装備もあるし。これとか」


 俺が掲げて見せたのは、黒くて細長い盾【極黒の盾】だ。これも大人気の極黒シリーズで、驚くほど軽く、パリィのしやすさが他の盾と比べて段違いだった。

 入手、と念ずると盾は煙と消え、ステータス画面の文字列となる。


「あとは、委員長がいま持ち上げようとしてる、その蒼き血族の刃とか」


 言うと、委員長はハッとした表情で、青色に発光する幅広の刃を見下ろす。


「必要になるのなら、じゃあ、私が持っておくわ」


 その委員長の言葉に、部屋の隅っこで鎧と格闘していたキサラギさんがくすくすと笑みをこぼす。

 なんだろう、委員長……あの大剣に思い入れでもあるのだろうか。


「でも……」とキサラギさん。「また、とうぶんこの装備で行くのかぁ」


 装備を聖銀の鎧に戻した彼女は、がっくりとうなだれていた。まあ、気持ちはわからんでもない。

 こんないいものを手に入れても装備できないんじゃ意味がないもんな。まさに宝の持ち腐れ、手元にある分、その落胆度合いも大きい。 


「まあ、すぐに装備できるようになるよ」

「って、ぬのきれのハヤタにいわれてもなぁ」

「俺はたぶん、最後までこれだけど」

「えっ……マジで?」

「マジ」


 呆然とする二人を横目に、俺は装備の選定に入る。高値で売りさばけるものを持てるだけ持っていくのだ。くくく、これで大金持ちだ。

 まあ、ゲームの中で、だけど。

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